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病状の報告

 野崎病院では心筋梗塞の疑いで入院、心臓カテーテル手術を行う。10日で退院するが、
3日目の夜間喀血する。急遽野崎病院に搬送。
様子見入院の後、専門病院を探して貰う。
 一般財団法人 大阪府結核予防会 大阪病院とコンタクトが取れ転院。

診察の結果:特発性間質性肺炎と診断(指定難病85)。難病指定される。


 1. 「特発性間質性肺炎」とはどのような病気ですか



「呼吸」とは、吸った空気(吸気)が気道(気管や気管支など)を通過し、肺の奥にある「 肺胞 」と呼ばれる部屋に運ばれ、 肺胞 の薄い壁の中(間質)を流れる毛細血管内の赤血球に酸素を与えると同時に二酸化炭素を取り出すガス交換が行われ(図1左)、また呼気として吐き出される運動です。間質性肺炎は、さまざまな原因からこの薄い肺胞壁に 炎症 や損傷がおこり、壁が厚く硬くなり( 線維化 )、ガス交換がうまくできなくなる病気です(図1右)。また、肺の最小単位である小葉を囲んでいる小葉間隔壁や肺を包む胸膜が厚く 線維化 して肺が膨らむことができなくなります。線維化が進んで肺が硬く縮むと、蜂巣肺といわれるような穴( 嚢胞 )ができ、胸部CTで確認できます(図2)。特徴的な症状としては、安静時には感じない呼吸困難感が、坂道や階段、平地歩行中や入浴・排便などの日常生活の動作の中で感じるようになります( 労作時呼吸困難 )。季節に関係なく痰を伴わない空咳(乾性 咳嗽 )で悩まされることもあります。長年かけて次第に進行してくるので自覚症状が出るころには病状が進行していることもあります。また、風邪様症状の後、急激に呼吸困難が出現し病院に救急受診することもあり、「急性増悪」と呼ばれています。
間質性肺炎の原因には、関節リウマチや多発性皮膚筋炎などの膠原病(自己免疫疾患)、職業上や生活上での粉塵(ほこり)やカビ・ペットの毛・羽毛などの慢性的な吸入(じん肺や慢性過敏性肺炎)、病院で処方される薬剤・漢方薬・サプリメントなどの健康食品(薬剤性肺炎)、特殊な感染症など様々あることが知られていますが、原因を特定できない間質性肺炎を「特発性間質性肺炎」といいます。
特発性間質性肺炎は主要な特発性間質性肺炎・まれな特発性間質性肺炎(2つ)・分類不能型特発性間質性肺炎の3つに分類されます。主要な特発性間質性肺炎は病態の異なる6つの疾患からなりますが、頻度からすると「特発性肺線維症」、「特発性器質化肺炎」、「特発性非特異性間質性肺炎」の3つの疾患のいずれかに診断されることがほとんどです。その診断は、既往歴・職業歴・家族歴・喫煙歴などを含む詳細な問診、肺機能検査、血液検査からなる臨床情報、高分解能コンピューター断層画像(HRCT)やいままでの検診時の胸部X線画像の変化からなる画像情報、そして外科的な肺生検からえられる病理組織情報から総合的に行います。


 2. この病気の患者さんはどのくらいいるのですか

労作時 の息切れなどの自覚症状をともなって医療機関を受診される患者さんは10万人あたり10~20人といわれていますが、診断されるにいたっていない早期病変の患者さんはその 10倍以上はいる可能性が指摘されています。わが国における特発性肺線維症の発症率と 有病率 については、「厚生労働科学研究難治性疾患研究事業びまん性肺疾患に関する調査研究班」により報告されています。2003年から2007年における北海道での全例調査では、IPFの発症率は10万人対2.23人、 有病率 は10万人対10.0人でした。国内で新規登録された患者数の内訳は、特発性肺線維症の患者さんが80~90%と最も多く、次いで特発性非特異性間質性肺炎が5~10%、特発性器質化肺炎が1~2%ほどです。ただし症状が軽いために認定基準の重症度を満たさない多くの患者さんをいれるとこの比率も変わってくることが予想されます。また、近年の諸外国での 疫学調査 では特発性間質性肺炎の患者数の増加が示されています。


3. この病気はどのような人に多いのですか


特発性間質性肺炎のうちもっとも治療が難しい特発性肺線維症は、50才以上の男性に多く、間質性肺炎は一般に喫煙が関与している可能性を指摘されていますが、特発性肺線維症の患者さんのほとんどが喫煙者です。喫煙が必ずしも肺線維症だけを来たすわけではないことから、喫煙は特発性肺線維症の「危険因子」であると考えられています。やはり喫煙者に多い「肺気腫」という、肺が壊れて拡がっていく病変と、肺線維症が合併した「気腫合併肺線維症」という病態が、喫煙歴があって息切れを自覚する患者さんに多く認められて問題になっています。特発性肺線維症の「危険因子」として他には、ウイルスなどの感染や逆流性食道炎なども挙げられています。明確な粉じん暴露による間質性肺炎は特発性間質性肺炎から除外されますが、原因として明らかではない場合には「危険因子」ととらえられます。


4. この病気の原因はわかっているのですか


特発性間質性肺炎の原因はわかっていませんが、複数の原因遺伝子群と環境因子が影響している可能性が考えられています。実際に原因候補遺伝子はいくつか報告されておりますが、かならずしもそれらで全て間質性肺炎の原因を説明しきれないことも知られています。また、特発性肺線維症の原因は、近年では未知の原因による肺胞上皮細胞の繰り返す損傷とその修復・治癒過程の異常が主たる病因・病態と考えられています。また、全ゲノム連鎖解析により中心的な細胞としてII型肺胞上皮細胞が注目され、その機能に関与する遺伝子異常が報告されています。


5. この病気は遺伝するのですか


特発性間質性肺炎とそっくりな病態で家族発生があることが知られています。しかし家族発生が明らかな場合には 家族性 肺線維症として区別します。肺胞を拡げる作用があるサーファクタント蛋白の遺伝子異常の家系に見られる肺線維症の発症年齢は若い傾向がありますが、小児から50歳以降まで病態の程度に応じて様々です。また、上述したように、環境因子に反応しやすい体質は遺伝する可能性もあるので、ご家族に患者さんがいらっしゃったら、喫煙を含めた危険因子は可能な限り避けることが薦められます。


6. この病気ではどのような症状がおきますか


間質性肺炎が存在していても病初期には多くは無症状です。乾性 咳嗽 と呼ばれる痰を伴わない空咳で受診する患者さんもいます。日常生活での 労作時呼吸困難 感などを自覚するときには病気はある程度進行している可能性があるため、はやめに専門施設に紹介してもらうことが重要です。


7. この病気にはどのような治療法がありますか


特発性肺線維症の場合、抗線維化薬(ピルフェニドン、ニンテダニブ)が使用されます。特発性肺線維症は進行性の経過をとりますが、治療薬による治癒が困難なために、進行抑制が現実的な目標となります。いくつかの臨床試験で進行(肺活量の経年低下)を半分に抑える結果が示され、国内外の特発性肺線維症のガイドラインにおいて抗線維化薬の使用が提案(条件付きで推奨)されました。また、抗線維化薬は進行抑制だけでなく急性増悪の抑制効果も示されており、特発性肺線維症の生存期間を延長することが期待されています。ごく軽症で息切れなどの自覚症状がない場合は、喫煙者であればすぐ禁煙し、病態進行の程度を数ヶ月観察することもあります。病態の進行程度(臨床経過)を主治医が理解するためには、それまでの数年間にわたる検診や医療機関で撮影された胸部X線なども重要な情報となります。胸部画像や肺機能、6分間の歩行試験などの検査結果を総合的に判断し、病気の進行を認めるようであれば治療薬を開始します。抗線維化薬には、食欲不振や胃不快感、光線過敏症、下痢などの副作用があるため、内服については主治医の先生とよく相談されることを薦めます。

特発性肺線維症以外の特発性間質性肺炎の場合、ステロイドや免疫抑制薬などが使用されます。軽症や進行に乏しい場合には経過観察することもあります。

また、若いながら呼吸機能の改善が期待できない場合には、一定の厳しい基準を満たすことを確認されたうえで、肺移植の適応も検討されます。

病気が進行し呼吸で酸素を十分取り組めない場合には、 在宅酸素療法 といって日常生活で酸素を吸入する治療法が行われ、必要であれば 呼吸リハビリテーション も行われます。さらに肺病変の影響で心臓の負担が増加している場合( 肺高血圧 )にはその治療もあわせて行います。


8.この病気はどういう経過をたどるのですか


発性肺線維症の経過は個々の患者さんにより様々であるといわれています。一般的には慢性経過で肺の線維化が進行する疾患で、平均生存期間は、欧米の報告では診断確定から28 – 52ヶ月、わが国の報告では初診時から61 – 69ヶ月と報告されていますが、患者さんごとにその差は大きく、経過の予測は困難です。また、風邪の様な症状のあと数日内に急激に呼吸困難となる急性増悪が経過を悪化させることがあります。そのほかの非特異性間質性肺炎や器質化肺炎は一般に治療に良く反応しますが、中には軽快と増悪を繰り返し、徐々に悪化していく場合もあります。また、発症当初は特発性間質性肺炎と診断されても、しばらくしてから膠原病などの原因疾患が明らかになり、原因疾患に対する治療法で間質性肺炎が軽快することもあります。

喫煙歴のある間質性肺炎の患者さん、特に肺気腫を合併した肺線維症の患者さんには肺がんができやすいことが知られていますので、間質性肺炎の病状が安定していても定期的な検査を受けることをお勧めします。

9. この病気は日常生活でどのような注意が必要ですか

日常生活では、禁煙とともに、過労・睡眠不足など体に対する負担を減らすような生活を行うよう心がけてください。過食・体重増加は呼吸困難が増強する可能性があり、適正体重を保つことも重要です。一方、間質性肺炎が進行すると体重が減少し、経過が不良となることからバランスのとれた食事により体重を維持してください。
また、感染予防はきわめて重要で、間質性肺炎の急性増悪は上気道感染(風邪のような症状)がきっかけとなることも多いので、冬季においては外出時のマスク着用や手洗い・うがいの励行、インフルエンザの予防接種などが重要です。







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三途の河からの生還

徳洲会野崎病院に意識の無い状態で搬送されたのが丁度2年前。(後のオッカナイの話では完全に駄目と思ったそうである。)

本人は暢気な者で間違いなく幻覚、幻想の世界を確かに彷徨して居た様で後でこんな事を言っている。
『目の前が開き、両岸に花畑の在る河をかんこ船(手漕ぎの小さな船)でかすんで見える船着き場に向けて櫓を進める姿が脳裏に浮かんだ。これが三途の河か・・・。死んでゆく恐怖、寂しさ等の感情の総てを失ったようで思い出せない』
岸に近づくに連れ三人の人達が招いている様に見えた。歓迎している様に見えた姿が近づくにつれ【歓迎する姿ではなく明らかに、来ては駄目だ!来るな!!】と言う3人の仲間、2人は60才代前半、70才代少しで亡くなった昔の良き仲間3人で有る事がハッキリと見て取れた。【理由は解らないが留まった方が良しと思った様な気がする】其れで蘇れたのであろう、恐らく相に違いあるまい。3人の仲間には感謝感謝である。次回は仲間に入れて貰うが『今暫く時間をくれたまえ!!』

 劃してこの世に戻って参りました。少しづつブログも手掛けたいと思っています。
次回は現状報告を致します。


 西国三十三観音霊場 撮り歩き  第五番霊場  葛井寺

 
  第五番霊場  葛井寺は西国三十三観音霊場の中で唯一大阪府内にある霊場であり我が家から一番近くにある霊場である。
 大阪の東南に位置する藤井寺市の街中にある。藤井寺の位置する東南部に広がる河内平野は、飛鳥時代に百済からの渡来人に由って開かれた処と言われており藤井寺市の地名となった葛井寺は、百済からの渡来人葛井氏の氏寺として建てられたと云われている。
 
 大阪阿部野橋駅から近鉄南大阪線準急で13分藤井寺駅で下車、沿線沿いに東へ、踏切脇に記された葛井寺参道の道標に沿い右折、駅前には古くからの商店街が広がっており、門前町として千年以上繁栄してきた歴史が偲ばれる。
 大阪阿倍野駅は2014年3月に竣工した日本で一番高い超高層ビル「アベノはるかす」の一階にある駅舎である。「アベノはるかす」は東大阪市の我が家(11F建マンション7F部)からも良く見える位置にあります。
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                   「アベノはるかす」遠景(借物)
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 我が家(11F建マンション7F部)から写す。
 
 
 霊場の山門としてはちょっと小さいなと思いながら門を潜る。境内に入って直ぐ左手に本堂がある。境内の配置としては変だ。山門から入ると本堂は一番奥に配列されているのが通例なのにと思いつつ手水舎で漱ぎ本堂に詣でた・・・。
 暫く後に気付いたが先ほどの門は山門ではなく出口の西門であった。小さく感じた訳である。

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                 葛井寺の「西門(四脚門)
 豊臣秀頼によって1601年に再建された、現在の葛井寺で最も古い建築物で、重要文化財に指定。
 
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 西門の右側にある寺の歴史と縁起紹介の看板。
 
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                  境内 諸 堂 配 置 図
 
 西門を入ると左右に藤棚があり護摩堂・手水舎と続く・・・
 
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                  藤     棚 (右 側)
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                  手     水     舎
 
 手水で漱ぎ本堂へ・・・本堂手前に護摩堂
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                   護     摩     堂
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                   本尊:不 動 明 王 像
 
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                   本           堂
本堂 - 江戸時代、宝暦3年(1753年)上棟の棟札があり、竣工は安永5年(1776年)である。 
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                   本  堂  外  陣
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 ・ 山号 紫雲山(しうんざん)
 ・ 寺号 葛井寺(ふじいでら)
 ・ 宗派 真言宗御室派(しんごんしゅうおむろは)
 ・ 勅願 聖武天皇(しょうむてんのう)
 ・ 開基 伝 行基(ぎょうき)
 ・ 開創 伝 神亀二年(725年)
 ・ 本尊 十一面千手千眼観音菩薩(国宝)
 
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                  鐘     楼     堂 
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                  専心龍乗観世音菩薩
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                  太     子     堂
 左側に「旗掛けの松」・・・
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                  旗 掛 け の 松
 
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                  修 業 大 師 立 像
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                  観 音 堂 (阿弥陀二十五菩薩堂)
 阿弥陀如来と聖衆来迎二十五菩薩像が安置されている。
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                  観音堂隣の 出  世  地  蔵  尊
 
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                  境内から見た 南  大  門 
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                  南       大       門
 寛政8年(1796年)の上棟、寛政12年(1800年)頃の竣工。入母屋造の楼門(2階建て門)である。
 
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               「阿・吽」の 金 剛 力 士 像
 
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                  略  縁  起  掲  示

 略縁起:
 河内の文化は、飛鳥時代より奈良時代にかけて発展し、当寺葛井寺も百済(くだら)王族「辰孫王」の子孫王氏一族の『葛井給子』が当時の天皇の仏教興降政策に協力し、国家のためと称して創建された。
 永正七年(一五一〇)の勧進帳によると、『聖武天皇』の勅願による2Km四方の七堂伽藍の建立で(当寺所蔵の伽藍絵図によると、金堂・講堂・東西両塔をそなえた薬師寺式の伽藍配置を整えていたと考えられる。)古子山葛井寺(紫雲山金剛琳寺ともいう)の勅号をいただき、その落慶法要には、天皇自ら行幸されたという。
 その聖武天皇が春日仏師(稽文会(けいもんえ)・稽首勲(けいしゅくん)親子)に命じて十一面千手千眼観世音菩薩を成させ、神亀二年(七二五)、三月十八日入仏開眼供養のため藤原朝臣房前卿を勅使に、行基菩薩を御導師として勤められた。(参考資料:HPや西国三十三ヶ所めぐりから抜粋)
 
 
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             御   朱   印

  
  

  西国三十三観音霊場 撮り歩き  第四番霊場  施福寺

 
 
 《お詫び》:粉河寺を書いて以来、気管支喘息の発作が酷く、また空白を造ってしまいました。その間ご訪問戴きました皆様、コメントを戴いた皆様には返事も出来ず汗顔の至りです。
快方に向かいましたので再び取り組みますので何卒ご容赦の程お願い申し上げます。

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 粉河寺の参詣を終えて看板の葛城山方面に向かう。標高凡そ900mの山脈の頂上を横断し大阪府の和泉市に出る山道は可なり険しく「鬼街道」と呼ばれているそうだ。途中トンネル工事の現場に会う、和泉市に通じるトンネルだそうである。
頂きを下り和泉市の掲示板を過ぎ視界が開けてきて暫く走ると「葉菜の森」と云う朝取れ野菜、果物等の市場の前に出た。R170号線から100mほど入った市場である。難病を患い岸和田病院に入院していたポン友の見舞いに行った帰りに何度か立ち寄った野菜市場である。
 
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                   和泉市に向かう「鬼街道」への掲示板
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                   野菜市場の「葉菜の森」風景
  
 R170号線に出れば通い慣れた道である。施福寺は北方面に向かい凡そ3Km行くと槇尾中学校南交差点を右折し下記の図の通り行くと施福寺の麓に出た。
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                   R170号線からの施福寺までの道程
 
 施福寺参道入口近くには参拝者用駐車場や槇尾山観光センターがある。
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                  施福寺参拝者用無料駐車場 
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 参道の入口の槇尾山観光センター。飲料やお土産などを売っている。ここより上には飲み物などを買える場所がないらしいので、飲み物を買っておく必要あり。「うどん、そば」等の簡単な食事もできる。
粉河寺出立以来運転続きで、駐車場にバイクを止め、やれやれ一服とタバコを探すが無い。観光センターで煙草を求めるが「煙草はない」と云う。粉河寺の喫煙場所でPM1:00に吸ったのが最後、3時間余り経つ、是より2時間余り吸えぬのは些か辛い。スモーカーは必ず煙草の確認をされるが良い。
 
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                   施福寺参道の始まり
             「西国霊場第四番梶尾山施福寺」の石柱
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  舗装整備された坂道の参道を10分あまり登ると山門(仁王門)に出る。
 
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                   山      門 (仁王門・楼門)
  この楼門は、弘化二年(1845年)の全山消失した山火事で唯一無事だった門で、施福寺で一番古い建築物ということになる。
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                山門手前左側にある「迎え観音さん」
 
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                阿形と吽形の仁王像(鎌倉時代作)
 一般的な場合(向かって右に阿形、左に吽形)な場合とは逆に安置されています。
 
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 山門(仁王門)を過ぎると小さな広場があり石段の始まり・・・
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          後方から見た  山      門 (仁王門・楼門)

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 山門の後方の広場の左側に「赤い前垂れをした石仏(地蔵菩薩か?)」凡そ30体の石像が可愛らしく並んでいる。
 
 山門から険しい石段の山道が続く・・・
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 弘法大師の姿見の井戸・姿見の井戸に自分の姿が映らない場合3年以内に死ぬという都市伝説があるそうだ。四国八十八か所にもそんな伝説があった様だが・・・・
 
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                 弘法大師御剃髪所跡と愛 染 堂
 弘法大師がここで剃髪し仏門に入ったとされている。

 >実は施福寺には、若き空海が師と仰いでいた奈良・大安寺の僧、勤操大徳が住んでいたんです。空海に出家を勧め、剃髪したのもこの勤操。
虚空蔵菩薩求聞持法を授けたり、空海に入唐のきっかけを与えたのも、この勤操の力によるところが大きかったのだそうです。
日本に帰って来てからも、再び施福寺に籠り、真言宗の開宗のために13年間修行をしています。お堂には愛染明王と勤操大徳、空海の肖像が祀られているそうです。  引用元は 寺社巡り.com 

  
 
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 境内までの最後の石段・下に見えるのが愛 染 堂。
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                  弘 法 大 師 御 髪 堂 
 石段の途中左側にある。大師の髪が埋められているそうだ。
 
 愛染堂を起点にした最後の階段を登り切るとヤット境内である。
左側に本堂の一郭と「西国第四番 槇尾寺」の石柱が見え・右側に手水場がある。
 
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                本堂の一郭と「西国第四番 槇尾寺」の石柱
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                吐 水 竜 の  手    水    場
 手水で身を清め本堂へ・・・・
 
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                 施  福  寺  本  堂 
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 ・ 山号 : 槇尾山(まきのおさん)
 ・ 寺号 : 施福寺(せふくじ)
 ・ 宗派 : 天台宗
 ・ 勅願 : 欽明天皇
 ・ 開基 : 行満上人
 ・ 創建 : 欽明年代(6世紀中庸)
 ・ 本尊 : 弥勒菩薩坐像。(観音霊場としての本尊は十一面千手千眼観音菩薩立像)
 ・ 札所 : 西国三十三カ所観音霊場第四番札所

「御本尊公開中」の時に当たり幸運であった。拝観する・拝観料¥500也
 
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                  御本尊 弥  勒  菩  薩  
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                  右側の 文  殊  菩  薩 
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                  左側の 十 一 面 観 音 像
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                  馬  頭  観  音  像
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                  白   馬   像 
 途絶えていた西国巡礼を、平安時代に復興させた花山法皇が、この施福寺を巡礼された際、どこからともなく馬が現れて道案内をした、という説話があるそうです。
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                   境内にある 白   馬   像
 
 境内は思いのほか狭く堂宇も少なく鐘楼もない。
 
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                  境内左側の 観   音   像
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                  境内右側の 観   音   像
 
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           観  音  堂 (西国三十三か所観音様が祀られている)
  
 「略縁記」 
 通称槇尾寺(まきおでら、まきのおでら)。槇尾山の山腹に位置する。仏教伝来から間もない六世紀頃、欽明天皇の病気治癒の勅願により、行満上人(ぎょうまんしょうにん)によって開かれ、弥勒菩薩を安置したのが寺のはじまりとされる。行基菩薩もここで修行したと伝えられ、また、弘法大師はここで剃髪(ていはつ)したとされている。役の小角(えんのおづの:役行者)、行基菩薩らの山岳修行の道場であり弘法大師 空海が勤操大徳(ごんそうだいとく:空海の師)について出家得度(しゅっけとくど:正式な僧侶となること)した寺と有名です。施福寺は、平安時代まで修行の寺として繁栄し、全盛期には千近い堂宇が立ち並ぶほどでした。しかし、天正9年(1581)に織田信長の兵火にあい焼失。豊臣秀頼の寄進によって復興し、その後は徳川家の庇護も受けて繁栄を取り戻し、真言宗から天台宗に改宗、江戸の寛永寺の末寺となりました。
 
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                  御   朱   印
 御朱印の日付に平成二十七年十一月十三日とあるは、前回参詣した時に戴いた御朱印です。




 
 
                  
            

 

 西国三十三観音霊場 撮り歩き  第三番霊場  粉河寺

 
 《お詫び》:を書いて以来、4ヶ月余りもご無沙汰致しました。
スランプに陥りもう辞めようかと思ったこともありましたが、再度挑戦することと致しました。またご訪問くださいますようお願いいたします。 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 
 5月2日粉河寺に向かいバイクで自宅を出発AM8:00。200mも走るとR170(国道)に出る。堺、河内方面へ向け南下する。
凡そ30Km走るとR371高野街道がありR170から左折。凡そ25Kmで橋本市を縦断するR24に出る。高野街道を右折しR24に車線変更する。粉河寺は下図が示す通り。
 
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                粉河寺近くの案内図
 
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             粉河駅から粉河寺までの道標                
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            駅から寺まで800m。100m毎に並ぶ 
 
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                         粉 河 寺  大  門 

 宗派:粉河観音宗総本山

 本尊:千手千眼観世音菩薩

 開基:大伴孔子古

 縁起:宝亀元年(770年)大伴孔子古(おおとものくひこ)が本堂の場所に草庵を結び、千手千眼観世音菩薩を本尊としたのがはじまり。鎌倉時代には隆盛を極めたが、天正13年(1585年)豊臣秀吉の根来攻めの戦火にあい全山消失した。現在の堂宇は江戸時代の再建である。
本堂内には八代将軍徳川吉宗が寄進した左甚五郎作「門前の虎」がある。
 
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             山門の「阿吽の金剛力士像」(左) 
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             山門の「阿吽の金剛力士像」右)
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                大 門 「説 明 板」
 
 大門を潜り境内に入ると左に駐輪場と右側に茶屋があり昔の娘さんが威勢の良い呼び込みをしている。「バイクは何処に置けば良いか」 と聞くと、不動堂の前辺りに置いてという。車用駐車場は他にあるようだ、案内板がある。
 
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                不    動    堂
 不動堂の右隣に案内図あり。不動堂は大門をくぐった最初のお堂です。
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                粉 河 寺 案 内 図 
 
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 案内図看板から見た中門までの風景:参道を挟んで左側に堂宇が並び右に清流の小川が続く。
 
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 観音出現の碑です。童男大士に化身した千手観音が出現したそうだ。
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                阿弥陀如来を安置する念佛堂
江戸時代後期の総欅造りの建造物です。
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                聖徳太子を祀る太子堂 
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 手水舎:総高240cm、幅185cmで粉河鋳物師・蜂屋薩摩掾五代目・源正勝1775年の作
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                身代わり 地 蔵 尊

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                粉河寺 中  門 遠望  
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                中            門 
 1832年に建立された中門は四天王を祀っている。
造りは入母屋造、本瓦葺きの楼門で軒まわりまで良質の欅(けやき)を使い、繊細な建物に仕上げている。重要文化財に指定。

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                風  猛  山 の扁額
 紀州十代藩主・徳川治宝候(はるとみ)の直筆。風猛山は粉河寺の山号である。
             
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                多    聞    天 
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                広    目    天
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                持    国    天 
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                増    長    天

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                中         門
 
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 中門を潜ると右側に茶店、左側に若山牧水の歌碑がある。正面に丈六堂がある。

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               牧  水  の  歌  碑
 
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               丈     六     堂
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           丈六堂に安置される阿弥陀菩薩像
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         丈六堂の側の芭蕉の句碑
    『ひとつぬきて うしろにおひぬ ころもがえ』
 
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              本   堂   遠   望
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 本堂前の石段の両側には石段をあがった所との高低差を利用した枯山水蓬莱庭園がある。大きな石と植物を組み合わせたこの庭園は桃山時代の上田重安の作。国の名勝に指定されている。 
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             庭  園  『説  明  板』
 
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                  本             堂
 粉河寺は770年に創建されたが、この本堂は1720年に再建されたものである。江戸時代中期の寺院建築の代表的な建造物で重要文化財に指定されている。
 御本尊・千手千眼観世音菩薩が祀られているが、この御本尊は火災を避けるため本堂の地中に埋められているとのことで御本尊・千手千眼観世音菩薩は秘仏でいまだ公開されたことがない。
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                  本堂の一隅にある納経所
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 前回参詣の折ご朱印を戴いた朱印。(日付は平成27年11月4日)
 
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 本堂の西側にある1760年に建立された宝形造りの千手堂。正面に千手観音、両側の祭壇には紀州藩歴代藩主とゆかりの人々の位牌が安置されている。紀州徳川家の庇護を受けて栄え、千手堂は重要文化財に指定されている。
 
 千手堂を最後に帰路に就く・・・・・・・
 
 大門を潜って直ぐの茶店で遅い昼食を摂るPM1:30。
 店の昔の娘さんに「来る時は、R170号線から高野街道を通りR24号線に入り遣ってきたが、四番札所施福寺に行く近道はないか?」聞くと、「案内板の左の道を暫く行くと広い道路に出る、右に曲がり進むと葛城山方面行きの看板があるのでその道を行くと河内のR170号線に出ます。かなり険しいがオートバイなら大丈夫でしょう」とのこと。
 青洲の里、華岡青洲記念館等の看板を見ながら進む。華岡青洲の出身地のようである。

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 葛城山の看板を見付け左折する。山道はかなり険しい。連休中なのに対向車に余り合わない。
後で知ったが標高は950mあり「鬼街道」と呼ばれるR480号線であった。


 
 
 
 
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