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  西国三十三観音霊場 撮り歩き  第四番霊場  施福寺

 
 
 《お詫び》:粉河寺を書いて以来、気管支喘息の発作が酷く、また空白を造ってしまいました。その間ご訪問戴きました皆様、コメントを戴いた皆様には返事も出来ず汗顔の至りです。
快方に向かいましたので再び取り組みますので何卒ご容赦の程お願い申し上げます。

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 粉河寺の参詣を終えて看板の葛城山方面に向かう。標高凡そ900mの山脈の頂上を横断し大阪府の和泉市に出る山道は可なり険しく「鬼街道」と呼ばれているそうだ。途中トンネル工事の現場に会う、和泉市に通じるトンネルだそうである。
頂きを下り和泉市の掲示板を過ぎ視界が開けてきて暫く走ると「葉菜の森」と云う朝取れ野菜、果物等の市場の前に出た。R170号線から100mほど入った市場である。難病を患い岸和田病院に入院していたポン友の見舞いに行った帰りに何度か立ち寄った野菜市場である。
 
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                   和泉市に向かう「鬼街道」への掲示板
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                   野菜市場の「葉菜の森」風景
  
 R170号線に出れば通い慣れた道である。施福寺は北方面に向かい凡そ3Km行くと槇尾中学校南交差点を右折し下記の図の通り行くと施福寺の麓に出た。
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                   R170号線からの施福寺までの道程
 
 施福寺参道入口近くには参拝者用駐車場や槇尾山観光センターがある。
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                  施福寺参拝者用無料駐車場 
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 参道の入口の槇尾山観光センター。飲料やお土産などを売っている。ここより上には飲み物などを買える場所がないらしいので、飲み物を買っておく必要あり。「うどん、そば」等の簡単な食事もできる。
粉河寺出立以来運転続きで、駐車場にバイクを止め、やれやれ一服とタバコを探すが無い。観光センターで煙草を求めるが「煙草はない」と云う。粉河寺の喫煙場所でPM1:00に吸ったのが最後、3時間余り経つ、是より2時間余り吸えぬのは些か辛い。スモーカーは必ず煙草の確認をされるが良い。
 
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                   施福寺参道の始まり
             「西国霊場第四番梶尾山施福寺」の石柱
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  舗装整備された坂道の参道を10分あまり登ると山門(仁王門)に出る。
 
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                   山      門 (仁王門・楼門)
  この楼門は、弘化二年(1845年)の全山消失した山火事で唯一無事だった門で、施福寺で一番古い建築物ということになる。
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                山門手前左側にある「迎え観音さん」
 
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                阿形と吽形の仁王像(鎌倉時代作)
 一般的な場合(向かって右に阿形、左に吽形)な場合とは逆に安置されています。
 
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 山門(仁王門)を過ぎると小さな広場があり石段の始まり・・・
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          後方から見た  山      門 (仁王門・楼門)

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 山門の後方の広場の左側に「赤い前垂れをした石仏(地蔵菩薩か?)」凡そ30体の石像が可愛らしく並んでいる。
 
 山門から険しい石段の山道が続く・・・
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 弘法大師の姿見の井戸・姿見の井戸に自分の姿が映らない場合3年以内に死ぬという都市伝説があるそうだ。四国八十八か所にもそんな伝説があった様だが・・・・
 
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                 弘法大師御剃髪所跡と愛 染 堂
 弘法大師がここで剃髪し仏門に入ったとされている。

 >実は施福寺には、若き空海が師と仰いでいた奈良・大安寺の僧、勤操大徳が住んでいたんです。空海に出家を勧め、剃髪したのもこの勤操。
虚空蔵菩薩求聞持法を授けたり、空海に入唐のきっかけを与えたのも、この勤操の力によるところが大きかったのだそうです。
日本に帰って来てからも、再び施福寺に籠り、真言宗の開宗のために13年間修行をしています。お堂には愛染明王と勤操大徳、空海の肖像が祀られているそうです。  引用元は 寺社巡り.com 

  
 
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 境内までの最後の石段・下に見えるのが愛 染 堂。
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                  弘 法 大 師 御 髪 堂 
 石段の途中左側にある。大師の髪が埋められているそうだ。
 
 愛染堂を起点にした最後の階段を登り切るとヤット境内である。
左側に本堂の一郭と「西国第四番 槇尾寺」の石柱が見え・右側に手水場がある。
 
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                本堂の一郭と「西国第四番 槇尾寺」の石柱
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                吐 水 竜 の  手    水    場
 手水で身を清め本堂へ・・・・
 
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                 施  福  寺  本  堂 
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 ・ 山号 : 槇尾山(まきのおさん)
 ・ 寺号 : 施福寺(せふくじ)
 ・ 宗派 : 天台宗
 ・ 勅願 : 欽明天皇
 ・ 開基 : 行満上人
 ・ 創建 : 欽明年代(6世紀中庸)
 ・ 本尊 : 弥勒菩薩坐像。(観音霊場としての本尊は十一面千手千眼観音菩薩立像)
 ・ 札所 : 西国三十三カ所観音霊場第四番札所

「御本尊公開中」の時に当たり幸運であった。拝観する・拝観料¥500也
 
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                  御本尊 弥  勒  菩  薩  
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                  右側の 文  殊  菩  薩 
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                  左側の 十 一 面 観 音 像
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                  馬  頭  観  音  像
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                  白   馬   像 
 途絶えていた西国巡礼を、平安時代に復興させた花山法皇が、この施福寺を巡礼された際、どこからともなく馬が現れて道案内をした、という説話があるそうです。
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                   境内にある 白   馬   像
 
 境内は思いのほか狭く堂宇も少なく鐘楼もない。
 
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                  境内左側の 観   音   像
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                  境内右側の 観   音   像
 
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           観  音  堂 (西国三十三か所観音様が祀られている)
  
 「略縁記」 
 通称槇尾寺(まきおでら、まきのおでら)。槇尾山の山腹に位置する。仏教伝来から間もない六世紀頃、欽明天皇の病気治癒の勅願により、行満上人(ぎょうまんしょうにん)によって開かれ、弥勒菩薩を安置したのが寺のはじまりとされる。行基菩薩もここで修行したと伝えられ、また、弘法大師はここで剃髪(ていはつ)したとされている。役の小角(えんのおづの:役行者)、行基菩薩らの山岳修行の道場であり弘法大師 空海が勤操大徳(ごんそうだいとく:空海の師)について出家得度(しゅっけとくど:正式な僧侶となること)した寺と有名です。施福寺は、平安時代まで修行の寺として繁栄し、全盛期には千近い堂宇が立ち並ぶほどでした。しかし、天正9年(1581)に織田信長の兵火にあい焼失。豊臣秀頼の寄進によって復興し、その後は徳川家の庇護も受けて繁栄を取り戻し、真言宗から天台宗に改宗、江戸の寛永寺の末寺となりました。
 
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                  御   朱   印
 御朱印の日付に平成二十七年十一月十三日とあるは、前回参詣した時に戴いた御朱印です。




 
 
                  
            

 

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コメント

§ こんにちは

 ひげ爺さん、こんにちは。道草吾郎です。

 心配していましたが、体調も回復したようで、良かったです。これからはますます寒くなってきますので、引き続き、体調には気をつけてくださいね。

 施福寺は弘法大師が出家した由緒あるお寺なんですね。山の中にあるお寺のようで、厳かな雰囲気が伝わってきます。

 続きも楽しみにしています。

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