ヒゲ爺の独り言
エッセイ、昔の思い出話、釣り魚話、喰らい方等々
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四国撮り歩記 霊場八十八ヶ所巡礼の旅:香川編 82番霊場
第八十二番札所 根香寺 に向かう 大凡 8km。

白峰寺を発ち根香寺に向かう途中で瀬戸大橋が遠望出来た。

瀬 戸 大 橋 遠 望


坂 出 港 と 街 並 み
第八十二番札所 青峰山 根香寺 千手院

山 門 (仁王門)

扁 額


「阿・吽」 仁 王 像
山門を潜り参道を進むと左側に手水場が右には鐘楼、少し進み納経所前を過ぎると本堂への階段が・・・

手 水 場


鐘 楼 堂

納経所前の石段の頂上が本堂への入り口と為っている。

本 堂 入 り 口

入り口から見える本堂の一部
本堂に行くには回廊式前堂の「万体観音堂」を通り抜けぬけねばならない。観音堂には全国の信者が奉納した約三万三千体の観音像が並んでいる。


正面の 阿 弥 陀 如 来


3万3千体の 観 音 像

本 堂



本 堂 内 陣
太子堂・その他堂宇へ・・・

太 子 堂

太 子 堂 内 陣

五 大 堂

五 大 堂 内 陣


六 角 堂・延 命 地 蔵 尊



役 小 角 像
7世紀末に大和国の葛城(木)山を中心に活動した呪術者。生没年不詳。役小角(えんのおづぬ),役君(えのきみ)などとも呼ばれ,後に修験道の開祖として尊崇される。
山門の左側の林の中に牛鬼像がある・・・

牛 鬼 像
『牛鬼伝説』: 江戸時代の初め頃、この地には牛鬼がいて人や家畜に危害を加えていた。そこで弓の名手であった山田蔵人高清に退治を依頼した。高清は3本の弓で見事に牛鬼を退治した。高清は退治した牛鬼の角を切り取り、根香寺に奉納し菩提を弔ったと伝えられている。
本堂・太子堂の参詣を終え境内の大方の散策も終わり納経所で御朱印を戴く・・・

御 朱 印
無事参詣を終えて第83番札所 一宮寺に向かう・・・・・・・合掌 10月10日午前10時55分
『略縁起』
弘仁年間、弘法大師がこの地を巡賜して金剛界曼陀羅の五智如来を感得し、密教相応の霊地とした。その際、それぞれの山に青峰、赤峰、黄峰、白峰、黒峰と名付けたといわれる(この5峰を五色台と呼ぶ)。青峰には華蔵院を建立し、末代修正済度のため五智如来の五大明王である不動明王・降三世明王・軍荼利明王 ・大威徳明王・金剛夜叉明王の五智尊合行護摩供を修行した。天長9年(832年)には智証大師(第八十一番札所 白峰寺の項で説明済)も訪れ、香木で千手観音像を刻んで千手院を創建し、この二院を総称して根香寺と号したという。この香木の根の香りがあまりにも高いことから寺名となり、また、香りが川に流れて香ることから「香川」の県名がつけられたともいわれている。その後、後白河法皇の勅願所となり寺運は隆盛であったが、天正の兵火などで焼失し衰退。江戸時代に高松藩主松平頼重公(第七十六番札所 金倉寺の項で説明済)により再興された。
★ 本尊:千手観音菩薩 (智証大師作) ★ 開基:弘法大師
★ 本尊の真言:おん、ばざら、たまらきりく
◎ 四国遍礼霊場記 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 )(じゃくほん )(翻訳・村上 護) (参考資料として)

空海が土地を開き千手観音像を作って、一堂を建てて安置したことに始まる。智証大師も逗留し、天台・真言両宗兼備の寺となった。鎮守は山王権現。後に天台宗徒が智証大師の御影を作った。小さな二十五条の袈裟が伝えられている。木蘭色で割裁に作っている。空海のものか智証大師のものか分からないが、とにかく常の袈裟とは異なっているという。五寸ばかりの円鏡もある。これもまた、怪しいものだという。
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