ヒゲ爺の独り言
エッセイ、昔の思い出話、釣り魚話、喰らい方等々
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四国撮り歩記 霊場八十八ヶ所巡礼の旅:香川編 84番霊場
第八十四番札所 屋島寺 に向かう 大凡 17km。

第八十四番札所 南面山 屋島寺 千光院

東 大 門
当寺には門が3ヶ所ある。駐車場に近い「東大門」・へんろ道からは「山門(仁王門)」と山門と本堂の間の「四天門」・・・

山 門 (仁王門)
山門の正面に四天門が見える・・・


「阿・吽」 仁 王 像

四 天 門

屋 島 寺 略 歴
四天王像が祀られたいる・・・

持 国 天

広 目 天

増 長 天

多 聞 天
四天門を潜ると右側に鐘楼・手水場があり正面に本堂が建つ・・・

鐘 楼
梵鐘は貞応2年(1223年)の銘がある。総高102cm口径64cm厚さ6cm、青銅の鋳物


手 水 場
手水で身を清め本堂へ向かう・・・

本 堂
入母屋造、本瓦葺き。鎌倉時代の前身堂の部材を用いて元和4年(1618年)建立された。

TXの永野さんと何某さん

扁 額
本堂右側に蓑山大明神が・・・

蓑山大明神と三太郎狸

日本三名狸にかぞえられる。この地で弘法大師が道に迷った時、老人に化けて道案内したという伝説がある。子宝、縁結び、家庭円満などの神様です。
日本三名狸は、日本各地の民話などに登場する化け狸の中でも有名な3匹の狸。
★ 佐渡団三郎狸(新潟県佐渡島)
★ 淡路芝右衛門狸(兵庫県淡路島)
★ 屋島太三郎(やしまのたさぶろう)狸・(屋島の禿狸・香川県屋島)
さらに右側に熊野権現→太子堂→一願不動尊→三体堂→千体堂と続く・・・

熊 野 権 現

熊 野 権 現

七 福 神

太 子 堂

扁 額

内 陣


一 願 不 動 尊

三 体 堂
三体堂には鑑真が祀られている・・・
鑑真は律宗の開祖、天平勝宝6年(754年)に当地を訪れて開創した。

千 体 堂
千体の観音様を祀っている・・・
本堂・太子堂の参詣を終え境内の大方の散策も終わり納経所で御朱印を戴く・・・

納 経 所

御 朱 印
無事参詣を終えて第85番札所 八栗寺に向かう・・・・・・・合掌 10月10日午前13時00分
『略縁起』
天平勝宝6年(754年)に来日した律宗の開祖、★鑑真和上は大宰府を出発して難波へ向かったが、その途中屋島へ立ち寄り、こここそが伽藍建立の聖地と感得して北嶺に普賢堂を建た。その弟子恵雲律師が堂宇を整備して住職となり、これが寺の草創。弘仁6年(815年)には弘法大師が登山し、嵯峨天皇の勅命によって一夜のうちに本堂を建立し、自刻の十一面千手千眼観世音を本尊として安置した。この折、大師は北領にあった伽藍を南領に移したとされる。その後山岳仏教の霊場として盛んであったが、戦乱で衰退し、藩主の援助などで再興されている。本堂は江戸時代に幾度かの大修理が行われ、昭和32年から2年間をかけて昔の古い形に復元されている。
★鑑真和上:律宗の開祖(688~763年)
唐の揚州に生まれ、14歳で出家し、洛陽・長安で修行を積み、713年に故郷の大雲寺に戻り、江南第一の大師と称された。
天宝元年(742年)、第9次遣唐使船で唐を訪れていた留学僧・栄叡(ようえい)、普照(ふしょう)から、朝廷の「伝戒の師」としての招請を受け、渡日を決意。その後の12年間に5回の渡航を試みて失敗、次第に視力を失うこととなったが、天平勝宝5年(753年)、6回目にして遂に日本に到着。
以後、76歳までの10年間のうち5年を東大寺で、残りの5年を唐招提寺で過ごされ、天皇を始めとする多くの人々に授戒をされた。
唐招提寺は鑑真大和上の開基であるが当初は「唐律招提」と名付けられ鑑真和上の私寺として始まり講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけの小さなものであったが、金堂は8世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により、完成したといわれます。
現在では、奈良時代建立の金堂、講堂が天平の息吹を伝える、貴重な伽藍となっています。
★ 本尊:十一面千手観音菩薩 (伝 弘法大師作) ★開基:鑑真和上
★ 本尊の真言:おん、ばさら、たらま、きりく
◎ 四国遍礼霊場記 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 (じゃくほん ) (翻訳・村上 護)) (参考資料として)
孝徳天皇の天平宝字六年十月、唐楊州の鑑真和尚が日本の純朴さを聞いて来朝しようとしていたとき、この山に立った瑞光を遙か船中から目にした。鑑真和尚は船を寄せて、山に登った。老翁が鳩杖をついて出現した。この山は七仏説法の霊場であり、天人仙人が遊んでいる。それだけ言って老翁は姿を消した。和尚は神なびた土地であると感じ、仮に一堂を建て、持っていた普賢菩薩像や法華経・華厳経普賢行願品を納めようとした。そのとき、二聖二天十羅刹女が出現し、いつ果てるともなく次々と霊異を見せた。和尚は、ここで五十七日を過ごした。仏教普及に努め、唐招提寺を建てた後、和尚は仏舎利三粒と菩提樹の数珠を送って寄越した。
五十年後、空海が留まり、一刻三礼して千手千眼観音像を作り、安置した。千手院と称する。
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