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四国撮り歩記  霊場八十八ヶ所巡礼の旅:香川編 86番霊場

  
 第八十六番札所 志度寺 に向かう 大凡 7km。
 
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           第八十六番札所 補陀落山 志度寺
 
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                  山          門 (仁王門)
 仁王門(国指定重要文化財)運慶の力作、仁王像と巨大わらじが迎えてくれる、全国的にも珍しい三棟造りの堂々とした佇まい。本堂とともに讃岐藩主、松平頼重により寄進された。本堂と同様、1670年(寛文10年)頃の建立。
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                  奉納された  大   草   鞋
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            「阿・吽」 仁   王   像 
 
 山門を潜り手水場で身を清め鐘楼・五重塔を左に見て本堂へ向かう・・・
 
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                  手       水       場
 
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                  鐘               楼
 
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                  五       重       塔 
 五重塔 - 高さ33m。1973年から着工され、1975年5月に落成。地元出身の実業家竹野二郎によって寄進された。
四国の五重塔は・31番竹林寺 ・70番本山寺 ・75番善通寺 ・86番志度寺 の4ヶ寺。
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 五重塔には県の有形文化財に指定されている「木造如来形坐像(もくぞうにょらいぎょうざぞう)」が安置されている。
 
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                  本               堂
  寛文10年(1670年)12月20日上棟。高松藩初代藩主松平頼重公が建立。(国指定重要文化財)
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                  本    堂    内    陣
 
 本堂の右側には奪衣婆堂(だつえばどう)・生駒親正墓塔・海女の墓などが・・・
 
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                  奪 衣 婆 堂 (だつえばどう)
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                  奪 衣 婆 堂  内     陣
 奪衣婆(だつえば)というのは、三途の川のほとりにいて、亡者の着物を奪い取る鬼婆のことです。

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                  海    女   の    墓
 天智天皇の時代、藤原不比等が亡き父鎌足の供養に奈良興福寺の建立を発願した。唐の高宗皇帝の妃であった妹はその菩提にと3つの宝珠を船で送ったが、志度の浦で龍神に奪われた。不比等はそれをあきらめきれず、姿をかえて志度の浦へ渡り、土地の海女と夫婦になり一子・房前をもうける。やがて海女は観世音に祈願し、夫とわが子のために命を捨てて龍神から宝珠を取り返したとされる。不比等は海辺の近くに海女の墓と小堂を建てて「死度道場」と名づけた。後に房前は母の追善供養に堂宇を増築し、寺の名を志度寺と改めたといわれる(謡曲「海士」で知られる伝説)
 
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                  生  駒  親  正 墓 塔
 生駒親正は美濃国に生まれ、織田信長に仕え、のち豊臣秀吉に従って戦功をたてた。天正15年(1587年)赤穂6万石から讃岐17万石の領主となる。親正は地元郷士を重用して善政をしき、高松城・丸亀城を築いて、今日の高松の基礎をつくった。慶長8年(1603年)2月13日、78歳で生涯を閉じた。生駒家は志度寺を崇敬し,寺領を寄進したり、定め書を下して当寺の興隆をはかる。
 高松藩初代藩主;生駒親正(1587-1600年)→2代生駒一正(1600-1620年)→3代生駒正俊(1610-1621年)→ 生駒高俊(1621-1640年)生駒騒動で改易される。松平頼重初代(1642-1673年)→2代松平頼常(1673-1704年)と松平時代となる。
 
 本堂の右側には太子堂・三尊仏・閻魔堂などが並ぶ・・・
 
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                  太       子       堂
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                  太子堂向拝(向拝を修正補正)
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                  太  子  堂   内     陣
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                  太  子  堂   扁     額 
 
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                  三       尊       仏 
 高松藩祖松平頼重公が若かりし頃些細なことから三人の近習、甲賀八太夫、甲賀五左衛門、大西主膳に切腹を命じ、若い桜を散らした。それから長い年月が流れた。
晩年の公はこのことを深く後悔し阿弥陀如来、薬師如来、観世音菩薩の三仏を作り、高松市宮脇町のお山ご殿に安置し、朝な夕なに冥福を祈ったという。
元禄15年(1702年)お山ご殿が取りのけになるとき当時の志度寺住職の同性が藩に願い出て、ここ志度寺境内に移転したものである。(さぬき観光協会(現地案内板より))
 
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                  閻       魔       堂 
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                  閻  魔  堂   内    陣
 
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                  薬       師       堂
 
 
 本堂・太子堂の参詣を終え境内の大方の散策も終わり納経所で御朱印を戴く・・・
 
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                  納       経       所
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            御    朱    印
 
 
 無事参詣を終えて第87番札所 長尾寺に向かう・・・・・・・合掌    10月10日午後2時20分
 
 
 『略縁起』
 推古天皇の33年(625年)、観音菩薩の化身といわれる仏師が志度湾に漂流してきた霊木で十一面観音像を刻み『我は★補陀落の観音なり』と告げ、堂宇を建てたのが草創とされる。天武天皇10年(681年)には★藤原不比等が堂宇を増築し、「志度道場」と名づけ、持統天皇76年(693年)には藤原房前が行基とともに堂宇を建立したとされる。後に弘法大師が弘仁年間にこの寺を巡錫した。室町時代には四国管領細川氏が代々寄進を行い繁栄するが、その後戦乱により寺院は荒廃。藤原氏末裔の★生駒親正による支援などを経て、寛文10年(1671年)、高松藩主松平頼重の寄進(本堂・仁王門)など、高松藩・松平氏により再興され、現在に至る。
 
 ★補陀落の観音:補陀落(ふだらく)とは、観世音菩薩の住われる処、あるいは降り立つとされる山である。補陀落山とも言う。伝説によると、インドのはるか南方の海上にあり、八角の形状をした山であるといわれる(観世音思想)阿陀弥(あみだ)信仰が極楽浄土を願うように、観世音信仰ではこの観世音菩薩のいる補陀落山に往生することを願う為に死を覚悟の上、単身小船で補陀落に向けて船出する事を補陀落渡海という。
 
 ★藤原不比等:飛鳥時代から奈良時代初期にかけての公卿。藤原鎌足の次男。文献によっては史(ふひと)と記されている場合もある。「興福寺縁起」、「大鏡」、「公卿補任」、「尊卑分脈」などの史料では天智天皇の「御落胤」と書かれている。
 
  
★ 本尊:十一面観世音菩薩     ★開基:藤原不比等
★ 本尊の真言:おん、まか、きゃろにきゃ、そわか
 
 
  ◎ 四国遍礼霊場記 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 (じゃくほん ))(翻訳・村上 護)   (参考資料として))
 
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行基菩薩が草創だという。本尊の材料となった木は、近江国朽木谷から流れ出たものだ。拾い上げた者に祟りがあるので、皆が次々捨て流したものだった。
 継体天皇の十一年、この浦に寄せた木を、園子尼が数珠で念じて引き上げた。推古天皇三十三年、補陀洛から観音が来訪したため、この木で今の尊像を作ったという。補陀洛を山号とした。寺号の志度は、在所の地名である。縁起には、当初は死度と書いていたという。私は縁起を見ていないので、確かなことは知らない。
 この土地を、房前浦と呼ぶらしい。門前には人々が賑わしく往来しており、背後には海浜を望む。八栗山が雲の上に聳え、真珠島が海に浮かんでいる。境内は広く、木々や泉が清らかだ。
 高堂は、閻魔王のお告げによって建てたそうだ。ゆえに本尊の観音に次いで、閻魔王を崇めている。閻魔像は、通常の形態ではなく、首が十一面観音となっていた。これは閻魔王と観音が一体であることを意味しているという。または、閻魔王が本尊を頂いているとの義を表しているともいう。いずれにせよ、閻魔王と観音の合体を表現している。
 縁起七巻と縁起図絵がある。ほかに宝物として、御衣木記一巻(兼空上人筆)玉贈玉取淡海房前行基伝記一巻(相良殿筆)白杖童子記一巻(世尊寺行房卿筆)当願暮当記一巻(兼空上人筆)阿一上人蘇生記一巻(相良正任筆)千歳童子蘇生記一巻(兼空筆)松竹童子蘇生記一巻。これらの巻物には図絵が添えられている。中でも「御衣木-」の絵は土佐将監の筆による。ほかも土佐流の絵が描かれている。
 玉贈玉取淡海房前行基伝記一巻は、次のような話だ。唐から大織冠・藤原鎌足に玉が贈られたとき、この房前浦で輸送船が暴風に遭い、玉を海に沈めてしまった。嘆いた淡海公・藤原不比等は、この浦まで来て、どうにか玉を取り戻そうと三年を過ごした。そのうち海士の娘と情を通じるようになった。海士の娘は龍の住処に潜入し、玉を取り返した。世上に広く行われている物語だ。藤原房前大臣は、自分が海女の子であることを十三歳の時に知った。後に行基菩薩を連れて、この浦を訪れた。海女のために法華八講を行った。以後毎年、十月十七日から二十三日までの間、執り行ってきた。しかし近年では寺に僧侶が少ないため、規則のみが受け継がれているらしい。堂前の石塔は、海女のために建てたものだという。
 園子尼の堂は、町の中、天野の里にある。近くの堂林は、海女が住んでいた場所。真珠島は、玉を取り返した海女を引き上げた場所だ。真珠島なる名称は、昔大きな真珠が出たことが由来だという。疑う声もある。今は、判断できない。ちなみに、不比等のために玉を取り戻した海女は、程なく死んだ。龍に追いつかれ、自らの乳房を切って、裡に玉を隠した。死を前に海女は、子供・房前を取り立てるようにと言い残した。
 行基菩薩の歌として伝わっているものがある。「潮満ちて島の数そう房前の入江入江の松の村立」。

【近江国高島郡朽木谷は「朽木の杣」として有名で、良材の産地。大日本古文書編年五巻天平宝字六年八月九日の正倉院文書「高島作所漕材注文」からして、古くから中央への材木供給地であったことが窺える。伝承では、日本仏教確立へのメルクマールとなった東大寺建立時の、材木供給地とされている。即ち、件の本尊は、日本仏教に於ける重要な聖地と材を同じくする。逆に言えば、東大寺の材を産出した(とされる)ことが、霊木の産地として朽木が名指しされる理由となっているのだろう】

 

 
 
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