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 高野山に結願報告参拝

  
 結願を終えて一週間後高野山へ結願報告の為参拝に出掛けた。
自宅より300m西向きに走ると大阪中央環状線(R170)に突き当たり左折南行すること凡そ40kmで高野街道(R371)の標識、左折し橋本市経由で九度山を通り一路高野山へ、凡そ80kmである。
高野山へは三度目の参拝慣れた道で日帰りコースである。
 高野山へ結願報告と言うよりも高野山の金剛峰寺に報告と言い換えた方が正鵠を得ているかも知れん。
 
 高野山とは和歌山県北東部に位置する標高1,000m級の山々の八葉の峰(今来峰・宝珠峰・鉢伏山・弁天岳・姑射山・転軸山・楊柳山・摩尼山)の総称であり、高野山と言う山は無い。8つの峰々に囲まれているその盆地は『蓮の花が開いたような』と形容されており、仏教の聖地としては「八葉蓮台」という大変良い場所であるとされており現在その盆地には117もの寺院が点在する日本仏教の聖地と為っている。
 およそ1200年前の弘仁七年(816年)に嵯峨天皇より高野山の地を賜り弘法大師(空海)によって開かれ現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。その中心が金剛峰寺である。
 当寺はは明治2年に豊臣秀吉ゆかりの寺院である★青巖寺と興山寺とを合併し総本山金剛峯寺として現在に至っている。また世界文化遺産の一部として登録されている。
 
 ★青巌寺:青巖寺(剃髪寺)は秀吉が文禄二年(1593年)に豊臣秀吉が母公の菩提寺として建立したもので、豊臣秀次が自刃した場所としても知られている。
 
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                  一の口という奥の院への入り口
 弘法大師様が今現在も入定(生死を超えて人々を救うための修行)をしておられる「奥の院」と一の橋から奥の院までの参道には数々の戦国大名や歴史上の人物の墓がならんでおり高野山最大のみどころです。
 
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 入り口の左側にある手水場で漱ぎ身を清め奥ノ院に向かう・・・

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 奥の院までの参道には巨大杉、檜立ち並び鬱蒼としている。両側には名だたる大藩、武将の墓所が並ぶ、江戸時代の藩の半分の墓所が在るそうだ。
 
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                  豊  臣  家  の  墓 所
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                  織 田 信 長 公 の 墓 所
 
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                  加 賀 藩 前 田 利 家 の 墓

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実際に高野山にも足を運んだ上杉謙信公の霊屋は、豪華な霊廟の建築で重要文化財に為っている。

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                  武 田 信 玄 ・ 勝 頼 の 墓

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                  仙 台 藩 伊 達 家 墓 所

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                  石 田 三 成 の 墓 所
             ひげ爺好みの武将の墓所を掲載(順不同)
 何故高野山には武将・藩の墓所が多くあるのか?
第一に挙げられるのが、高野山という寺社の集う領域が、浄土であるという一種の信仰が存在していたことが第一に挙げられよう。著名な武将の墓所を高野山に作ることによってそれらの人物の成仏を願ったということが挙げられる。
 もう一つが、高野山の側の都合、思惑があったものであるということが考えられます。
平安時代以降荘園などの経済的基盤が優位であった有名仏閣も戦国時代になると、戦国大名などによる荘園侵略が横行し経済的に危機を迎えます。それに対応すべく高野山の各寺院は、各地の有力な武士(戦国大名や武将など)と師檀関係や宿坊契約を結び寺領の保全を図ろうとたのが第二の理由であるとの見方がある。(知恵袋参考)
 
 凡そ20万基もあると云われる墓所を過ぎると愈々奥ノ院の一郭、★御供所(ごくうしょ、ごくしょ、ごごしょ)にたどり着く。
★御供所 - 寺社に属して御供を調える場所(建物)
 
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                  御  供  所  正  面
 御供所(ごくしょ)は、御廟で入定しているとされる弘法大師の食事を作っている場所です。
維那(ゆいな)と呼ばれる仕侍僧が衣服と二時の食事を給仕している。
毎朝、維那(ゆいな)が御供所で食事を作り、まず嘗味地蔵(あじみじぞう)に供えて味見と毒見をしてもらってから、弘法大師御廟に運びます。 大凡1200年続く奥ノ院の行事である。
 
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                  嘗 味 地 蔵(あじみじぞう)
食事のお供えは、生身供(しょうじんぐ)といい、毎日6時と10時30分の2回行われます。  
 
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                   御  供  所 側  面
 納経所も兼ねている。奥之院への奉納もここで取り次ぎして貰える。
 
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                   護       摩       堂
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                   護    摩    堂 一 部

 護摩堂の左側に水向地蔵が並ぶ・・・
 
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 水向地蔵:玉川の清流を背にして地蔵菩薩や不動明王、観音菩薩が並んでおり、総称して水向地蔵と呼びます。 3回水掛祈願をしてから奥の院にお参りするのが習わしだそうです。
 
 護摩堂の納経、水向地蔵祈願、撮影も終わり、御廟のある拝殿に向かおうとした時、芥子色の僧衣を着た可也年配の僧を先頭に若い二人の僧が長持ち状の箱を担いだ列が御廟の方から帰ってきた。芥子色衣の僧が維那(ゆ いな)さんで10時30分の生身供(しょうじんぐ)の儀式が終わった帰りだな・・・と合点がいった。
 
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                  奥の院大師廟にお供えする『御膳』の列
 生身供(しょうじんぐ)の儀式を終えた維那(ゆ いな)さん一行 (10月16日11時16分撮影)
 
 「私がかって高野山で聞いたところでは、維那さんは廟所の中にいる空海の模様をその法弟や息子にさえ他言せず、代々の維那で他言した人はおらず、そのために空海が生前の姿のままで凝然として座っているのか、単に木像があるのか、それともそれらが一切なく、ただ壁と板敷だけの神聖空間があって、二度の食事の膳をささげたり、ひいたりしているのか、その辺りのことは維那をつとめた人以外は、一山の誰もが知らないと言うのである。 「知る必要がないんでもの」 と笑って私の質問を避けた若い僧もあり、その避け方の明るさが印象的であった。」
                            『空海の背景・下』 著著:司馬遼太郎の一説より  

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 樹間の奥が大師廟;此処より奥『禁煙、撮影禁止、飲食禁止』の白表札 。因ってこの先の写真は無い。
 
 太子廟に詣で「四国撮り歩記 霊場八十八ヶ所巡礼の旅」の無事に結願を済ませた報告をして金剛峰寺主殿に向かう・・・
 
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                  金 剛 峰 寺 主 殿 へ の 道                  
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                  山     門     遠     望
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                  山 門 を額にして見る主殿の正面
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                  記   念   に   一   写
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                  金 剛 峰 寺 主 殿 (拝観可)
 1593年に豊臣秀吉が★木食応其(もくじきおうご)に命じて、母の菩提寺として建立させたのが青巌寺。この金剛峯寺はもともと青巌寺であり、明治2年に金剛峯寺と改称されている。そして高野山真言宗の総本山。本坊東西60m、南北70mの規模。
 ★ 木食応其(もくじきおうご):天文5年(1536年)- 慶長13年10月1日(1608年11月8日))は、安土桃山時代の真言宗の僧。字は深覚。近江国の出身。天正13年(1585年)豊臣秀吉が根来寺に攻め込んだ際(紀州征伐)には、客僧でありながら秀吉との和議に臨んだ。その結果、高野山の復興援助を得、秀吉は高野山に金堂や大塔を建立し、高野山の再興にあたった。(ウィキペディア参照)

 拝観は主殿の右側の庫裏から入場、拝観料は¥600。数多くある部屋には何れも著名な絵師(狩野元信、探幽、探斉)の手に因る豪華な襖絵がほどこされており、さながら絵画美術館のようである。但しすべて撮影禁止なので、写真でご紹介できないのは残念。現在の本坊は1863年に再興したものである。
 
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            豊臣秀次自刃の間(柳の間):撮影禁止なのに何故かこの1枚・・・
 
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                  蟠    龍    庭 (写真可)
石庭としては我国最大の庭で、雲海の中で雄雌一対の龍が、奥殿を守っているように表現されているそうだ・・・
 
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                  休       憩       所
 茶菓も戴ける、床面に太子像絵画・曼荼羅など多数・・・
 
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 回廊を歩くうちうら若い女性が裏山の祠に一心にお祈りしている後ろ姿に思わず一写・・・後で知ったが真然大徳廟であった。
 県指定 真然大徳廟:真然僧正は弘法大師の甥にあたり、高野山第二世として56年間従事。昭和63年に真然僧正の舎利器が出土して、ここが真然廟であることが明らかになった。なお、金剛峯寺内回廊から拝見することができる。
 
 金剛峰寺主殿の拝観を終え壇上伽藍に向かう、巡拝・散策・・・
壇上伽藍は、高野山の中核となるエリア。根本大塔、御影堂、金堂、東塔、西塔などの建築物が集まっている。管理しているのは総本山金剛峯寺。伽藍とは平たくいうと「僧侶が修行をする境内」のことだが、主要な建造物が集まった場所を指すときに使われる。
 
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                  根  本  大  塔  遠  望
金剛峰寺から壇上伽藍の東口から訪れると最初に見える根本大塔。右手前に大会堂 (だいえどう)。
 
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                  東          塔(とうとう)
 壇上伽藍の東に位置する東塔は1843年に大火で消失したが、1984年に「弘法大師入定1150年記念事業」で再建。
白河上皇の御願により大治2年(1127年)に創建。焼失再建を繰返し、現在の塔は昭和59年(1843年)に再建された6代目になる。
 
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                  手       水       場
 
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                  根    本    大    塔
 根本大塔(こんぽんだいとう)は空海がおられる奥之院と並んで、高野山の中で最も神聖な場所。空海が高野山を開創するにあたり、この塔を真言密教の根本道場とした。根本道場の高さ約48,5mある多宝塔である。多宝塔としては、日本で最初に建てられたものではあるが、再三の落雷で幾度となく焼失した記録がある。現在の建物は昭和12年(1937年)に再建されたものである。
 
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                  根 本 道 場 前で記念の一写
 
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                  御       影       堂
 御影堂(みえどう)は高野山で最も尊厳を尊ぶ御堂と記されている重要建造物のひとつです。弘法大師(空海)が在世時、弘法大師の持仏堂(じぶつどう)として建てられた御影堂は高野山の宝物(仏像や古文書など)を保管する場所でもあった。
 持仏堂だった御影堂が御影堂と呼ばれるようになった由来は真如親王(しんにょしんのう)によって描かれた弘法大師の御影を安置した事から御影堂と呼ばれるようになった。堂内外陣には十大弟子の肖像が大師の御影を守護するように掲げられている。
 
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                  金               堂
 金堂は高野山が開かれた当時は講堂と呼ばれていた。平安時代半ばから、高野山の総本堂としてとても重要な役割のある建物である。現在の金堂は7度目の再建で昭和7年(1932年)に完成。
 
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                  鐘               楼
 「高野四郎」と呼ばれる大鐘。日本で四番目に大きい鐘だったそうだ。
 
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                  不    動    堂 (国宝)
 勝上上人の建立と伝わる不動堂。 檜皮葺(ひわだぶき)の屋根を持つ不動堂は鎌倉時代の書院造り様式。建久8年(1197年)ないしは建久9年(1198年)の建立。明治32(1899年)年に国宝に指定された。不動堂の歴史や使用目的など不明な点があり、謎の多き建物だと記されている。しかし、古来より内部に、運慶作の八大童子像と本尊不動明王が祀られていたことから、「不動堂」と呼ばれている。
 
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                    孔 雀 堂 ・ 准 胝 堂
 孔雀堂:後鳥羽上皇の命により建立された。 正治二年(1200年)に安置された本尊の孔雀明王像は快慶の作で、重要文化財に指定されている(霊宝館所蔵)。 孔雀堂の建物は昭和元年の大火で焼失、昭和58年(1983年)に再建されたものである。
 
 准胝堂:平安時代中期の天禄4年(973年)頃、准胝観音を本尊とするお堂がこの場所に建てられ、准胝堂となる、現在の准胝堂は明治16年(1883年)の再建。

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                  西               塔
 伽藍の西北隅に位置する多宝塔は壇上伽藍の根本大塔につぐ2番目に高い建物です。
仁和3年(887年)創建、五度の消失と再建を繰り返し、現存の建物は天保5年(1834年)に建立された。高さは27,27m、内部には金剛界大日如来(重要文化財)と胎蔵界四仏が安置されている。
 
 壇上伽藍の大方の塔・堂を参拝しおえて四国巡礼結願報告を終了することと致します。
 
 四国各所でお世話に為った人達に改めて謝意して八十八箇所を無事に巡拝出来た事を感謝しながら『般若心経』を唱え、納経を済ませて漸く『四国撮り歩記 霊場八十八ヶ所巡礼の旅』を完結出来たことを感得した。ヒゲ爺ブログ四国編にアクセスして戴いた皆様にも謝しながら閉じます。

               南 無 大 師 遍 照 金 剛 
                          合     掌
 


       
   
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