ヒゲ爺の独り言
エッセイ、昔の思い出話、釣り魚話、喰らい方等々
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ひげ爺の独り言 放言 小噺 「半世紀年前を回顧」
「半世紀年前を回顧」
昭和30年の高2の夏休み直前、国語教師の塩沢某先生が教室に入る為り黒板に
To be or not to be That is a question. と書き何と訳しますか?と聞いた。
英語のの得意な何某君が「生きるべきか、死すべきかそれが問題だ」と高校生らしい答えをした。何某先生は黒板に「永ろうべきか、はたはまた、永ろうべきにあらざるか、ここが思案のしどころぞ。」と書き坪内逍遥の訳であり、この美文調はシェクスピアを読んだこともない人々にも「To be or not to be」は広まったと説明、やおら、これを踏まえて
TO BE TO BE TEN MAID TO BE これは何?ああでもなし、こうでもないと
思案の末クラス全員お手上げ、「前文に捉われ過ぎるから解らないんのでローマ字で読んだら如何なる?」ときた、「とべとべてんまでとべ」大笑いであった。ではもうひとつ
You might think do today`s hot fish! は、これはローマ字ではなさそうだが全員お手上げである。「言うまいと 思えど今日の あつさかな!」だそうだ、また大笑い。
「夏は暑いものです。負けず頑張りましょう!!」と授業を始めた。
当時には、クーラーなど有ろう筈も無く学校の「涼」は窓を開けるだけ、「夏は暑くて当然」と子供の時から皆が体験している所為か特別苦にならなかった様に記憶している。
ヒゲ爺は兵庫の但馬から鳥取まで1時間の列車通学をしていたが、その間トンネルが10箇所あり石炭列車の煙も厭わず窓を開け僅かの涼で満足していたものだ。
昨今は如何だ!電力不足の節電計画でクーラーの設定温度28度は高過ぎる等と不平タラタラらしい。日本には四季があり、本来の日本人の身体は四季折々の天候や気温に適応出来るようDNAに刻まれている筈、団扇と打ち水、蚊取り線香、縁台と褌、足水で酷暑の夏を乗り切れた筈、扇風機で歪み、クーラーで完全にDNAが壊れたのかも知れん。
「一億総クーラー依存症」の時代なのかも知れない。病気になれば治療は付き物、この際本格的に治療に専念してみたら如何かな!
昔から「病は気から」と言われているが、正にその通り、クーラー依存症の妙薬など医者の薬に有る筈も無く「自分の気の鍛錬と工夫」と「夏は暑くて当たり前」と身体に覚えこませること以外の治療法は無い。
ヒゲ爺の工夫の一端:
①「夏は暑くて当たり前」を念頭に、暑さに負けないぞの「気」を養い、暑さの愚痴は禁句。
②日頃から体力を付ける運動→ヒゲ爺の場合、ウオーキング、ストレッチ等(2~3時間)平常ウオーキングは朝か夕方に行うが、夏季には敢えて昼中に行う、暑さに立ち向かう「気」を養う為。昼中行軍と呼び訓練の積りである。(昼中行軍は奨めない、ウオーキングはご自分の体力に応じて)
③暑気払いに良しとされる「梅シロップ」「赤紫蘇ジュース」を自分で作り常飲、ロック、麦茶、焼酎割りで。自分で造ることも肝要、立ち向かう「気」養成に繋がる所以である。造り方はネットの「梅シロップ」「赤紫蘇ジュース」の項を参照されたし。ミネラル補給。一日梅干1~2個摂取する。
④ふんどしの着用。蒸れること無く快適、ひたたれはタオルの役目も果す。ガーゼ、ティッシュの役目も果せる相だが、ここ数年使ったことが無い。
縁台の ふんどしすがた へぼ将棋
うちみずと うちわと蚊やり 夕涼み
昔の田舎の夏に打ち勝つ風物詩の一片とご覧下され、若い人には到底出来まいがね。
「一億総クーラー依存症」の3~4割でも回復に向かえば大飯原発の停止も可能では無いかと思ったりしている。
ヒゲ爺のパソコン部屋は本箱とつり道具等の雑具に占領され通り道のみと狭く、その上真西向きで西陽が強く止む無くウインドウファンは使っているが居住区のクーラーは一度も使っていない。大阪は真夏日続きだがオッカナイもへそ天で寝ている。
意識一つで乗り切れるもんさ!!
「閑話休題」
塩沢先生授業は最後に「海は母なり母は海なり」と言う名言がる。夏休みを大切にして海を楽しみ、母と語らう夏休みにして下さい。今期の授業終わり。
海の字には「母」がありフランス語のLa merは海でla mèreは母で海の中に母がいる。海は産みに通じ、万物の源を創った海と母の尊さの意味を日本もフランスも共有しているのだと気付いたのは後年のことである。
昔の話を思い出し書いている内に海、暑さ、夏休み等々で目覚めた所為か海、魚、釣り等思い出してしまったので「三の字考」を中断夏らしい話題に変えることにする、以後宜しく。
武田信玄の帰依する、甲斐(かい)の恵林寺の快僧快川禅師が信長の火攻めに会い
「心頭を滅却すれは火もまた涼し (滅却心頭火自涼)」言い残し逍遥として死んだ。
三途の川を渡り、閻魔大王の前に引き出された時、
閻魔大王「快川よ!熱かったろう」
快川「はい、死ぬかと思った!」
後が宜しいようで!
昭和30年の高2の夏休み直前、国語教師の塩沢某先生が教室に入る為り黒板に
To be or not to be That is a question. と書き何と訳しますか?と聞いた。
英語のの得意な何某君が「生きるべきか、死すべきかそれが問題だ」と高校生らしい答えをした。何某先生は黒板に「永ろうべきか、はたはまた、永ろうべきにあらざるか、ここが思案のしどころぞ。」と書き坪内逍遥の訳であり、この美文調はシェクスピアを読んだこともない人々にも「To be or not to be」は広まったと説明、やおら、これを踏まえて
TO BE TO BE TEN MAID TO BE これは何?ああでもなし、こうでもないと
思案の末クラス全員お手上げ、「前文に捉われ過ぎるから解らないんのでローマ字で読んだら如何なる?」ときた、「とべとべてんまでとべ」大笑いであった。ではもうひとつ
You might think do today`s hot fish! は、これはローマ字ではなさそうだが全員お手上げである。「言うまいと 思えど今日の あつさかな!」だそうだ、また大笑い。
「夏は暑いものです。負けず頑張りましょう!!」と授業を始めた。
当時には、クーラーなど有ろう筈も無く学校の「涼」は窓を開けるだけ、「夏は暑くて当然」と子供の時から皆が体験している所為か特別苦にならなかった様に記憶している。
ヒゲ爺は兵庫の但馬から鳥取まで1時間の列車通学をしていたが、その間トンネルが10箇所あり石炭列車の煙も厭わず窓を開け僅かの涼で満足していたものだ。
昨今は如何だ!電力不足の節電計画でクーラーの設定温度28度は高過ぎる等と不平タラタラらしい。日本には四季があり、本来の日本人の身体は四季折々の天候や気温に適応出来るようDNAに刻まれている筈、団扇と打ち水、蚊取り線香、縁台と褌、足水で酷暑の夏を乗り切れた筈、扇風機で歪み、クーラーで完全にDNAが壊れたのかも知れん。
「一億総クーラー依存症」の時代なのかも知れない。病気になれば治療は付き物、この際本格的に治療に専念してみたら如何かな!
昔から「病は気から」と言われているが、正にその通り、クーラー依存症の妙薬など医者の薬に有る筈も無く「自分の気の鍛錬と工夫」と「夏は暑くて当たり前」と身体に覚えこませること以外の治療法は無い。
ヒゲ爺の工夫の一端:
①「夏は暑くて当たり前」を念頭に、暑さに負けないぞの「気」を養い、暑さの愚痴は禁句。
②日頃から体力を付ける運動→ヒゲ爺の場合、ウオーキング、ストレッチ等(2~3時間)平常ウオーキングは朝か夕方に行うが、夏季には敢えて昼中に行う、暑さに立ち向かう「気」を養う為。昼中行軍と呼び訓練の積りである。(昼中行軍は奨めない、ウオーキングはご自分の体力に応じて)
③暑気払いに良しとされる「梅シロップ」「赤紫蘇ジュース」を自分で作り常飲、ロック、麦茶、焼酎割りで。自分で造ることも肝要、立ち向かう「気」養成に繋がる所以である。造り方はネットの「梅シロップ」「赤紫蘇ジュース」の項を参照されたし。ミネラル補給。一日梅干1~2個摂取する。
④ふんどしの着用。蒸れること無く快適、ひたたれはタオルの役目も果す。ガーゼ、ティッシュの役目も果せる相だが、ここ数年使ったことが無い。
縁台の ふんどしすがた へぼ将棋
うちみずと うちわと蚊やり 夕涼み
昔の田舎の夏に打ち勝つ風物詩の一片とご覧下され、若い人には到底出来まいがね。
「一億総クーラー依存症」の3~4割でも回復に向かえば大飯原発の停止も可能では無いかと思ったりしている。
ヒゲ爺のパソコン部屋は本箱とつり道具等の雑具に占領され通り道のみと狭く、その上真西向きで西陽が強く止む無くウインドウファンは使っているが居住区のクーラーは一度も使っていない。大阪は真夏日続きだがオッカナイもへそ天で寝ている。
意識一つで乗り切れるもんさ!!
「閑話休題」
塩沢先生授業は最後に「海は母なり母は海なり」と言う名言がる。夏休みを大切にして海を楽しみ、母と語らう夏休みにして下さい。今期の授業終わり。
海の字には「母」がありフランス語のLa merは海でla mèreは母で海の中に母がいる。海は産みに通じ、万物の源を創った海と母の尊さの意味を日本もフランスも共有しているのだと気付いたのは後年のことである。
昔の話を思い出し書いている内に海、暑さ、夏休み等々で目覚めた所為か海、魚、釣り等思い出してしまったので「三の字考」を中断夏らしい話題に変えることにする、以後宜しく。
武田信玄の帰依する、甲斐(かい)の恵林寺の快僧快川禅師が信長の火攻めに会い
「心頭を滅却すれは火もまた涼し (滅却心頭火自涼)」言い残し逍遥として死んだ。
三途の川を渡り、閻魔大王の前に引き出された時、
閻魔大王「快川よ!熱かったろう」
快川「はい、死ぬかと思った!」
後が宜しいようで!
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