ヒゲ爺の独り言
エッセイ、昔の思い出話、釣り魚話、喰らい方等々
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ひげ爺の独り言 放談 小噺 『紅葉狩り』 清水寺&南禅寺
10日余り多忙の為ブログの更新が出来ませんでした。訪問して戴きました皆様に深くお詫び申し上げます。
終の棲家と決めているマンションの自衛消防隊の発足と第一回消防訓練の実施(25日実施済み)と花壇の冬支度等々で忙しくしていた次第です。
一段落ついたので更新に努めます故又訪問して下さい。
『但馬地方の冬の珍味』を打ち止めし次回は『山陰海岸国立公園の海』名所、旧跡、温泉等々を紹介するコーナーを企画しています故少々お待ち下さい。
一息着けたのでオッカナイ(オツ家内)との毎年の約束である「紅葉狩り」に行って来た。飛び入りでその報告です。
清水の舞台の名で知られる『清水寺の紅葉』

五条坂バス停で下車し山手の向かう可也急勾配の坂を登ると清水寺の山門の一部と塔中が見えてきた。路の両サイドから電線が垂れ下がり折角の景観を台無しにしている。「観光都市世界文化遺産を謳う京都市さん」何とか為らんですかね?地中に埋めるとか方法は有ると思うが如何か!


仁王門と三重塔;この辺りには紅葉の気配は無い
「仁王門」は室町時代の建築であるが応仁の乱で焼失し、15世紀末に再建された。新しく見えるのは平成15年(2003年)に解体修理が完了しているためでる。

「三重塔」は承和14年(847年)に嵯峨天皇の皇子の誕生にあたり創建されたと伝えられている。現存の塔は寛永9年(1632年)に再建されたものといわれている。塔は昭和62年(1987年)に解体修理されている。左は「経堂」

「西門」は寛永8年(1631年)に再建されたものといわれている。

本堂近くに来たら漸く目の前に紅葉の景色が開けた;子安塔を遠望出来る

子安塔の拡大写真;「子安塔」は★坂上田村麻呂の娘春子が皇子葛井親王の誕生を祝って建てたと伝えられている。後に三代将軍家光に因って寛永年間に再建された。現在改修工事中である。
★坂上田村麻呂(758~811年);
平安初期の武将、征夷大将軍。桓武・平城・嵯峨の三天皇に仕え、正三位大納言に昇る。780年京都に清水寺を建立。蝦夷征伐に功ありをした武人で、智の菅原道真、武の田村麻呂と言われている。

本堂内
「清水の舞台」から下を見ると・・・・


音羽の滝に集う人たち;霊験新たかな万病に効く霊水と言われているがサテ?



本堂(清水の舞台を遠望)




舞台の下からの写真

舞台構築図(借り物写真図)


帰りの道すがら
清水寺から南禅寺に移動の途中にオッカナイが「モミジとカエデ」の違いは?どうなん?と聞いてきた。さてと思案の末「大きい葉っぱがモミジで小さな葉っぱがカエデじゃあないかなぁ」と答えたがそれで良かったどうか不安で調べてみた。(後で間違いに気付く)
モミジは「紅葉」と書き「もみじ、こうよう」と時として読み替え、表現も色々、①「もみじ(紅葉)の様な子供の手」②「全山もみじ(紅葉)する」③「全山こうよう(紅葉)の海」等々あるが
「紅葉(こうよう)」と言う場合は秋に野山の木々(落葉樹)が冬に備えて落葉する前に紅や黄色や橙色に葉の色が変わること、変わった状態を総称して言うのであって木の葉の名前では無い。
「紅葉(もみじ)」と言うのは紅葉(こうよう)した木の葉の中でひときわ紅色の目立つ紅葉の仲間で、カエデの仲間の総称として「紅葉もみじ」と呼ぶのだそうである。
紅葉(こうよう)、黄葉する代表格の木には;(紅葉)カエデ類、ハナミズキ、ユーカリ、ハゼノキ、クスノキ等々(黄葉)イチョウ、サンショウ、カラマツ、シロモジ等々がある。
植物学的にはモミジもカエデも「カエデ」と言い、どちらも分類上カエデ科のカエデ属の植物でありモミジという科や属は無い。
一般的にはカエデの仲間の特にきれいな仲間(子供の手のような葉の形の葉)をモミジと区別して呼んでいる。
但し園芸や盆栽の世界では葉の切れこみ数、切れこみ具合によって明確に区別しています。
イロハモミジ、ヤマモミジ、オオモミジなど葉が5つ以上に切れ込んで掌状のものをモミジと呼び、それ以外のトウカエデ(切れ込みが3つのもの)などをカエデと呼んでいる。


真っ赤に紅葉したモミジ

紅く紅葉したカエデ
「紅葉狩り」の参考に為れば幸甚。ソロソロ終わりの頃ですか・・・・・。
『南禅寺の紅葉』
南禅寺の正式名称は「太平興国南禅禅寺」といい、臨済宗南禅寺派の大本山である。
清水寺を終えて市バスで「南禅寺永観堂道」下車し、去年の紅葉狩りで永観堂は拝観済みの為門前を通り過ぎ白塀に沿って南下凡そ6~7分で南禅寺の参道に着いた。

永観堂の白壁沿いの紅葉;ご多分に漏れず清水寺近辺と同じく多数の電線が垂れ下がり景観を台無しにしている。

南禅寺三門遠望;この三門は歌舞伎〔楼門五三桐〕での石川五右衛門の名セリフ〔絶景かな、絶景かな〕で知られている。

普通寺院では山門と呼ぶが当寺では三ヶ所入り口が有るので三門と言うのであろう。

本堂の遠望すると多少の紅葉を見ることが出来るが・・・・・・

本堂に近づくと全くと言って良いほど紅葉は終わっていた。寺男さん達が「今年の紅葉は終わりですよ!」と言わんばかりに木の下の落葉を掃いている。

「落ち葉も紅葉の景色の一つ」だと言うのに残念!(写真は一昨年行った永観堂の写真)

境内にある水路閣;ローマの水道橋を手本に建造された「琵琶湖疎水」の一部で琵琶湖疎水とは明治時代に琵琶湖から京都に引かれた水路のこと。

「琵琶湖疎水」(この写真は借り物)
南禅寺は全くの思惑外れ、2週間は遅かった様だ、写真も少ないし名物の湯豆腐も食べずに帰った。後で調べると、あの辺りは、永観堂、南禅寺、哲学の道、銀閣寺等々の見所が密集しているらしい、来年に再度挑戦してみようと思いつつこの編を閉じます。
終の棲家と決めているマンションの自衛消防隊の発足と第一回消防訓練の実施(25日実施済み)と花壇の冬支度等々で忙しくしていた次第です。
一段落ついたので更新に努めます故又訪問して下さい。
『但馬地方の冬の珍味』を打ち止めし次回は『山陰海岸国立公園の海』名所、旧跡、温泉等々を紹介するコーナーを企画しています故少々お待ち下さい。
一息着けたのでオッカナイ(オツ家内)との毎年の約束である「紅葉狩り」に行って来た。飛び入りでその報告です。
清水の舞台の名で知られる『清水寺の紅葉』

五条坂バス停で下車し山手の向かう可也急勾配の坂を登ると清水寺の山門の一部と塔中が見えてきた。路の両サイドから電線が垂れ下がり折角の景観を台無しにしている。「観光都市世界文化遺産を謳う京都市さん」何とか為らんですかね?地中に埋めるとか方法は有ると思うが如何か!


仁王門と三重塔;この辺りには紅葉の気配は無い
「仁王門」は室町時代の建築であるが応仁の乱で焼失し、15世紀末に再建された。新しく見えるのは平成15年(2003年)に解体修理が完了しているためでる。

「三重塔」は承和14年(847年)に嵯峨天皇の皇子の誕生にあたり創建されたと伝えられている。現存の塔は寛永9年(1632年)に再建されたものといわれている。塔は昭和62年(1987年)に解体修理されている。左は「経堂」

「西門」は寛永8年(1631年)に再建されたものといわれている。

本堂近くに来たら漸く目の前に紅葉の景色が開けた;子安塔を遠望出来る

子安塔の拡大写真;「子安塔」は★坂上田村麻呂の娘春子が皇子葛井親王の誕生を祝って建てたと伝えられている。後に三代将軍家光に因って寛永年間に再建された。現在改修工事中である。
★坂上田村麻呂(758~811年);
平安初期の武将、征夷大将軍。桓武・平城・嵯峨の三天皇に仕え、正三位大納言に昇る。780年京都に清水寺を建立。蝦夷征伐に功ありをした武人で、智の菅原道真、武の田村麻呂と言われている。

本堂内
「清水の舞台」から下を見ると・・・・


音羽の滝に集う人たち;霊験新たかな万病に効く霊水と言われているがサテ?



本堂(清水の舞台を遠望)




舞台の下からの写真

舞台構築図(借り物写真図)


帰りの道すがら
清水寺から南禅寺に移動の途中にオッカナイが「モミジとカエデ」の違いは?どうなん?と聞いてきた。さてと思案の末「大きい葉っぱがモミジで小さな葉っぱがカエデじゃあないかなぁ」と答えたがそれで良かったどうか不安で調べてみた。(後で間違いに気付く)
モミジは「紅葉」と書き「もみじ、こうよう」と時として読み替え、表現も色々、①「もみじ(紅葉)の様な子供の手」②「全山もみじ(紅葉)する」③「全山こうよう(紅葉)の海」等々あるが
「紅葉(こうよう)」と言う場合は秋に野山の木々(落葉樹)が冬に備えて落葉する前に紅や黄色や橙色に葉の色が変わること、変わった状態を総称して言うのであって木の葉の名前では無い。
「紅葉(もみじ)」と言うのは紅葉(こうよう)した木の葉の中でひときわ紅色の目立つ紅葉の仲間で、カエデの仲間の総称として「紅葉もみじ」と呼ぶのだそうである。
紅葉(こうよう)、黄葉する代表格の木には;(紅葉)カエデ類、ハナミズキ、ユーカリ、ハゼノキ、クスノキ等々(黄葉)イチョウ、サンショウ、カラマツ、シロモジ等々がある。
植物学的にはモミジもカエデも「カエデ」と言い、どちらも分類上カエデ科のカエデ属の植物でありモミジという科や属は無い。
一般的にはカエデの仲間の特にきれいな仲間(子供の手のような葉の形の葉)をモミジと区別して呼んでいる。
但し園芸や盆栽の世界では葉の切れこみ数、切れこみ具合によって明確に区別しています。
イロハモミジ、ヤマモミジ、オオモミジなど葉が5つ以上に切れ込んで掌状のものをモミジと呼び、それ以外のトウカエデ(切れ込みが3つのもの)などをカエデと呼んでいる。


真っ赤に紅葉したモミジ

紅く紅葉したカエデ
「紅葉狩り」の参考に為れば幸甚。ソロソロ終わりの頃ですか・・・・・。
『南禅寺の紅葉』
南禅寺の正式名称は「太平興国南禅禅寺」といい、臨済宗南禅寺派の大本山である。
清水寺を終えて市バスで「南禅寺永観堂道」下車し、去年の紅葉狩りで永観堂は拝観済みの為門前を通り過ぎ白塀に沿って南下凡そ6~7分で南禅寺の参道に着いた。

永観堂の白壁沿いの紅葉;ご多分に漏れず清水寺近辺と同じく多数の電線が垂れ下がり景観を台無しにしている。

南禅寺三門遠望;この三門は歌舞伎〔楼門五三桐〕での石川五右衛門の名セリフ〔絶景かな、絶景かな〕で知られている。

普通寺院では山門と呼ぶが当寺では三ヶ所入り口が有るので三門と言うのであろう。

本堂の遠望すると多少の紅葉を見ることが出来るが・・・・・・

本堂に近づくと全くと言って良いほど紅葉は終わっていた。寺男さん達が「今年の紅葉は終わりですよ!」と言わんばかりに木の下の落葉を掃いている。

「落ち葉も紅葉の景色の一つ」だと言うのに残念!(写真は一昨年行った永観堂の写真)

境内にある水路閣;ローマの水道橋を手本に建造された「琵琶湖疎水」の一部で琵琶湖疎水とは明治時代に琵琶湖から京都に引かれた水路のこと。

「琵琶湖疎水」(この写真は借り物)
南禅寺は全くの思惑外れ、2週間は遅かった様だ、写真も少ないし名物の湯豆腐も食べずに帰った。後で調べると、あの辺りは、永観堂、南禅寺、哲学の道、銀閣寺等々の見所が密集しているらしい、来年に再度挑戦してみようと思いつつこの編を閉じます。
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