ヒゲ爺の独り言
エッセイ、昔の思い出話、釣り魚話、喰らい方等々
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ひげ爺の独り言 放談 小噺 『山陰海岸国立公園』 ご近所便り
「御火の浦」の東端・餘部(あまるべ)地区に到着。R178線に合流する。
餘部鉄橋はJR山陰本線の鎧駅と餘部駅との間にある鉄橋で全長309.4m、橋脚の高さ41.5mで、トレッスル式鉄橋としては日本一の規模である。鉄橋は、余部集落をまたぎ東西の山に架けられ、東側に東下谷トンネル、西側に餘部駅がある。鉄橋下をR178号線が走っている。
トレッスル式鉄橋とは末広がりに組まれた橋脚垂直要素(縦材)を多数の横斜めの材料を使用して橋桁を支える形式の橋梁で、一般には鉄道橋としての用例が多い。

トレッスル式鉄橋;名映画「戦場に架ける橋」の名場面を彷彿させる橋梁である
明治42年12月着工。アメリカ製の輸入鉄材を使用し、一度九州門司港で国内汽船に積み替え餘部沖まで運び再びハシケ(艀)に積み替えて陸揚げした、8月以降の日本海は荒れる事が多いが積荷から陸揚げまで一度も時化る事は無かったとのエピソードもある。
機械力の乏しい前近代的工法の中にあって、当時最高の技術を駆使。明治45年1月に完成した。明治45年1月28日、試運転を実施。2両連結の機関車が運転され同年3月1日香住~久谷(新温泉町)間の営業が開始され、山陰本線は全通となった。工事には、33万1,000円の費用(現在地に現橋梁と同じものを建設する場合の工事費用概算:42億円)と工夫25万人を要したそうである。
この鉄橋は初代橋梁で平成22年(2010年)まで使用された。
「列車転落事故」
昭和61年12月28日午後1時25分頃、福知山発浜坂行下り回送列車が余部鉄橋を走行中、最大風速約33m/sの突風にあおられて客車7両が約41m下に転落し、水産加工場と民家を直撃しました。この事故により、水産加工場で働く地元の女性従業員5名と車掌1名の尊い生命が奪われ、6名が重傷を負いました。転落したのは、山陰お買い物ツアーの臨時お座敷列車「みやび」の団体用客車。176名の乗客が香住駅で下車した直後の出来事でした。この悲惨な事故をきっかけに、風速による運行規制は25m/sから20m/sとなりましたが、それにより特に冬季に集中して列車の遅延・運休本数 が大幅に増加し、列車運行の安全性と定時制の確保が大きな課題となりました。現在事故現場には、犠牲者の慰霊と、事故が二度と起こることのないようにと願 いを込め、聖観世音菩薩が安置されています。(当時の記事より)

供養の聖観世音菩薩像
橋梁の老朽化の為、弐代目の現橋梁はエクストラドーズドPC橋で、2007年3月からの架け替え工事が始まり2010年8月に完成し供用が始まった。






車窓から観た餘部湾の東側(写真右)の海岸を香住に向けて進む



光の射したかで海面の色が変化

大きなメガネ!!

バームクーヘン?


巣島の南側へ回ると、サザエさんが顔を出す

昔、ミサゴという鷹科の鳥が島のてっぺんに巣をつけたことからこの名が付いた。左端が「鎧の袖」

シャイアン族の斧や弓が飛んできそうなインディアン島

鎧の縅(おどし)のように見えることから「鎧の袖」と呼ばた。高さ約70m、幅200mの断崖(国の天然記念物指定)

春の海 ひねもすのたり のたりかな 蕪村 日本海の5月の海は蕪村の句そのまんま!


丹後の節句;鎧の港に鯉泳ぐ・男児誕生おめでとう!・・・・山の中腹を山陰線の列車が走る

松の緑の美しい島々が整然と並び画面右が兄、左が弟、仲良く並ぶ兄弟赤島

兄弟赤島の近くに姉妹赤島がある・妹島は姉島に隠れて見えない・得てして姉妹はそんなものかなぁ!

春の海にピッタリの沖の松島

磯の松島(弁天島)柱状節理の島;柱状節理とは溶岩が固まって冷えるときに、溶岩の体積が縮むために出来た規則的な割れ目(専門的にいうと節理)のことです。玄武岩など・・。




周 辺 地 図


香住砂岩泥層と呼ばれる層で、漣痕とは、漣(さざなみ)の痕跡。 約2,000万年前、香住区下浜付近一帯は「古浜坂湖」という淡水湖で、その湖底の泥に刻まれた波の跡は礫質の砂の層に覆われていた。 それが地層の中に化石となって残されている。

平島一帯には小動物の足跡が数多く残されている。

象の足跡・・山陰地方に「野生動物パーク」があったとは愉快である。


近くに県立香住高校がある・・・ヒゲ爺の頃は香住水産高校で同級生も2人入学した・・今は普通高校で「海洋科学科」があるそうだ。

1万キロ航海に挑む 兵庫・香住高の漁業実。


香住漁港と漁港全望

『岡見公園』


岡見公園と香住東湾沖を遠望する

公園下の好釣り場・一糸垂らしたいものだ・ゆうすげの花

ユウスゲはキスゲとも呼ばれ、本州から九州に分布する多年草。葉は30~70cm、幅は5~15mmで生育地によって変異が大きい。 葉はW型に脈があり、軟らかい。夏、高さ30~150cm程度の花茎を出し、夕方から黄色の花を咲かせる。

『今子浦』


今子浦海水浴場・写真右にはカエル島

よくぞまあ これまで似るか カエル島



今子浦の「但馬赤壁・千畳敷」と「夕景と落日」
『大引きの鼻』


但馬赤壁を沖合いに向かうと先端にでる・大引き鼻展望台と続く。


「大引き鼻展望台」からのパノラマは絶景!・・眼下に「黒島・白島」が・・・

前方沖合いに「大引き鼻」先端部を見下ろす・・・

東方を望む・柴山港方面へ⇒⇒・・・・・
『柴山港』

柴山港は避難港にも指定されている。海岸線が大きく入り組んでおり、天然の良港として知られている。北前船の時代「風待ちの港」「避難港」として諸寄と並び有名であった。


柴山海岸 風景

日本海側では旭日は撮る機会は少ないが落日は何処で撮っても素晴しい!

大きく入り組んだ湾の先端に部にサザエが蓋をするように「臼ヶ浦島」があり防風と坊波の役目をしている。好釣り場でもあるらしい。
『佐津・安木海岸』



東に竹野・西に香住海水浴場を控えて広い海岸線と砂場には比較的海水浴客の数は少なめ、ゆっくりしたい御仁には「穴場」かも知れない。



佐津海水浴場と同様の「穴場」であろうか!
「餘部・香住編 完」
・・・次編は「円山応挙と大乗寺」を予定・・・
餘部鉄橋はJR山陰本線の鎧駅と餘部駅との間にある鉄橋で全長309.4m、橋脚の高さ41.5mで、トレッスル式鉄橋としては日本一の規模である。鉄橋は、余部集落をまたぎ東西の山に架けられ、東側に東下谷トンネル、西側に餘部駅がある。鉄橋下をR178号線が走っている。
トレッスル式鉄橋とは末広がりに組まれた橋脚垂直要素(縦材)を多数の横斜めの材料を使用して橋桁を支える形式の橋梁で、一般には鉄道橋としての用例が多い。

トレッスル式鉄橋;名映画「戦場に架ける橋」の名場面を彷彿させる橋梁である
明治42年12月着工。アメリカ製の輸入鉄材を使用し、一度九州門司港で国内汽船に積み替え餘部沖まで運び再びハシケ(艀)に積み替えて陸揚げした、8月以降の日本海は荒れる事が多いが積荷から陸揚げまで一度も時化る事は無かったとのエピソードもある。
機械力の乏しい前近代的工法の中にあって、当時最高の技術を駆使。明治45年1月に完成した。明治45年1月28日、試運転を実施。2両連結の機関車が運転され同年3月1日香住~久谷(新温泉町)間の営業が開始され、山陰本線は全通となった。工事には、33万1,000円の費用(現在地に現橋梁と同じものを建設する場合の工事費用概算:42億円)と工夫25万人を要したそうである。
この鉄橋は初代橋梁で平成22年(2010年)まで使用された。
「列車転落事故」
昭和61年12月28日午後1時25分頃、福知山発浜坂行下り回送列車が余部鉄橋を走行中、最大風速約33m/sの突風にあおられて客車7両が約41m下に転落し、水産加工場と民家を直撃しました。この事故により、水産加工場で働く地元の女性従業員5名と車掌1名の尊い生命が奪われ、6名が重傷を負いました。転落したのは、山陰お買い物ツアーの臨時お座敷列車「みやび」の団体用客車。176名の乗客が香住駅で下車した直後の出来事でした。この悲惨な事故をきっかけに、風速による運行規制は25m/sから20m/sとなりましたが、それにより特に冬季に集中して列車の遅延・運休本数 が大幅に増加し、列車運行の安全性と定時制の確保が大きな課題となりました。現在事故現場には、犠牲者の慰霊と、事故が二度と起こることのないようにと願 いを込め、聖観世音菩薩が安置されています。(当時の記事より)

供養の聖観世音菩薩像
橋梁の老朽化の為、弐代目の現橋梁はエクストラドーズドPC橋で、2007年3月からの架け替え工事が始まり2010年8月に完成し供用が始まった。






車窓から観た餘部湾の東側(写真右)の海岸を香住に向けて進む



光の射したかで海面の色が変化

大きなメガネ!!

バームクーヘン?


巣島の南側へ回ると、サザエさんが顔を出す

昔、ミサゴという鷹科の鳥が島のてっぺんに巣をつけたことからこの名が付いた。左端が「鎧の袖」

シャイアン族の斧や弓が飛んできそうなインディアン島

鎧の縅(おどし)のように見えることから「鎧の袖」と呼ばた。高さ約70m、幅200mの断崖(国の天然記念物指定)

春の海 ひねもすのたり のたりかな 蕪村 日本海の5月の海は蕪村の句そのまんま!


丹後の節句;鎧の港に鯉泳ぐ・男児誕生おめでとう!・・・・山の中腹を山陰線の列車が走る

松の緑の美しい島々が整然と並び画面右が兄、左が弟、仲良く並ぶ兄弟赤島

兄弟赤島の近くに姉妹赤島がある・妹島は姉島に隠れて見えない・得てして姉妹はそんなものかなぁ!

春の海にピッタリの沖の松島

磯の松島(弁天島)柱状節理の島;柱状節理とは溶岩が固まって冷えるときに、溶岩の体積が縮むために出来た規則的な割れ目(専門的にいうと節理)のことです。玄武岩など・・。




周 辺 地 図


香住砂岩泥層と呼ばれる層で、漣痕とは、漣(さざなみ)の痕跡。 約2,000万年前、香住区下浜付近一帯は「古浜坂湖」という淡水湖で、その湖底の泥に刻まれた波の跡は礫質の砂の層に覆われていた。 それが地層の中に化石となって残されている。

平島一帯には小動物の足跡が数多く残されている。

象の足跡・・山陰地方に「野生動物パーク」があったとは愉快である。


近くに県立香住高校がある・・・ヒゲ爺の頃は香住水産高校で同級生も2人入学した・・今は普通高校で「海洋科学科」があるそうだ。

1万キロ航海に挑む 兵庫・香住高の漁業実。


香住漁港と漁港全望

『岡見公園』


岡見公園と香住東湾沖を遠望する

公園下の好釣り場・一糸垂らしたいものだ・ゆうすげの花

ユウスゲはキスゲとも呼ばれ、本州から九州に分布する多年草。葉は30~70cm、幅は5~15mmで生育地によって変異が大きい。 葉はW型に脈があり、軟らかい。夏、高さ30~150cm程度の花茎を出し、夕方から黄色の花を咲かせる。

『今子浦』


今子浦海水浴場・写真右にはカエル島

よくぞまあ これまで似るか カエル島



今子浦の「但馬赤壁・千畳敷」と「夕景と落日」
『大引きの鼻』


但馬赤壁を沖合いに向かうと先端にでる・大引き鼻展望台と続く。


「大引き鼻展望台」からのパノラマは絶景!・・眼下に「黒島・白島」が・・・

前方沖合いに「大引き鼻」先端部を見下ろす・・・

東方を望む・柴山港方面へ⇒⇒・・・・・
『柴山港』

柴山港は避難港にも指定されている。海岸線が大きく入り組んでおり、天然の良港として知られている。北前船の時代「風待ちの港」「避難港」として諸寄と並び有名であった。


柴山海岸 風景

日本海側では旭日は撮る機会は少ないが落日は何処で撮っても素晴しい!

大きく入り組んだ湾の先端に部にサザエが蓋をするように「臼ヶ浦島」があり防風と坊波の役目をしている。好釣り場でもあるらしい。
『佐津・安木海岸』



東に竹野・西に香住海水浴場を控えて広い海岸線と砂場には比較的海水浴客の数は少なめ、ゆっくりしたい御仁には「穴場」かも知れない。



佐津海水浴場と同様の「穴場」であろうか!
「餘部・香住編 完」
・・・次編は「円山応挙と大乗寺」を予定・・・
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