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ひげ爺の独り言 放談 小噺 『山陰海岸国立公園』        ご近所便り

 前編末尾の十面の絵画は・池大雅「十便帖のうち釣便図」・国宝 以外は総て与謝蕪村の作品です。

 『与謝蕪村』 
 
 蕪村の俳句で一番好きな句を挙げよ・と云われたら間違いなく下記の句を筆頭に挙げる。
 • 春の海 終日のたりのたり哉
 この句は蕪村が四国讃岐の旅に行く途中須磨の海岸で創る。
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              神戸市須磨浦公園の蕪村の句碑
 で五句では・・・・・・・。
 •  菜の花や月は東に日は西に
 この句は1774年(安永3年)京都東山での連句の発句である。蕪村が摩耶詣の帰途、摩耶山の中腹あたりで想を得て詠んだ句と伝えられている。連句はこう続いている。
 ・ 発句  菜の花や月は東に日は西に   蕪村
 ・ 脇句  山もと遠く鷺かすみ行(ゆく) 樗良
 ・ 第三  渉(わた)し舟酒債(さかて)貧しく春くれて  几菫
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                摩耶山天上寺の蕪村の句碑
 •  牡丹散りて打かさなりぬ二三片
 •  さみだれや大河を前に家二軒
 •  ゆく春やおもたき琵琶の抱心

 芭蕉は蕉風と呼ばれる芸術性の極めて高い句風を確立し、後世では俳聖として名を残した日本史上最高の俳諧師の一人である。大自然の森羅万象を「五・七・五」の短文に纏め上げる詩情性の豊かさは他の追随を許さぬことも間違いあるまい。
 「五月雨を あつめて速し 最上川」芭蕉と「五月雨や 大河を前に 家二軒」蕪村 両句は良く比較されるが前句は詩情性に富み、後句は絵画性に富んだ句だと思う。
異論が多くあろうがヒゲ爺は蕪村を選ぶ、・春の海・・菜の花や・・五月雨や・・牡丹散って・・と読むとその情景が浮かんで来て一服の絵画を見る感じである、だからファンなのかも知れない。

 正岡子規は蕪村評の中でこう述べている・・・。
 「・・百年間空しく瓦礫(がれき)とともに埋められて光彩を放つを得ざりし者を蕪村(ぶそん)とす。蕪村の俳句は芭蕉に匹敵すべく、あるいはこれに凌駕するところありて、かえって名誉を得ざりしものは主としてその句の平民的ならざりしと、蕪村以後の俳人のことごとく無学無識なるとに因(よ)り・・・・」
「・・ 蕪村の名は一般に知られざりしにあらず、されど一般に知られたるは俳人としての蕪村にあらず、画家としての蕪村なり・・・。」
要約すると「・・蕪村の俳句は世に出ていないが、芭蕉の俳句に匹敵するかそれ以上に素晴しい句であるにも関わらず埋もれていたのは蕪村以後の俳人のことごとく無学無識なのが原因だ・・・と詰っている」
子規は蕪村俳句を絶賛し世に知らしめた第一人者である。
 俳人正岡子規の働きで俳人蕪村は復活し、俳画の祖として、南画文人画家の池大雅と並び称され、国宝をはじめ多くの重要文化財の絵画を残している。その一端を紹介する。

 『蕪村略歴』
 享保元年(1716年) - 天明3年12月25日(1784年1月17日))は、江戸時代中期の日本の俳人、画家。
摂津国東成郡毛馬村(ひがしなりごおり けまむら)(大阪市都島区毛馬町)に生まれた蕪村の幼少年期に就いては不明な点が多く研究者の中でも定説が無いらしい。
17~8歳の頃江戸へ下り早野巴人(はじん)の内弟子となり俳諧と漢詩書画を学び江戸俳壇で知られるようになった。1742年(寛保2年)27歳の年に師巴人の死にあい、その後江戸を去る。芭蕉に憧れ「奥の細道」行程の足跡を辿って松島、象潟(きさかた)から奥羽一円に及ぶ修行の旅に出て1751年(宝暦元年)、蕪村36歳の年の秋、十年近い放浪生活を切り上げて京都に上り、しばらく都に居を構える。
在京時代に蕪村は彭城百川(さかきひゃくせん)、池大雅(いけのたいが)らの活躍する新興文人画研究に没頭する。1754年には丹後・宮津に赴き3年半の間、専心画業に精励し『八種画譜』『芥子園画伝(かいしえんがでん)』など中国版本の学習をし、自然そのものに学ぶことによって修正深化し、専門画家としての実力を身につけた。和画よりもいっそう漢画風に重点を置き、山水図、神仙図などを多く描いた。帰洛後姓を与謝氏と改め、結婚して1女をもうけた。また来舶清人(しんじん)沈南蘋(しんなんぴん)の写実的画風を取り入れ、1763年には山水図、野馬図などの屏風(びょうぶ)大作を描いて京洛画壇に高く評価される。 [(蕪村)執筆者:清水孝之参考資料 ]
 ★ 『八種画譜』:中国で出版された画のテキスト(粉本)です。明代末に出版された、8種類の画譜をまとめてこう呼ばれている。
   『芥子園画伝(かいしえんがでん)』:中国・清代に刊行された彩色版画絵手本。古くからの歴代画論に始まり、山水、花鳥などの技法を解説した絵画論として広く普及した。

 丹後より帰京後、讃岐などを歴遊し讃岐丸亀・妙法寺に蘇鉄図襖絵等多くの絵を残している。「菜の花や月は東に 日は西に」の名句も讃岐行きの摩耶詣で途中の創作と言われる。
20歳(?)からの修行の旅に終止符を打ち42歳の頃京都に居を構えた。この頃与謝を名乗るようになる。母親が丹後与謝の出身だから名乗ったという説もあるが定かではない。
45歳頃に結婚し一人娘くのが産まれその後京都で生涯暮らした。
京都市下京区仏光寺通烏丸西入ルの居宅で、天明3年12月25日(1784年1月17日)未明68歳の生涯を閉じた。辞世の句は「しら梅に明(あく)る夜ばかりとなりにけり」である。この辞世の句を題材に描かれたのが蕪村再興の弟子・呉春の描いた「白梅図屏風」である。(前編・呉春・に掲載済)
遺命に従い弟子たちにより金福寺(京都市左京区一乗寺才形町)芭蕉庵のほとりに埋葬された。
蕪村ほどの偉業と実績、多くの絵画など残しながら何故か貧乏だったそうだ。残された妻と娘の生活の援助を呉春等がしたと伝えられている。

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「夜色楼台図(やしょくろうだいず)」2009年国宝に指定された。
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 世界遺産・銀閣慈照寺の方丈に36枚の襖絵を残す。 「棕櫚に叭叭鳥図」
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 銀閣慈照寺の方丈の襖絵・「山水人物図」・何れも国指定の重要文化財である。
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 東京国立博物館所蔵・重要文化財・蕪村筆
 俳人であり、また画家である与謝蕪村は、池大雅とともに日本南画の大成者として名高いばかりでなく、俳画の先駆者としても有名である。
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 十便十宜図・国宝・川端康成記念館蔵。
 日本文人画の大成者といわれる池大雅,与謝蕪村の合作。清初の文人李漁の別荘であった伊園での生活の良さ,便利さを賞賛した詩《十便十二宜詩》の詩意をくんで描いたもので,十便を大雅が,十二宜のうちの十宜を蕪村が描いている。
十宣図は・「宜春」「宜夏」「宜秋「宜冬」「宜暁」「宜晩」「宜晴」「宜風」「宜陰」「宜雨」からなっている。
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 与謝蕪村「十宜帖のうち宜暁図」・国宝 
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 与謝蕪村「十宜帖のうち宜春図」・国宝 
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 与謝蕪村「十宜帖のうち宜晩図」・国宝 
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池大雅「十便帖のうち釣便図」・国宝
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 蕪村が55歳の1770年に制作した「名士言行図」。六曲一双
この絵は数奇な運命を辿っている。1933年(昭和8年)刊の画集「蕪村名画譜」に大津市の男性所蔵として載ったが、以降の所有者、所在についても不明であり研究者も把握していなかった。
広島県廿日市市の「海の見える杜美術館」が4年前、京都市の画商から購入した、未公開であったが2009年確認され公開された76年振りの事だそうだ。

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  東京国立博物館所蔵・重要文化財・蕪村筆
 中国・晋代に41人の名士が蘭亭に集まり、曲水に盃を流してそれぞれに詩を詠んだ場面を描いたものである。その折の詩集「蘭亭集」の序文が書聖「王羲之」によって書かれ、その真筆が唐の太宗の墓に副葬され永遠に失われたにもかかわらず、後世その書を愛した文人によって模写され、宴の模様が絵画の題材となってきたのである。中国の故事に因んだ絵画なので同名の絵画、屏風、書等も有る、東東洋《蘭亭序・蘭亭曲水図屏風》、松村景文《蘭亭曲水図屏風》などの曲水図屏風のほか、中山高陽の《蘭亭曲水図巻》や亀田鵬水の書《蘭亭序屏風》等々。

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 蕪村筆 柳陰漁夫図
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 蕪村筆 角力図
 「負(まく)まじき 角力を 寝ものがたりかな」 (蕪村)
蕪村自身の句をふくめて、五俳人の句が並べてある。芭蕉門下の嵐雪、蕪村と交流のあった柳居と太祇、蕪村の弟子・几董。
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 蕪村筆「紫陽花にほととぎす」自画賛(愛知県美術館(木村定三コレクション)蔵)
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 蕪村筆・
   猫ハ応挙子か戯墨也
      しゃくしハ蕪村か酔画也
        ちいもははも猫もしゃくしもおとりかな  蕪村賛
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 蕪村筆・
詞書に、嵐山の花にまかりけるに俄に風雨しけれは
俳句は、「いかたしのみのやあらしの花衣」 蕪村
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 蕪村筆『又平』・花見を詠んだ俳画。
「又平に 逢うや御室の 花盛り」・・・御室とは、桜の名所仁和寺のこと。
 
 「奥の細道」と蕪村

 月日は百代(はくだい)の過客(かかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老を迎ある者は、日々旅にして、旅をすみかとす。古人も多く旅に死せるあり。・・・・これは有名な松尾芭蕉の「奥の細道」の序文である。高校時代には必ず通る「細道」だからご記憶の方も多かろう・・・が、与謝蕪村筆「奥の細道画巻」は 如何なものかご存知でしょうか・・・これは蕪村が、敬愛する松尾芭蕉の『奥の細道』の全文を書写し、13点の挿画を添えた自筆画巻で、巻末の奥書より安永7年(1778)に兵庫の豪商北風来屯の求めに応じて作成された作品である。
 ★ 京都国立博物館蔵本(安永七年十月本/二巻・重文)
 ★ 逸翁美術館蔵本(同八年十月本/二巻・重文)
 ★ 山形美術館蔵の屏風作品(六曲一隻・重文)
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蕪村筆 「芭蕉翁」
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 与謝蕪村筆 芭蕉坐像図 江東区芭蕉記念館所蔵

 与謝蕪村筆「奥の細道画巻挿絵」
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              「序章」(京都国立博物館蔵)
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              「旅立ち」の章(逸翁美術館所蔵)
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              「旅立ち」の章(京都国立博物館蔵)
 弥生も末の七日、明ぼのゝ空朧々として、月は在明にて光おさまれる物から、不二の嶺幽にみえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。
 行春や鳥啼魚の目は泪
是を矢立の初として、行道なをすゝまず。人々は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄はと見送なるべし。 
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                 「那須野・黒羽・雲巌寺」の章 
 那須の黒ばねと云所に知人あれば、是より野越にかゝりて、直道をゆかんとす。遥に一村を見かけて行に、雨降日暮る。農夫の家に一夜をかりて、明れば又野中を行。そこに野飼の馬あり。草刈おのこになげきよれば、野夫といへどもさすがに情しらぬには非ず。「いかゞすべきや。されども此野は縦横にわかれて、うゐうゐ敷旅人の道ふみたがえん、あやしう侍れば、此馬のとゞまる所にて馬を返し給へ」と、かし侍ぬ。ちいさき者ふたり、馬の跡したひてはしる。独は小姫にて、名をかさねと云。聞なれぬ名のやさしかりければ、
 かさねとは八重撫子の名成べし 曽良
頓て人里に至れば、あたひを鞍つぼに結付て、馬を返しぬ。
 
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                 「須賀川」の章 
 とかくして越行まゝに、あぶくま川を渡る。左に会津根高く、右に岩城・相馬・三春の庄、常陸・下野の地をさかひて、山つらなる。かげ沼と云所を行に、今日は空曇て物影うつらず。すか川の駅に等窮といふものを尋て、四、五日とゞめらる。先白河の関いかにこえつるやと問。長途のくるしみ、身心つかれ、且は風景に魂うばゝれ、懐旧に腸を断て、はかばかしう思ひめぐらさず。
 風流の初やおくの田植うた
無下にこえんもさすがにと語れば、脇・第三とつゞけて、三巻となしぬ。
 此宿の傍に、大きなる栗の木陰をたのみて、世をいとふ僧有。橡ひろふ太山もかくやとしづかに覚られてものに書付侍る。其詞、
栗といふ文字は西の木と書て
西方浄土に便ありと、行基菩薩
の一生杖にも柱にも此木を用給ふとかや。
 世の人の見付ぬ花や軒の栗
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              「信夫の里・佐藤庄司が旧跡」の章
 月の輪のわたしを越て、瀬の上と云宿に出づ。佐藤庄司が旧跡は、左の山際一里半斗に有。飯塚の里鯖野と聞て尋ね尋ね行に、丸山と云に尋あたる。是、庄司が旧館也。梺に大手の跡など、人の教ゆるにまかせて泪を落し、又かたはらの古寺に一家の石碑を残す。中にも、二人の嫁がしるし、先哀也。女なれどもかひがひしき名の世に聞えつる物かなと、袂をぬらしぬ。堕涙の石碑も遠きにあらず。寺に入て茶を乞へば、爰に義経の太刀、弁慶が笈をとゞめて什物とす。
 笈も太刀も五月にかざれ帋幟
五月朔日の事也。 

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              「壷の碑・末の松山」の章
 壷碑 市川村多賀城に有。
つぼの石ぶみは高サ六尺餘、横三尺斗歟。苔を穿て文字幽也。四維国界之数里をしるす。此城、神亀元年、按察使鎮守府将軍大野朝臣東人之所置也。天平宝字六年参議東海東山節度使同将軍恵美朝臣修造而、十二月朔日と有。聖武皇帝の御時に当れり。むかしよりよみ置る哥枕、おほく語傳ふといへども、山崩川流て道あらたまり、石は埋て土にかくれ、木は老て若木にかはれば、時移り代変じて、其跡たしかならぬ事のみを、爰に至りて疑なき千歳の記念、今眼前に古人の心を閲す。行脚の一徳、存命の悦び、羈旅の労をわすれて、泪も落るばかり也。
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            芭蕉翁絵詞伝-壷の碑 義仲寺所蔵
 松尾芭蕉の研究と顕彰に生涯をささげた京の俳人五升庵蝶夢が、芭蕉百回忌に芭蕉の伝記をまとめ、狩野正栄の絵をさし入れて義仲寺に奉納したもの。

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                 「塩釜の宿」の章 
 早朝塩がまの明神に詣。国守再興せられて、宮柱ふとしく彩椽きらびやかに、石の階九仞に重り、朝日あけの玉がきをかゝやかす。かゝる道の果、塵土の境まで、神霊あらたにましますこそ、吾国の風俗なれと、いと貴けれ。神前に古き宝燈有。かねの戸びらの面に文治三年和泉三郎寄進と有。五百年来の俤、今目の前にうかびて、そゞろに珍し。渠は勇義忠孝の士也。佳命今に至りてしたはずといふ事なし。誠人能道を勤、義を守べし。名もまた是にしたがふと云り。日既午にちかし。船をかりて松嶋にわたる。其間二里餘、雄嶋の磯につく。

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                 「平泉」の章
 三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。先、高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。衣川は、和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入。泰衡等が旧跡は、衣が関を隔て、南部口をさし堅め、夷をふせぐとみえたり。偖も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢となる。国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。
 夏草や兵どもが夢の跡
 卯の花に兼房みゆる白毛かな 曽良
兼て耳驚したる二堂開帳す。経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散うせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽て、既頽廃空虚の叢と成べきを、四面新に囲て、甍を覆て雨風を凌。暫時千歳の記念とはなれり。
 五月雨の降のこしてや光堂

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                 「出羽越え」の章
 南部道遥にみやりて、岩手の里に泊る。小黒崎・みづの小嶋を過て、なるごの湯より尿前の関にかゝりて、出羽の国に越んとす。此路旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸として関をこす。大山をのぼつて日既暮ければ、封人の家を見かけて舎を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。
 蚤虱馬の尿する枕もと
あるじの云、是より出羽の国に大山を隔て、道さだかならざれば、道しるべの人を頼て越べきよしを申。さらばと云て人を頼侍れば、究境の若者、反脇指をよこたえ、樫の杖を携て、我々が先に立て行。けふこそ必あやうきめにもあふべき日なれと、辛き思ひをなして後について行。あるじの云にたがはず、高山森々として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて夜る行がごとし。雲端につちふる心地して、篠の中踏分踏分、水をわたり岩に蹶て、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出づ。かの案内せしおのこの云やう、此みち必不用の事有。恙なうをくりまいらせて仕合したりと、よろこびてわかれぬ。跡に聞てさへ胸とゞろくのみ也。

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                 「出羽越え」の章
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                 「坂田」の章
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                 「市振り」 
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                 「山中」の章 
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                 「全昌寺」の章 
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                 「福井」の章 
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                 「大垣」の章 

 蕪村は62~63歳にかけて「奥の細道画巻」を10冊ほど描いたと云われているが現存する作品は前述の様に、(京都国立博物館蔵本)、(逸翁美術館所蔵)、(山形美術館蔵の屏風作品)の3点のみである。
上記俳画は逸翁美術館所蔵の作品である。「序章」と「旅立ち」一部を除く。
 ★)逸翁美術館とは;阪急電鉄の創始者、小林一三(逸翁)氏の旧邸を美術館として彼の収集品を展示。
特に蕪村、呉春のコレクションは有名です。
 住所:池田市栄本町12-27
 電話:072-751-3865
  (財)逸翁美術館

 下記俳画は京都国立博物館蔵の作品である。
 
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           門人たちが旅立つ芭蕉曽良を見送っている場面
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     「月日は百代の過客にして...」
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 下巻冒頭 尾花沢にて清風と云者を尋ぬ.....
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 はまぐりのふたみに別行秋ぞ
落款 安永戊戌冬十一月写於平安城南夜半亭且畫 六十三翁蕪村
 
 下記屏風絵は山形美術館蔵の屏風作品(六曲一隻・重文)
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 現存する「奥の細道画巻」3巻を一挙に掲載してみました。見比べてご覧下さい。其々の面白さが伺えます。お楽しみ戴けましたでしょうか?
蕪村編をご覧戴き、「蕪村俳句・俳画・文人画」を再認識して戴く一助と為れば幸甚です。
 ヒゲ爺の引出も底を尽きましたのでこの編を閉じます。表題『山陰海岸国立公園』から長い間逸脱した事お詫びいたします。

                           「完」


                
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