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ひげ爺の独り言 放談 小噺『山陰海岸国立公園』     ご近所便り

 「丹後松島」
 丹後松島には3つの海水浴場があり西から東に向かって「平海水浴場」「高嶋海水浴場」「久僧海水浴場」である。3ヶ所共に白砂青松のリアス式海岸の上水は澄み奇岩に富んで日本三景の松島に因んで「丹後松島」と呼ぶように為った。  
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 「山陰海岸」ビーチ図:平(へい)海水浴場は「犬ヶ崎」の東隣で「丹後松島」の西側を占める。

「平(へい)海水浴場」
 「たいら」「ひら」でも無く「へい」である。平家の落人伝説でも在るかと調べたが相でも無いらしい。
 近くに「静御前」「間人皇后」(両姫に就いては後述の予定)の故郷が在る事から古くから集落が在った事が伺える。
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             ビーチ風景 
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             ビーチ西側
 遠浅が幅広く、ビーチ西のびんぐしの内海なら、波もほとんど立たない為、小さなお子様のいる家族連れの利用にもお勧めです。 
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             ビーチ東側
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 ビーチの透明度は抜群シュノーケリングには最適のビーチである。
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 海藻も多く繁茂し小魚も沢山居る。
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             ビーチの朝焼け 

  「高嶋海水浴場」
 丹後松島を構成する絶景ビーチの西から2番目の砂浜が、平海水浴場(西側)と久僧海水浴場(東側)に囲まれた「高嶋海水浴場」。川を挟んで西隣の平海水浴場と隣接しており、もちろん歩いて両端のビーチへ移動できる。このビーチは全て砂浜でできているが中央より西側のビーチ(平海水浴場寄り)の海は底が砂、東側のビーチ(久僧海水浴場・高嶋岩側)の海底は岩となっているのが特徴である。
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              オートキャンプ場
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              西側(平ビーチ側)寄りのビーチ
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              東側(久憎ビーチ側)寄りのビーチ 
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 ビーチの東端には地元で「高嶋さん」と呼ばれる松に覆われた大きな岩がある。
久僧ビーチの西と高嶋ビーチの間にあり、美しいカーブを描いた砂浜の先端に突出している。
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              日本海に沈む夕日

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 2011年5月29日の台風2号で壊滅的被害の状況・ボランティアで<高嶋海水浴場復活大作戦>成功。

 「久僧海水浴場」
 久僧と書いて「きゅうそ」と読むこのビーチは全長600mほどのこじんまりとしたビーチで水は澄み砂は真っ白の美しい砂浜である。来場者は少なく「穴場」です。 海の家は無く近くに売店食事所も無いので食事の用意が必要。ビーチには防波堤や岩が無いので海が荒れたら直接波が砂浜に押し寄せるので初心者・特に子供には要注意である。
 防波堤・防砂の為のテトラポット等が無い為自然環境に富、澄み切った水・白い砂の美しさを際立たせている、遠くに「犬ヶ崎」を遠望できる。

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             「犬ヶ崎」遠望
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 「イガグリ頭」の様な岩が面白い!「イガグリ小僧」の連想から「きゅう僧」と名付けたのではあるまいが・・・。

 「丹後松島」
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 丹後町此代(このしろ)から東に向かって島々が連なっている風景が日本三景の一つである松島に似ていることから、丹後松島と呼ばれるようになった。丹後半島が一望できる。
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              時化の海
 
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              払暁の「丹後松島」
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              「丹後松島」沖合いのさまざまの太陽 
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              朝焼けの太陽
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              「丹後松島」に沈む落日
 「丹後松島」のリアス式海岸の奇岩、風景の面白、払暁夕日の美しさにはヒゲ爺の拙い説明文など必要有りますまい。タダタダ見入って「一度行って見たいもんだ!」と感じて戴ければヒゲ爺は満足!。

 
 丹後半島に入り網野町→丹後町にと進んできたが「丹後半島観光の隠れ目玉」の「丹後七姫伝説」を書き落としたので、通り過ぎた3姫・「静御前」「間人皇」「川上摩須郎女 (かわかみのますのいらつめ)」を紹介する。
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 絵はねぶた絵伝統工芸士「雅号:橘鶴泉」氏の作品です。

 「丹後七姫伝説・静御前(しずかごぜん)」
 網野町の磯という小村の禅師(?)の娘として生まれた「静」は父の死後京に上り白拍子となる。
その後源義経に見初められ愛妾と為るが義経の兄・頼朝と義経の確執で引き離され宿していた義経の子も生後直ぐに殺されてしまう、傷心の静は、生まれ故郷の網野へ戻り、この地で20余歳の短い生涯を終えたのだと云い伝えられている。故郷・磯には、静御前をまつる静神社が悲恋の面影を残すかのようにひっそりとたたずんでいる。
★白拍子(しらびょうし)とは:平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種でそれを演ずる芸人。遊女や子供が今様や朗詠を歌いながら舞ったものを言う。白拍子を舞う女性たちは遊女とはいえ貴族の屋敷に出入りすることも多かったため、見識の高い人が多く、平清盛の愛妾となった祇王や仏御前、源義経の愛妾となった静御前、後鳥羽上皇の愛妾となった亀菊など貴人に愛された白拍子も多い。
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             上村松園「静」(1944年)
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 「京丹後七姫・静御前」の絵はねぶた絵伝統工芸士「雅号:橘鶴泉」氏の作品です
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             静御前生誕の地の碑
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             静御前舞姿の碑
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             ひっそりとした佇まいの静御前神社
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             能舞台を模った展望台からの日本海の眺め
 「静御前」の終焉の地・菩提寺と称する場所、寺を数えると北は北海道、本州は基より四国九州各所に伝承され10指に余る、飽くまでも伝承、伝説であり全部信じると「静御前」10人以上存在した事に為ろう。
日本人大好き「判官贔屓」・義経ファンの為せる業に違いあるまい。
 この場では「丹後静御前」をそんな事も在ったのかと「コックリ」頷いて欲しいものである。


 「丹後七姫伝説・間人皇后」
 穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ、生年不詳 - 推古天皇29年12月21日(622年2月6日)は、飛鳥時代の皇族。欽明天皇の第三皇女。聖徳太子の生母として知られている。
 京都府京丹後市(旧丹後町)にある「間人(たいざ)」という地名は、穴穂部間人皇女に因むものと伝えられている。穴穂部間人皇女は蘇我氏と物部氏との争乱を避けて丹後に身を寄せ、宮に戻る際に自分の名を贈ったが、人々は「皇后の御名をそのままお呼びするのは畏れ多い」として、皇后が(その地を)退座したことに因み「たいざ」と読むことにしたと伝えられている。
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 「京丹後七姫・間人皇后」の絵はねぶた絵伝統工芸士「雅号:橘鶴泉」氏の作品です
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             間人皇后・聖徳太子 母子像
 お二人の目線の先には鬼退治伝説が残る「立岩」が聳える。丹後町の海水浴場「後ヶ浜海岸(のちがはまかいがん)」にある、大きな一枚岩。周囲は1km、高さは20mもあり、日本では珍しい巨大な自然石です。
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 立岩伝説鬼伝説:飛鳥時代 第31代 用明天皇の第三皇子磨子親王(聖徳太子の弟)が鰾古・軽足・土車という3匹の鬼を退治された時、二匹は殺し土車だけはみせしめのため、この大岩に封じ込めたそうな・・・今でも風の強い、波の高い夜などは鬼の号泣する声が聞こえるといわれている。
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             間人皇后ゆかりの碑

 「丹後七姫伝説・川上摩須郎女(かわかみのますのいらつめ)」
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 「川上摩須郎女」伝統工芸士「雅号:橘鶴泉」氏の作品
 丹後半島は大陸との交易があったことから、丹後王国の存在があったとも言われている。中国・周の時代の刀銭(紀元前5~6世紀)、王莽(おうもう)の貸銭(紀元14年)が発見され、古くから大陸との交流があったといわれている。5世紀頃盛んに造られた古墳が但馬から丹後に掛けて多く発見されている。
 大陸から船出して海洋学上から言っても直接大洋に向かわず陸地近くを東向すれば対馬海流に乗れば現存する大陸文化圏出雲地方島根半島から因幡・但馬・丹後半島・能登半島地方に漂着する。
この地方に大陸文化が浸透し豪族、王国が誕生しても何の不思議も無い。現に秦の始皇帝の家臣「除福」が最初に日本に到着した地は「紀元前219年、中国は秦の時代。方士「徐福」が、始皇帝の命令を受け、不老不死の仙薬を求めて、伊根町の新井崎に漂着した」と記述されており伝説と為っているが(除福伝説は後述予定)除福伝説は全国各地に散らばっている。
 「川上摩須郎女」は丹後半島の丹波の国(現丹後)の国王として君臨していた、四道将軍「丹波道主命」の妻・一男三女をもうけ息女「ヒバスヒメ」は垂仁天皇(第11代天皇)のお后となり「景行天皇」(第12代天皇)をはじめ「ヤマト姫」など四男一女を産む。丹波道主命と川上摩須郎女の孫娘が皇后になったことを喜び、兜山の山頂に建立したと伝えられるのが<熊野神社>である。この一大勢力の遺跡が久美浜町須田の伯耆谷に無数に存有している。
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 久美浜の兜山山頂にある熊野神社・鳥居と拝殿

  「丹後七姫伝説・乙姫」 
 言わずと知れた「浦島太郎伝説」である。「丹後風土記」に掲載されている。
 風土記とは:和銅六年(713年)元明天皇が諸国に地方の文化風土や地勢等を国ごとに記録編纂して、天皇に献上させた報告書を風土記と言う。
『丹後風土記』の中に『浦の島子』の物語、この話は養老四年(720年)に奏上された『日本書紀』にも、丹後地方に伝わる話『浦島子』として登場している。この話を基に室町時代から江戸時代にかけて成立した『御伽草子』に掲載され、それが今の『浦島太郎』の物語という訳である。
ここで「浦島太郎物語」を書く必要もありますまいが丹後地方には『水之江の島子』という口伝の民話が残っているそうだ。「江」は海や湖の入り組んだ地形の事を言い「海の入り江に住む島子さん」であろうか?
 
 ある日島子が釣りをしていると、美しい女人に変身した(乙姫ではなく亀姫)五色に光る亀の主が島子に懸想し「常世の国」に案内する。海の上をずーと西に進んで何日かの後にふわーと着いたそうな・・・。
その常世の国で「浦島太郎物語」の様に亀姫としばらく楽しく暮らして居たが里心が着いた島子は帰ってくると常世の国ではわずかな期間と思っていたのが、地上では、三百年経っていて途方にくれた島子が、亀姫からもらった玉手箱ならぬ『玉匣(たまくしげ)』という箱を開けると・・・。開けたとたんに島子は空にすぃ~っと呑まれてしまいましたとさ・・・・・・・。日本書紀では、白鳥になって空に飛んで行ったとある。
★常世の国(とこよのくに)とは、古代日本で信仰された、海の彼方にあるとされる異世界で一種の理想郷として観想され、永久不変や不老不死、若返りなどと結び付けられた日本神話の他界観をあらわす代表的な概念である。
当時の仏教では西方の阿弥陀浄土と南方にも浄土があるとされ、補陀落と呼ばれた。補陀落(ふだらく)は華厳経によれば、観自在菩薩(観音菩薩)の浄土であるとされる。補陀落(ふだらく)思想の概念では補陀落は観音菩薩の住む処で永久不変や不老不死の極楽浄土であるとされている。其処え行こうと決行されたのが補陀落渡海である。
 丹後地方の『水之江の島子』民話は説教僧が「観自在菩薩・西方の阿弥陀浄土と南方にも浄土・永久不変や不老不死の極楽浄土」等などを大衆に説く為創作された仏教説話であろうとヒゲ爺は想像している。

 「乙姫さんはこんな美女」
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 「乙姫」伝統工芸士「雅号:橘鶴泉」氏の作品
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        歌川国芳画浦島太郎
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              水江浦嶋子
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 嶋子をまつる神社が網野町浅茂川の海岸に鎮座する嶋児神社            
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              左遠方に見える福島
 風土記では、水江浦嶋子(みずのえうらしまこ)となっており、この嶋子をまつる神社が網野町浅茂川の海岸に鎮座する嶋児神社です。
また、嶋児神社から左遠方に見える福島は、浦島太郎と乙姫がはじめて出会った場所といわれ、ここには乙姫をまつった福島神社があります。

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              浦島太郎像(香川県三豊市)
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              金沢の浦島太郎
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              群馬伊勢崎の浦島太郎
 日本各地に浦島伝説は残っている;・愛知県武豊町の浦島太郎・鹿児島の浦島太郎・寝覚の床と浦島太郎
・岐阜県中津川市坂下町の乙姫岩・各務原市の浦島太郎・横浜の浦島太郎・沖縄の浦島太郎等などである。


                       この編「完」



  
                   
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