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ひげ爺の独り言 放談 小噺  『山陰地方・番外編』 温泉他

 長丁場の「山陰海岸国立公園 ご近所便り」を書き終え“ちょっとここ等ここらで一休み”と思っていたところ、高校時代の汽車通仲間(昭和29年~)と古い友達(昭和52年~)から2通の便りを貰った。何れもブログを読んだ旨である。
「もうじきに 松葉ガニのうんみゃあ季節と温泉のええころあいになるのに じげの温泉のことばっかしきゃあとって 鳥取もしょうきゃあせにゃあ いけりゃあせんがな!」とお叱りの便りと「30年ほど前に松葉ガニを鱈腹食べた“三朝温泉”はご近所だったかな?一夏遊んだ隠岐の島は?」の問いである。
一文を日本語に要約すると;「もう間も無く 松葉ガニの旨い季節と 温泉の良い時節に為るのに 地元の温泉のことばかり書いていて 鳥取の温泉も紹介しなきゃあ 駄目じゃあ無いか!」との意である。
問いの一文は要約の必要もなく、三朝温泉は国立公園からは少し外れの西方(鳥取県中央部)に位置する、隠岐の島に至っては島根県である。
彼は関東の人間である。近畿地方以東の人達が山陰地方の“観光地”とは言え一地区の名前と位置を正確に言い当てるのは中々難しくので良しとしよう!
ひげ爺にしても関西以西、中国・四国・九州ならば仕事の関係で車で走り周った経験があるので大凡の見当は付くものの東日本の観光地彼是を聴かれると超有名で無い限り曖昧であり模糊であり?・?・?の連続に違いない。
そこで、その様な方々にもっと山陰知って戴くため「山陰国立公園内」に限定せず、ひげ爺の良く知っている観光・風物・時に人物等について思い付く儘に<順不同>でボッチリぼっちり書き綴る事を思い付いた次第です。
是非お付き合い下さい。   
            ひげ爺 良兵衛


 「山陰地方の温泉」
 日本経済新聞の土曜日版に「日本百名湯」と題する全国で有名な温泉地を紹介する企画が為され2000年4月1日~2002年3月30日までの2年間連載された。連載の執筆者は国際的な温泉学者であり“温泉教授”の名で有名な松田忠徳氏である。温泉関係の著作多数。
 「日本百名湯」に山陰地方(鳥取県まで)の温泉が6湯含まれている。東から京都丹後半島「木津温泉」・兵庫但馬「城崎温泉」と「湯村温泉」・鳥取因幡「岩井温泉」「三朝温泉」と「関金温泉」の6温泉である。
「百名湯」に含まれない温泉を数得れば十指どころか二十指に余るほどある。山陰地方が「温泉の宝庫」と云われる所以であろう。
「城崎温泉」「湯村温泉」は既に紹介済み、「関金温泉」は行った事もないし知識も無いので割愛し、「岩井・三朝・木津温泉」の順で紹介する。

 「岩井温泉」

 岩井温泉は、国道9号線(京都起点に兵庫県と鳥取県まで山間部の谷合を走り鳥取砂丘辺りから山陰海岸沿いを西走、島根・山口下関市に至る凡そ700kmに及ぶ国内二番目に長い国道である)の兵庫・鳥取県境より10km程
西方の国道9号線沿いにあり鳥取県東端の温泉である。県境東方には湯村温泉郷がある。
もう一方の行き方は国道9号線を豊岡市方面に向かい「山陰海岸国立公園」の日本海風景を眺めながら兵庫県道178号線を西走し鳥取県に入って間もなく、岩井温泉方面の標識に従って県道256号線に乗り換えて6kmほど進むと国道9号線に交差するそこが「岩井温泉」である。冬季・特に1月2月は車の冬支度(スノー、ラジアルタイヤ、チェン)の用意が必須事項です。勿論JR山陰本線列車使用も可、岩美駅下車但し停車しない列車も有るのでご注意を!
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                 国道9号線に建つ歓迎看板
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 上図のR9号線はバイパス道で以前は温泉街を縦断していた・旧国道9号線沿いに「岩井屋」・「花屋」・「明石屋」の三軒の旅館と共同風呂の「ゆかむり湯」が並ぶ。
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 旧国道沿いの旅館街・バイパスの出来る以前は上り下りの自動車で狭い道は混雑したが今は山間の小さな温泉町の静けさを保ち、真に“湯”を楽しみ“山海の料理”を楽しむ“遊湯人”には打って付けの湯場として関西方面からの湯治客も多いそうだ。11月6日には山陰名物「松葉ガニ」も解禁となる、鳥取県の「松葉ガニ漁」主産港の田後港・網代港(紹介済み)は5~6kと近く新鮮な「松葉ガニ」・冬場に旨い“魚介”も楽しめる温泉である。
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                     明石屋旅館
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                     花屋旅館
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                     岩井屋旅館
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                     共同風呂の「ゆかむり湯」
 旅館が3軒と共同浴場1軒だけの小さな温泉地が全国的に知られたのは、温泉教授こと松田忠徳氏の著書「日本百名湯」に選考された事と国指定の「国民保養温泉」になっていることが大きな要因であろう。
 岩井温泉の歴史は古く、貞観元年(859年)の開湯と伝わっており、山陰でも古い部類の歴史を持つ温泉で、平安朝の頃の歴史書「延喜式」にもその名は記されいる。記録に寄れば平安時代清和天皇(源氏の始祖)の頃、藤原冬久という人が「薬師如来」のお告げにより湯を得て病を治した云々という記述が残っているそうだが、岩美町の公式HPには岩井温泉は1200年以前の平安時代の延暦13年(794年)に発見されたとされている。
 (但馬の名湯には奈良時代末から平安初期に開湯とされる温泉が多い。因みに★木津温泉は奈良時代の行基に因り開湯★城崎温泉は717年(養老元年)から720年(養老4年)、道智上人が千日の修行を行った末に湧出したことが城崎温泉のはじまり★湯村温泉は848年 - 慈覚大師による開湯とされる。等々である。)
 岩井温泉の泉質は含芒硝石膏泉。温泉の効能は慢性関節リウマチ・神経痛・神経炎・慢性婦人科疾患などであ江戸時代から“湯治場”として栄え大正・昭和初期の頃には十数件の旅館や湯治場が有ったそうだが昭和9年6月に街の8割を焼く大火に見舞われ3軒の旅館のみが残ったとの事である。
 江戸時代の名残として「湯かむり」と云う頭に手ぬぐいを乗せ柄杓で湯をかむるという珍しい風習が伝わっている。
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 柄杓(ひしゃく)・寺社に参る時、身を清める為の手洗い場にあるのが柄杓(写真)
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 「湯かむり」とは「湯かむり唄」を唄いながら柄杓で頭に湯を掛け長湯を楽しむ術である。ひげ爺の想像では、江戸時代の湯治場では簡素な湯殿や露天風呂が大半で雪の多いいこの地方では入湯していても頭が冷えるので頭に湯をかける「湯かむり」の所作や唄の面白さが受けてこんな風習が流行ったんじゃあ無いかと思って居る。
「湯かむり唄」は幾種類もあるが今は唄える人も殆どいないとの事である・・・・。
 島崎藤村の「山陰土産」と云う紀行文にこんな一説がある;私はまた宿の主人に所望して、土地での湯かむり歌といふものを聽かせてもらつた。いつの頃からのならはしか、土地の人達は柄杓(ひしやく)ですくふ湯を頭に浴びながら歌ふ。うたの拍子は湯をうつ柄杓の音から起る・・・・・・。(藤村“山陰土産”原文のまま)

 「ゆかむり唄」には露天風呂が似つかわしいと思い各旅館の露天風呂の写真のみを拝借し掲載した。
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 各旅館とも“男湯”“女湯”“貸切湯”の内風呂と“露天風呂”もあり何れも「源湯掛け流し」である。
掛け流し(かけながし)とは、温泉の浴槽への給湯・排水方法の1つで、地中から自然に湧出した温泉水(自然湧出)、掘削後自噴した温泉水(掘削自噴)、地中にある源泉から機械的に汲み上げた温泉水(掘削動力揚湯)を浴槽に供給し、浴槽から溢れ出た湯を排出することである。掛け流しが出来る事は使用量よりも温泉の湧出量が多いこと、常時新鮮な温泉であることの証しでもある。抽出量が少ない場合には水道水を加えたり、循環させたりして、2000~2004年頃「温泉偽装問題」が起こった事例もある。

 藤村と「明石屋」 
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 藤村次男鶏二と「浦富海岸」にて写す・昭和2年7月とある・
 ★藤村とは云わずと知れた島崎藤村の事で、「大阪朝日新聞」に1927(昭和2)年7月~9月まで「山陰土産」と云う紀行文を掲載した。その紀行文を書く為に次男の鶏二を連れて山陰旅行している。大阪経由で山陰に向かい一泊目を「城崎温泉」二泊目を岩井温泉の「明石屋」を宿にしている。写真は「浦富海岸」遊覧の時の写真だそうだ。
 ★「山陰土産」の抜粋の一文を掲載する;
 (一。)大阪より城崎きのさきへ
 朝曇りのした空もまだすゞしいうちに、大阪の宿を發たつたのは、七月の八日であつた。夏帽子一つ、洋傘一本、東京を出る前の日に「出來でき」で間に合はせて來た編あげの靴も草鞋をはいた思ひで、身輕な旅となつた。
 こんなに無雜作に山陰行の旅に上ることの出來たのはうれしい。もつとも、今度は私一人の旅でもない。東京から次男の鷄二をも伴つて來た。・・・・・・・・・・。
 (二。)城崎付近 山陰道にある城崎は、關東方面でいつて見るなら、熱海あたりを思ひださせる。古い温泉地であることも似てゐる。種々雜多なものを取りいれてあるところも似てゐる。古雅なものと卑俗なものとが同時にあるやうなところも似てゐる。東京横濱あたりの人達があの熱海へでも出かけるやうに、こゝにはまた京都、大阪、神戸あたりからの湯治の客が絶えない。
 (三。)大乘寺を訪ふ
 香住かすみの大乘寺は俗に應擧寺といつて、山陰方面では圓山應擧の畫で知られてゐる。
 私が鷄二を伴つてこの寺を訪ねようとしたのは、瀬戸の日和山に登つて海を望んだ日の午後であつた。晝飯後に、私達は城崎を辭し、土地の人達に別れを告げようとした。油ゆとうやの若主人は、香住まで案内しようといつてくれるので、この暑さに氣の毒とは思つたが、その言葉に從つた。そこで、三人して香住に向つた。城崎から香住までは里數にしても僅かしかない。汽車で四十分ばかりも海岸を乘つてゆけば、それで足りた。
 (四。)山陰道の夏
 東海道あたりの海岸に比べると、この山陰道はおもしろい對照を見せてゐる。こゝには全く正反對のものを見出す。一方に遠淺な砂濱があれば、こゝには切り立つたやうな岩壁がある。一方に高い土用波の立つ頃は、こゝには海の凪なぎの頃である。一方に自然の活動してゐる時は、こゝには自然の休息してゐる季節である。
 偶然にも、私達はその自然の休息してゐる夏の季節を選んで、山陰道の海岸に多い「もち」の樹の葉蔭を樂しみに來たわけだ。土の色の赤いといふことが、全體の基調を成してゐるといつてもいゝほどで、ゆく先の漁村の屋根にすら山陰名物の赤瓦が見られるのもこゝだ。夏の誇りを見せたやうな柘榴ざくろや、ほのかな合歡ねむの木の花なぞがさいてゐて、旅するものの心をそゝるのもこゝだ。岩には燕が飛びかひ、崖には松の林が生ひ茂つてゐて、その深いところには今でもまだ鹿が住んでゐるといはれるのもこゝだ。磯釣の船を浮べて、岸近く寄つてくる黒鯛を突き刺す光景なぞも、こゝではさうめづらしくない。・・・・・・・・・・。
 香住の停車場で、私達は岩美いはみ行の汽車を待つた。岩井まで行かうとするには、更に岩美で汽車を降りたところから、二十分ばかりも自動車の便によらねばならない。
香住から五つ目の驛に岩美の停車場があつて、そこまで乘つてゆくと但馬の國を離れる。縣も鳥取と改まる。岩美から岩井の村までは平坦な道で、自動車に換へてからの乘心地も好かつた。
 日の暮れる頃に、岩井に着いた。思つたほどの山の中ではなかつたが、しづかな田舍の街道に沿うたところに、私達の泊つた明石屋の温泉宿があつた。そこは因幡國いなばのくにのうちだと思ふだけでも、何となく旅の氣分を改めさせた。湯も熱かつたが、しかし入り心地はわるくなかつた。
 (五。)浦富海岸 浦富うらどめの海岸に出た。
 七月の十日は早く岩井の宿を發たつて來て、浦富海岸で時を送ることにした。浦富の栗村君は始めて逢つた人だが、前の晩にわざ/\岩井の宿まで見えて、海岸の好いことを話されるので、私もその方に心が動いたのである。
・・・・・・・・・・。
 無數の島々から成る眺めの好い場所といふと、人はよく松島あたりを比較に持ち出す。この比較は浦富には當てはまらない。松島はあの通り岸から離れた島々のおもしろさであるのに、私達がこゝに見つけるものはむしろ岸に倚り添ふ島島の眺めであるのだから。こゝでは海岸全體が積み重ね積み重ねした感じをもつて私達に迫つて來る。これはこの附近にかぎらず、やがて山陰道を通じての海岸の特色であらう。松島は松島、浦富は浦だ。・・・・・
・・・・・。
 その後 (六。鳥取の二日)(七。三朝温泉)と続き(十六。津和野まで)で完結している。
 
 藤村が「山陰土産」を書いたのが昭和2年、明石屋を「私達の泊つた明石屋の温泉宿があった。云々・・・・・・・私はまた宿の主人に所望して、土地での湯かむり歌といふものを聽かせてもらつた。いつの頃からのならはしか、土地の人達は柄杓ひしやくですくふ湯を頭に浴びながら歌ふ。うたの拍子は湯をうつ柄杓の音から起る。きぬたでも聽くやうで、野趣があつた。この湯かむり歌もたしかに馳走の一つであつた。山間とはいひながら、かうした宿でも蚊帳を吊つたので、その晩は遲くなつてから鷄二と二人蚊帳のなかに枕を並べて寢た。」と書いている。
 かくも短い文章で90年近く前の明石屋の情景を彷彿させるのは美文家藤村の為せる業と云わざるを得ない。昭和9年の大火と時代の流れとで明石屋も岩井温泉も様変わりし今の岩井に為ったが藤村の見た浦富海岸、城崎の日和山、香住の岡見公園等々人工的建造物の追加で山陰日本海海岸の姿も変化してみえるであろうが山陰特有のリアス式海岸の奇岩と海水の清さに変わりはなかろう。在ろう筈も無いが、もし今、藤村が現在の山陰を旅して「山陰土産」を執筆したらどんな「山陰土産」に為るんだろうなどと想像を巡らして居る裡にうとうとして仕舞った・・・時計の針は午前2時を指している・・・・・。
 
 久々に藤村を読み少年時代「千曲川旅情の歌」を暗記しようと何度も何度も流行歌を憶える様に口遊んだ事を思い出し唄ってみたが全部唄い切れなかった。やっぱりひげ爺は文学少年じゃあ無く唯の文学好き少年だった様である。
 千曲川旅情の歌      島 崎 藤 村
   一
  小諸なる古城のほとり 
  雲白く遊子(いうし)悲しむ
  緑なす繁蔞(はこべ)は萌えず
  若草も藉くによしなし
  しろがねの衾(ふすま)の岡邊
  日に溶けて淡雪流る

  あたゝかき光はあれど
  野に滿つる香(かをり)も知らず
  淺くのみ春は霞みて
  麥の色わづかに靑し
  旅人の群はいくつか
  畠中の道を急ぎぬ

  暮れ行けば淺間も見えず
  歌哀し佐久の草笛
  千曲川いざよふ波の
  岸近き宿にのぼりつ
  濁り酒濁れる飲みて
  草枕しばし慰む

 ★(註)島崎藤村:
 詩人、小説家。本名春樹。筑摩県第八大区五小区馬籠村(後に長野県木曽郡山口村字馬籠を経て、編入により、現在は岐阜県中津川市馬籠)生まれ。1897(明治30)年に春陽堂から刊行された第一詩集『若菜集』は、日本近代詩の原点として後世の詩人に多大な影響を与えた。そして、1906(明治39)年に発表した『破戒』によって小説家としての地位も確立し、大作『夜明け前』を生むこととなる。1943(昭和18)年、「涼しい風だね」という言葉を残し、大磯の自宅で永眠。wikipedia「島崎藤村」

 「山陰」には「弁当は忘れても傘は忘れるな!」と云う言葉がある。「雨が良く降るがうんみゃあ(旨い)くいもん(食べ物)はぎょうさん(仰山、沢山)有るけぇなあ(有るからね)!」
 こんな土地柄の山陰にも関わらず「山陰土産」に“うんみゃあもん”の記述が余りにも少なすぎるのは些かの不満を憶えている。
筆者が“うんみゃあもん”に興味が無いのか?「六。鳥取の二日」に有るように宿の小銭屋での述懐「七月の十一日は、私はすこし腹具合を惡くしてゐたので・・・・・」の所為かは定かではないが如何にも少なすぎる
感が否めない。
「五。浦富海岸」での“正午すこし過ぎたころ、岡田君も一緒で場所柄らしい馳走を受けた。鱸すゞきの洗ひ、烏賊の團子、海の素麺など、いづれも栗村君の心づくしだ。”ただ、これしか無い。
そこで、鱸すゞきの洗ひ、烏賊の團子、海の素麺の説明とその他の地下(じげ・地元)の夏の“うんみゃあもん”の紹介を試みる事にした。
 ★鱸すゞきの洗ひ;
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 鱸(すずき)の旬は夏・刺身、焼き物、吸い物等の料理に適す。
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 鱸のあらい・洗いはクセのある魚・脂の乗った魚を冷水で締めることにより適度な味に整え、食感を増す調理法である。鱸の刺身を造る要領で三枚下ろし⇒ひたすら薄造りに刺身を引き、容器に氷水を造り洗いながら冷やす(10~20秒)身がちじまったら素早く取り出しキッチンペーパー等で水気を取ることが肝要。水気が残ると水っぽくなるし旨味も逃げる。水っぽさを防ぐには容器の氷は多目の方が良い冷やす時間短くて済む。
三杯酢・梅酢たれ・味噌たれ・醤油などお好みでどうぞ!
 鱸は2年魚位まで汽水域や汽水湖で育つ事が多く多少淡水魚に似た臭味を持つことがあるので“水ですすいで食べた”事から漱ぎ(すすぎ)⇒すずきに転訛したとの説もあるが些かこじ付けの様な気もする・・・。
 鰤(ぶり)・鯔(ぼら)等と一緒で出世魚;
 1年魚未満(30~40cm)→せいご
 2年魚(50cm前後)→ふっこ(関西では・はね)
 3年魚以上(60cm以上)→ずずき
  (呼び方は地方によって異なる)
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 鱸のエラ洗い(鰓洗い・えらあらい)の写真;
 「薄のあらい」は旨いが「鱸のエラ洗い」豪快だ!鱸釣りは強い引きと水面から飛び跳ねる姿は何時も心を躍らせてくれる。一般にエラ洗いは釣り針を外す為と水面から跳び上がり体中をくねらせて剃刀のような頬骨でテグス
を切ろうとする行為だと云われている。ひげ爺もエラ洗いで何度逃げられたりテグスを切られたか知れんが兎に角面白い釣りである。 

 ★海の素麺;
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 海ソーメン;海ソーメンはモズクの仲間でであるが海藻のホンダワラ等に付くモズク(藻に付くのでモズクと云う)は枝分かれしているが、海ソーメンは岩場の水際に生える。一本の単体で生え太さもソーメンほど食感もツルツルなので海ソーメンと呼ばれたに違いない。
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 食い方はモズクと同じく三杯酢、酢味噌たれ等お好みで。和え物、汁物、揚げ物等に多用する。
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 海中のホンダワラ等に付くモズク(藻に付くのでモズクと云う)・ひげ爺の子供の頃には沢山獲れたが今は自然海での物は極めて少なく殆どが沖縄県産の養殖物だそうだ。

 ★烏賊の団子;
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 今風の烏賊団子・
烏賊団子・じんじょのレシピを覗いて見ると;烏賊本体、ゲソ,エンペラも含めて包丁で小さく刻みミンチ状にしさらにフードプロセッサーやすり鉢で擦りカタクリ粉、卵を繋ぎに入れて“練り物”にする。団子状に丸めた物を油で揚げる。中華風に“あんかけ”で絡めたり、鍋物の具材等にするとあるがどうも夏の食材としては的外れの感が否めない。
 そこで思い出したのが『山陰海岸国立公園』のご近所便りの冒頭に書いた『諸寄の庚申堂』『諸寄に纏わる先人達』に登場の『おふじばあちゃん』である。
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 山陰の夏場の風物詩“漁火”は夏が旬の烏賊釣り船の集魚灯なのです。“シマメイカ(スルメイカ)”シロイカ(ヤリイカ)“”漁の最盛期である。
子供心に『おふじばあちゃん』から聞いた話であるが、ばあちゃんは大正から昭和初期に掛けて10kもある湯村温泉方面まで、魚の行商に行ったそうである。夏場は生魚は運べないのでその時期『おふじばあちゃん』の“するめ”造りの時期だったそうな・・・。
 “するめ”を造るには内臓の総てと口、目も除く、副産物として残るのは“烏賊の卵”“口”。口は烏賊トンビと呼び一夜干し、するめ乾燥させるが甘辛く煮付けると滅法旨いスルメ以上の味がする。今でも田舎から送って貰っている。“烏賊の卵”は煮ても旨いが長持ちさせるため考えだしたのが“烏賊の卵”の“烏賊の卵の団子としんじょ”である。
ばあちゃんの発案か昔からの習わしか定かでは無いが“烏賊の卵”のみをすり鉢で擦り“練り物”状にして団子状、はんぺん状にして蒸し器で蒸した物を「烏賊の団子」と呼んでいた。わさび醤油で食べたり、炙って食べたり碗だねにしたり、すり鉢を擦らされた記憶と旨かった記憶が残っている。
 藤村の「烏賊の団子」は今風“烏賊団子”より“烏賊の卵の団子としんじょ”の方が夏の旨いもんに似つかわしいと思うが「如何なものかな?」。

  ★「山陰の夏場の“うみゃあもん尽し”」
 
 漁火漁は夏場のイカ(烏賊)釣りがメインである。
 
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 シロイカ(ヤリイカ);海中で活きている時は透明感のある白色をしているが釣り上げて興奮させたり、刺激を加えたり、死ぬと皮膚組織が赤く変色する。烏賊の鮮度の目安にもなる。活きの時・透明な白⇒死ぬ・赤く変色⇒1.5日程経過すると・白くなる。漁獲量が少ないので高価なのが珠にキズ。
シロイカは甘くて、柔らかく刺身に最適な食材です。勿論スルメも旨い。刺身が旨いのは赤い時までが良い。煮付けも旨い。
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 シロイカの刺身;新鮮なシロイカの刺身は盛り付けの食材が見えるほどの透明感がある。旨い醤油と新鮮な卸し生姜で召し上がれ!
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 シマメイカ(スルメイカ);説明はシロイカに順ずるが、シロイカより1.5日⇒2日と日持ちがする様である。
何れにしても刺身は鮮度の良い方が旨い。シロイカより漁獲量が数倍多いので安価が魅力。
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 シマメイカのイカそうめん;イカをソーメンの様に細く切り、生姜醤油やつゆ(めんつゆ)を付けて食べる。大量に食べるので値段の手ごろなシマメイカを使うことが多い。ひげ爺等も歯の良い時分は、たっぷり生姜醤油を掛けたイカそーめんをどんぶり飯に盛って食べたものだが今では夢のまた夢である。
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 一夜干しスルメ;半乾き状態で肉厚、焼くと甘く香ばしい旨味は絶品。乾燥スルメはこれまた旨い。「スルメの麹漬け」「松前漬け」にも利用する。ひげ爺はスルメ造りから始め正月前には麹漬け、松前漬けの手造りを数年前から続けている、友達にも中々好評の様である。

 ひげ爺流簡単イカ料理;
 
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 ①茹でイカ;イカの内臓(ウルと云い肝臓)を取り出し茹でるだけで完成。茹で時間は湯量とイカの大きさにもよるが、沸騰した湯に耳の方から入れ(足の方から入れると胴に空気が入り浮いてしまう)3~4分茹でる、茹ですぎると小さくなり硬くなるので要注意!茹であがったら水道水で冷やすと綺麗に仕上がりますよ!湯の中にお茶の葉か紅茶の葉を一つまみ(湯が少し色ずく程度)入れると色も綺麗に為ります。
写真の様に輪切りにし生姜醤油などお好みでどうぞ!
 ②ひげ爺は、刺身に出来ないイカは内臓を取り輪切りにしてネギ、青ネギ(沢山いれる)と一緒に煮付けにする、水少々(双方から水分だ出るので)と醤油のみ、イカの甘味とネギの旨味の相乗効果で結構な一品が出来ますよ!
 
 ★貝類のうみゃあもん

 その① 岩カキ(カキ); 
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 海中の岩カキ;海藻が付着し岩と区別が付きにくい。発見は素人では難しい業である。
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 岩カキ(牡蠣);
 大方の御仁は「牡蠣の旬は冬季(養殖の牡蠣)」であると考えていると思われるが、日本海の「岩カキ(牡蠣)」は夏が旬の時期である。
 クイズで牡蠣の食べられる季節を英語で回答セヨ!と問われればR の付く月が正解であろう。が然しひげ爺は総ての月と答える、何故なら外国流の食べられないと言われている月、5,6,7,8月こそ日本海の岩牡蠣の一番美味しい季節であるからである。
 鳥取県では網代港を中心に多く漁獲されている。殻の大きさが10センチ以上か、200グラム以上の ものに限り、漁師が素潜りで取る年間漁獲160トン程とも云われる。鳥取県産のブランド岩ガキ「夏輝なつき」として、京阪神や関東地方の市場に出荷され、高級食材として料亭などで出されるという。漁期は8月31日まで。
 岩ガキは養殖カキに比べ身厚は2倍以上もありミルク色で実に旨い。
旨味の秘密は、牡蠣の持つ豊富なグリコーゲンにある。グリコーゲンは単独では無味無臭だが、ほかの味と一緒になるとコクと旨味が出る。 貝類の旨味成分として知られるコハク酸もいっぱい。甘みのあるアミノ酸のグリシンも一役買っている。生牡蠣100グラム中には、1日に必要なたんぱく質量の3分の2、カルシウムは3分の1、リンが全量、鉄分、ヨードはなんと4倍含まれる。このほかビタミンB2をはじめ各種ビタミンも豊富。まさに栄養の宝庫だが、実際、江戸時代の食の本「本朝食艦」には「心を涼しくし・肝を混し・脾臓のうつ熱を去り・汗を止め・渇きを止め・腹下しをととのえ・酒毒を欠し・婦人の血気を収める」とある。「海のミルク」「漢方の妙薬」と云われる所以である。
 夏場に山陰に行ったら是非食べてみて下さい。 (前述「網代港編」より転載)

 生を求める時は;
 牡蠣は二枚貝であり形を見ると厚い部位と薄い部位がある、厚い方が貝柱の部位、薄い方を上から叩き、横から叩きしつつ二枚貝の上下の蓋を少々ずらし穴をあける。その部位に古い包丁なりナイフなりを差し込みこじ開ける。あまり強引にやると真珠色をした珠玉の中身を壊す事になり、旨味と価値は半減だ。それは石工が石の目を見るように、大工が木ノ目を読んで丁寧に鉋を掛ける様に微妙な力の入れ方が肝要、食い意地の強さと経験が求められる、先ずは遣ってみられよ!
 そう簡単にはイカン、困った時には電話されたし。
 焼くも又良し;要領はイガイと同じ、大きさと蓋の厚さの違いで時間を調節スレバヨイ。焼き過ぎにご用心!
 マンズ喰らう用意を楽しみつつ遣って下され、くれぐれも飲み過ぎないように!! (石さんへのメールより転載)

 その② イガイ(貽貝);
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 海中の貽貝は海藻や他の貝等が付着している。
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 イガイ(貽貝)・化粧直し後のイガイ。
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 イガイ汁・茹でたらこうなる;別名ニタリ貝命名の由縁である。
 ★イガイの食べ方;

 この一文は舞鶴湾に潜り(野原海岸)大量の胎貝、牡蠣を獲り友達に送った時メールした原文のまま掲載した。
親愛なる 石さんへ 

 イガイは北海道以南の沿岸岩礁に群生し生息している(これは昔の話)が今は採り過ぎか?水の汚れが原因か?激減の状態。僕の子供時代田舎の海には何処にでも居たものである。
 イガイ科イガイ科目に属しアムール貝(外国産)は親戚。双方酷似しているがイガイは先端が丸く黒いのが特徴、アムール貝は先端が尖り鷲鼻状であり紫色と緑色の混合色を呈している。イガイの方が数段うまい。
 日本人の髪はカラスの濡れ場色と相場が決まっていた(今は髪を染める馬鹿日本人も多い時代ではあるが)鼻が丸いのが特徴、西洋人は鼻が高く尖っているし色もイロイロ、味も大味それがイガイとアムール貝の相違かな?

閑話休題

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 そのイガイ(胎貝)であるが:
 1) 和名は胎貝。
 2) 地方名にはなかなか面白いものが多い。  
 曰く、カラス貝;;色が黒いからか?日本各地にあり、イガイ(意外)に多い。
 曰く、ホト貝;;ホトとは女性の大切なところ、全人類皆一度は経験済みの十月十日の暗闇から一条の光明を見付けくぐり抜けたあの穴の出口の地方名。
 男は皆々その出口に郷愁を感じ探し求め続けるのかも知れぬ。貴兄と共に求め続けた頃から何年になりますか、あの頃が懐かしい。
 曰く、ニタリ貝:似たり貝とも書ける。名前の由来は食べるとき解明するはず、ワカラナケレバ老化現象、危険を要す。老人性ホト健忘症と診断する。
 3) 川柳と小咄を一つ;
   意外によく似た烏貝それを眺めて似たり似たり       
  註)翻訳
   イガイによく似たカラス貝それをながめてニタリニタリ

  ある鄙びた漁村での話、漁師の採ってきたイガイを初めて見た男【あっ!おかあちゃんが待っている】と叫んで小走りに帰っていったとさ! 
 
 4) 枕草子の清少納言;紫式部と並び称される彼女の話、中宮定子に仕え枕草子を世に出し才媛と謳われた彼女、がしかし謎の多い人物ではある。中宮に仕えた頃は権勢と優雅を誇っていたであろう彼女も晩年は不遇を託ち死んだ場所も定かでない、諸説は有るが定説は無い。草子も暗号文との説もあり何かと面白い。

 イガイに纏わる彼女の話;
 中宮を追われ瀬戸内を放浪する清少納言はライ病を患う、一漁村で漁師達にカラカワレ暴行陵辱された清少納言は怒り【見た者は盲目になれ!犯した者はライになれ】と恨み我がホトをエグリ海に投げた。それがイガイになったとさ。こんな珍説が鳴門や下関地方にある、真偽のほどは知らぬ。

 こんな裏話など草子を習った高校時代に聞いていればモット枕草子にも式部勉強にも実が入ったかもしれんがもう遅い。

5)喰い方;
 その1)すまし汁、みそ汁、小生はすましを良しとする。すましは貝そのものの味が味わえるが味噌にすると味が味噌に負ける。

作り方は簡単、貝を2~3度水洗いし、口の締まっている場合30分程度水に浸す、開いている場合水に浸すと旨味がにげる。
 喰うまで冷蔵庫に保存し、調理は水より貝を入れ灰汁が出れば丹念に採る。
冷蔵庫に保存するのは、鮮度を保つのが一つ、寒さから身を護る為、死なない様に頑張るため人間で言うアドレナリンの様な物質が出て貝の旨味成分であるグルタミン酸が多くなり旨味が増すわけである。

 その2)焼く、炭火で焼くのを最高とするが準備が面倒、レンジでチンが簡単、汁が出るので皿に1~2個大きさにも依るが3個まで入れラップし1~2分チンする、焼きすぎにご用心。

 その3)イガイ飯にも、酢の物、炒め物等々数あるが今回は1~2で食されよ! (石さんへのメールより転載)
                   
 ③ サザエ(栄螺);
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 サザエは山陰特有の“うまいもん”ではなく黒潮(暖流)が流れる日本列島太平洋側の九州から千葉県・外房辺りまで、および、対馬海流(暖流)が支配する日本列島東シナ海側の九州 - 朝鮮半島南部 - 日本列島日本海側の秋田県男鹿半島辺りまでと広範囲に漁獲され、晩春から夏に掛けて海岸線沿いの観光地では“サザエの壺焼き”として観光客の舌を満足させている。
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 サザエの刺身も旨い。ひげ爺流で云えばサザエ特有の旨味を味わうには刺身が“上”であろう。
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 サザエの壺焼き;
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 サザエ飯;
 以上サザエの“サザエの旨いもん”の造り方は先述「網代港編」に詳しく述べています。シーズンには一度お試し下さい。
 ★「山陰の夏場の“うみゃあもん尽し”」は是にて終了、夏場に「岩井温泉」にお越しの際には「夏場のうみゃあもん」を是非召し上がって下さい。近くに「網代港」「多後港」が控えています、食材の新鮮さは請け合いです。
 
「山陰の冬場の“うみゃあもん”」と云えば何と言っても「松葉ガニ」;
 山陰名物「松葉ガニ」漁は11月6日0時解禁スタート間も無くです。愈々「松葉ガニ」協奏曲の始まり、漁港も、温泉、民宿も大いに賑わって貰いたいものである。
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 松葉ガニ(雄);
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 親ガニ(雌;セコガニ・セコ・コウバコガニ);
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 親ガニ;ウチコとソトコ (最高に旨い)
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 conv201311060002.jpg
 松葉ガニ料理の一例;

 松葉ガニについては次編で詳しく報告する。お楽しみに!

                  「岩井温泉とうまいもん編  完 」                     




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