ヒゲ爺の独り言
エッセイ、昔の思い出話、釣り魚話、喰らい方等々
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歩キング日記 小さな春を探しに 3月29日
26~7日続けて辻子谷ハイキングコースを歩キングした所為か27日夕食後クシャミと鼻水に襲われた。
花粉症は突然に遣ってくるそうだからとうとう花粉症にと案じたが昨暮れ処方して貰った風邪薬の残りを飲み早寝したら翌朝には可也回復したが安全を期して歩キング中止で終日TVのお守り。
『3月29日』晴
天気も良し、体調も万全撮り残しの地蔵尊達を完成させるべく★興法寺へ向け出発。am10:00。

⑱

本格的な山登りの開始

⑲

⑳

(21)

(22)

(23)

(24)

(25)

(26)

(27)

(28)

(29)

(30)

(31)

(32)

(33)

(34)

(35)

(36)

(37)

(38)

(39)

(40)

(41)

(42) 弘法大師氷室瀧と石塔にある。太子が修業の場と言われている。何故か入場禁止になっている。

(43)

(44)

(45)

(46)

(47)

(48)

(49)

(50)

(51)

大鳥居 大霊歓喜天 鷲尾山 興法寺 と石塔にある

境 内 風 景

護摩堂:ご本尊烏瑟娑摩(とくすま)明王 両脇に二大明王を従えて

観 世 音 菩 薩

大 聖 不 動 明 王
pm1:00家を出て凡そ3時間、今日は写真撮影の為可也ゆっくりのお参り。普段は約2時間の行程である。
護摩堂で一休みのあと★開経偈から般若心経、回向門文まで奉納し下山する。
今まで巡った四国八十八ヵ所、小豆島八十八ヵ所、その他数々の寺には必ず地蔵尊が祀られているが歩キング行程の50数ヵ所の道端に時には藪の中に素朴な姿で祀られている『おじぞうさん』が一番安らぎを感じさせて呉れる。
一ヶ所毎に地蔵菩薩真言;おん、かかかび、さんまえい、そわか と唱えつつ帰宅する。pm3:00過ぎ。
★『略縁起』:
舒明天皇の頃(629~41年)役行者小角が、堂宇を建立したのを開基とする。その後、元明天皇の頃(707~15年)行基菩薩が栴檀の香木により一刀三礼の千手観音像を刻み本尊とした。815年(弘仁6年)には弘法大師が当山で修行し、歓喜天像を安置、後勧修寺宮の院となり、朝廷より金剛乗院の称を賜った。
南北朝時代には南朝方の城塞となり、貞和~観応年間(1345~52年)高師直に寺領を没収され、一山焼失、その後河内国守護となった畠山基国が1393年(明徳4年)に再建するも、応仁の乱で再び焼失した。
永禄年間(1558~70年)大西丹後守が修復。江戸時代の寛永年間(1624~44年)亮汰が中興、1916年(大正5年)諸堂宇の大修理が行われ、現在に至っている。
★開経偈(かいぎょうげ);
お勤めで上げるお経は 序分(じょぶん) 正宗分(しょうじゅうぶん) 流通分(るずうぶん)と大きく 3つに分けられます。この正宗分のはじめに読まれるのが開経偈で法要の中心部分です。釈尊の説かれた 教え(長いお経)をこれから戴くということで読まれるものです。これは、ほぼすべての宗派で読まれま す。
むじょうじんじんみみょうほう ひゃくせんまんごうなんそうぐう
無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
がこんけんもんとくじゅじ がんげにょらいしんじつぎ
我今見聞得受持 願解如来真実義
『現代語訳』
最高にして深遠な(仏陀が悟られ、説かれた)真理には、
どれほど生まれ変わり死に変わりしても巡り合うことは難しい。
しかし私はいま(仏教に)出会ってその教えに触れることが出来た。
願わくは仏陀の説かれた真理を体得せん。
★般若心経;
般若心経 (三蔵法師玄奘訳)
かんじざいぼさつ
観自在菩薩 [観音さまが、]
ぎょうじんはんにゃはらみったじ
行深般若波羅蜜多時 [彼岸に渡るため悟りにいたるための行を行う時、]
しょうけんごうんかいくう
照見五蘊皆空 [人間の心の感受し認識する五つの要素がすべて空であると考えて、]
どいっさいくやく
度一切苦厄 [私たちの一切の苦を救ってくださったのである。]
しゃりし
舎利子 [観音さまは舎利子に向かい、次のように述べた。舎利子よ、]
しきふいくう
色不異空 [ものがあっても、感じる心がなければ、ないことと同じであり、]
くうふいしき
空不異色 [ないということも、感じる心があれば、そのものはあるのと同じである。]
しきそくぜくう
色即是空 [だから、形あるものは、実はないものであると考えてよいし、]
くうそくぜしき
空即是色 [ないものと思うことも、実はあるものであると考えることもできる。]
じゅそうぎょうしき
受想行識 [色以外の残りの、心の四つの働きについても、]
やくぶにょぜ
亦復如是 [まったく同じことなのである。]
しゃりし
舎利子 [舎利子よ、]
ぜしょほうくうそう
是諸法空想 [この諸々の法は、実体がない、ということであるから、]
ふしょうふめつ
不生不滅 [もともと、生じたということもなく、滅したということもなく、]
ふくふじょう
不垢不浄 [よごれたものでもなく、浄らかなものでもなく、]
ふぞうふげん
不増不減 [増えることもなく、減ることもないのである。]
ぜこくうちゅうむしき
是故空中無色 [したがって、実体がないということの中には、形あるものはなく、]
むじゅそうぎょうしき
無受想行識 [感覚も想うことも意志も認識もないし、]
むげんにびぜつしんい
無眼耳鼻舌身意 [眼・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官もないし、]
むしきしょうこうみそくほう
無色声香味触法 [形・音・香・味・触覚・心の対象、といったそれぞれの器官に対する対象もないし、]
むげんかいないしむいしきかい
無眼界乃至無意識界 [ものがないから見る世界もない。意識する世界もないのである。]
むむみょう
無無明 [我々の心に迷いがいっぱいという無明が無いとするなら、]
やくむむみょうじん
亦無無明尽 [無明を無くしつくすことになる。]
ないしむろうし
乃至無老死 [無明がなくなれば、行もなくなり、識もなくなり、名色も
なくなり、ついには老と死もなくなり]
やくむろうしじん
亦無老死尽 [老と死がつきることになる。]
むくしゅうめつどう
無苦集滅道 [苦しみも、その原因も、それをなくすことも、そしてその方法もない。]
むちやくむとく
無知亦無得 [知ることもなければ、得ることもない。]
いむしょとくこ
以無所得故 [かくて、得ることもないのだ。]
ぼだいさった
菩提薩垂 [菩薩になるため菩薩行を一生懸命つみ、]
えはんにゃはらみったこ
依般若波羅蜜多故 [般若の智慧を体得できたならば、]
しんむけいげ
心無圭礙 [すべての不安や畏れから解放されて、]
むけいげこ
無圭礙故 [心にこだわりを持たなくなるから、]
むうくふ
無有恐怖 [何ものも恐れなくなる。]
おんりいっさいてんどうむそう
遠離一切転倒夢想 [ものごとを逆さにみる誤った考え方から遠ざかり、]
くきょうねはん
究境涅槃 [永遠にしずかな境地に安住しているのである。]
さんぜしょぶつ
三世諸仏 [過去・現在・未来にわたる(正しく目覚めたものたち)は]
えはんにゃはらみつたこ
依般若波羅蜜多故 [知恵を完成することによっているので、]
とくあのくたらさんみゃくさんぼだい
得阿耨多羅三藐三菩提 [この上なき悟りを得るのである。]
こち
故知 [したがって]
はんにゃはらみった
般若波羅蜜多 [悟りに至る行は]
ぜだいじんしゅ
是大神呪 [大神呪であり、]
ぜだいみょうしゅ
是大明呪 [大明呪であり、]
ぜむじょうしゅ
是無上呪 [無上呪であり、]
ぜむとうどうしゅ
是無等等呪 [比較するものがない最上の呪文なのである。]
のうじょいっさいく
能除一切苦 [これこそが、あらゆる苦しみを除き、]
しんじつふこ
真実不虚 [真実そのものなのである。]
こせつはんにゃはらみつたしゅ
故説般若波羅蜜多呪 [そこで最後に、知恵の完成の真言を述べよう。]
そくせつしゅわつ
即説呪曰 [すなわち次のような真言である。]
ぎゃていぎゃていはらぎゃてい
羯帝羯帝波羅羯帝 [往け、往け、]
はらそうぎゃてい
波羅僧羯帝 [彼の岸へ。]
ぼじ
菩提 [いざともに渡らん、]
そわか
僧莎訶 [幸いなるかな。]
はんにゃしんぎょう
般若心経 [知恵の完成についてのもっとも肝要なものを説ける経典。]
『 瀬戸内寂聴さんの仏教講話参考』
★回向文:
願わくは此の功徳を以[もっ]て、
普[あまね]く一切に及ぼし、
我等[われら]と衆生[しゅじょう]と、
皆共に仏道を成[じょう]ぜん(ことを)。
願以此功徳 [がんにしくどく]
普及於一切 [ふぎゅうおいっさい]
我等与衆生 [がとうよしゅじょう]
皆共成仏道 [かいぐじょうぶつどう]
『奉納四国八十八ヶ所参照』
花粉症は突然に遣ってくるそうだからとうとう花粉症にと案じたが昨暮れ処方して貰った風邪薬の残りを飲み早寝したら翌朝には可也回復したが安全を期して歩キング中止で終日TVのお守り。
『3月29日』晴
天気も良し、体調も万全撮り残しの地蔵尊達を完成させるべく★興法寺へ向け出発。am10:00。

⑱

本格的な山登りの開始

⑲

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(21)

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(42) 弘法大師氷室瀧と石塔にある。太子が修業の場と言われている。何故か入場禁止になっている。

(43)

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(47)

(48)

(49)

(50)

(51)

大鳥居 大霊歓喜天 鷲尾山 興法寺 と石塔にある

境 内 風 景

護摩堂:ご本尊烏瑟娑摩(とくすま)明王 両脇に二大明王を従えて

観 世 音 菩 薩

大 聖 不 動 明 王
pm1:00家を出て凡そ3時間、今日は写真撮影の為可也ゆっくりのお参り。普段は約2時間の行程である。
護摩堂で一休みのあと★開経偈から般若心経、回向門文まで奉納し下山する。
今まで巡った四国八十八ヵ所、小豆島八十八ヵ所、その他数々の寺には必ず地蔵尊が祀られているが歩キング行程の50数ヵ所の道端に時には藪の中に素朴な姿で祀られている『おじぞうさん』が一番安らぎを感じさせて呉れる。
一ヶ所毎に地蔵菩薩真言;おん、かかかび、さんまえい、そわか と唱えつつ帰宅する。pm3:00過ぎ。
★『略縁起』:
舒明天皇の頃(629~41年)役行者小角が、堂宇を建立したのを開基とする。その後、元明天皇の頃(707~15年)行基菩薩が栴檀の香木により一刀三礼の千手観音像を刻み本尊とした。815年(弘仁6年)には弘法大師が当山で修行し、歓喜天像を安置、後勧修寺宮の院となり、朝廷より金剛乗院の称を賜った。
南北朝時代には南朝方の城塞となり、貞和~観応年間(1345~52年)高師直に寺領を没収され、一山焼失、その後河内国守護となった畠山基国が1393年(明徳4年)に再建するも、応仁の乱で再び焼失した。
永禄年間(1558~70年)大西丹後守が修復。江戸時代の寛永年間(1624~44年)亮汰が中興、1916年(大正5年)諸堂宇の大修理が行われ、現在に至っている。
★開経偈(かいぎょうげ);
お勤めで上げるお経は 序分(じょぶん) 正宗分(しょうじゅうぶん) 流通分(るずうぶん)と大きく 3つに分けられます。この正宗分のはじめに読まれるのが開経偈で法要の中心部分です。釈尊の説かれた 教え(長いお経)をこれから戴くということで読まれるものです。これは、ほぼすべての宗派で読まれま す。
むじょうじんじんみみょうほう ひゃくせんまんごうなんそうぐう
無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
がこんけんもんとくじゅじ がんげにょらいしんじつぎ
我今見聞得受持 願解如来真実義
『現代語訳』
最高にして深遠な(仏陀が悟られ、説かれた)真理には、
どれほど生まれ変わり死に変わりしても巡り合うことは難しい。
しかし私はいま(仏教に)出会ってその教えに触れることが出来た。
願わくは仏陀の説かれた真理を体得せん。
★般若心経;
般若心経 (三蔵法師玄奘訳)
かんじざいぼさつ
観自在菩薩 [観音さまが、]
ぎょうじんはんにゃはらみったじ
行深般若波羅蜜多時 [彼岸に渡るため悟りにいたるための行を行う時、]
しょうけんごうんかいくう
照見五蘊皆空 [人間の心の感受し認識する五つの要素がすべて空であると考えて、]
どいっさいくやく
度一切苦厄 [私たちの一切の苦を救ってくださったのである。]
しゃりし
舎利子 [観音さまは舎利子に向かい、次のように述べた。舎利子よ、]
しきふいくう
色不異空 [ものがあっても、感じる心がなければ、ないことと同じであり、]
くうふいしき
空不異色 [ないということも、感じる心があれば、そのものはあるのと同じである。]
しきそくぜくう
色即是空 [だから、形あるものは、実はないものであると考えてよいし、]
くうそくぜしき
空即是色 [ないものと思うことも、実はあるものであると考えることもできる。]
じゅそうぎょうしき
受想行識 [色以外の残りの、心の四つの働きについても、]
やくぶにょぜ
亦復如是 [まったく同じことなのである。]
しゃりし
舎利子 [舎利子よ、]
ぜしょほうくうそう
是諸法空想 [この諸々の法は、実体がない、ということであるから、]
ふしょうふめつ
不生不滅 [もともと、生じたということもなく、滅したということもなく、]
ふくふじょう
不垢不浄 [よごれたものでもなく、浄らかなものでもなく、]
ふぞうふげん
不増不減 [増えることもなく、減ることもないのである。]
ぜこくうちゅうむしき
是故空中無色 [したがって、実体がないということの中には、形あるものはなく、]
むじゅそうぎょうしき
無受想行識 [感覚も想うことも意志も認識もないし、]
むげんにびぜつしんい
無眼耳鼻舌身意 [眼・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官もないし、]
むしきしょうこうみそくほう
無色声香味触法 [形・音・香・味・触覚・心の対象、といったそれぞれの器官に対する対象もないし、]
むげんかいないしむいしきかい
無眼界乃至無意識界 [ものがないから見る世界もない。意識する世界もないのである。]
むむみょう
無無明 [我々の心に迷いがいっぱいという無明が無いとするなら、]
やくむむみょうじん
亦無無明尽 [無明を無くしつくすことになる。]
ないしむろうし
乃至無老死 [無明がなくなれば、行もなくなり、識もなくなり、名色も
なくなり、ついには老と死もなくなり]
やくむろうしじん
亦無老死尽 [老と死がつきることになる。]
むくしゅうめつどう
無苦集滅道 [苦しみも、その原因も、それをなくすことも、そしてその方法もない。]
むちやくむとく
無知亦無得 [知ることもなければ、得ることもない。]
いむしょとくこ
以無所得故 [かくて、得ることもないのだ。]
ぼだいさった
菩提薩垂 [菩薩になるため菩薩行を一生懸命つみ、]
えはんにゃはらみったこ
依般若波羅蜜多故 [般若の智慧を体得できたならば、]
しんむけいげ
心無圭礙 [すべての不安や畏れから解放されて、]
むけいげこ
無圭礙故 [心にこだわりを持たなくなるから、]
むうくふ
無有恐怖 [何ものも恐れなくなる。]
おんりいっさいてんどうむそう
遠離一切転倒夢想 [ものごとを逆さにみる誤った考え方から遠ざかり、]
くきょうねはん
究境涅槃 [永遠にしずかな境地に安住しているのである。]
さんぜしょぶつ
三世諸仏 [過去・現在・未来にわたる(正しく目覚めたものたち)は]
えはんにゃはらみつたこ
依般若波羅蜜多故 [知恵を完成することによっているので、]
とくあのくたらさんみゃくさんぼだい
得阿耨多羅三藐三菩提 [この上なき悟りを得るのである。]
こち
故知 [したがって]
はんにゃはらみった
般若波羅蜜多 [悟りに至る行は]
ぜだいじんしゅ
是大神呪 [大神呪であり、]
ぜだいみょうしゅ
是大明呪 [大明呪であり、]
ぜむじょうしゅ
是無上呪 [無上呪であり、]
ぜむとうどうしゅ
是無等等呪 [比較するものがない最上の呪文なのである。]
のうじょいっさいく
能除一切苦 [これこそが、あらゆる苦しみを除き、]
しんじつふこ
真実不虚 [真実そのものなのである。]
こせつはんにゃはらみつたしゅ
故説般若波羅蜜多呪 [そこで最後に、知恵の完成の真言を述べよう。]
そくせつしゅわつ
即説呪曰 [すなわち次のような真言である。]
ぎゃていぎゃていはらぎゃてい
羯帝羯帝波羅羯帝 [往け、往け、]
はらそうぎゃてい
波羅僧羯帝 [彼の岸へ。]
ぼじ
菩提 [いざともに渡らん、]
そわか
僧莎訶 [幸いなるかな。]
はんにゃしんぎょう
般若心経 [知恵の完成についてのもっとも肝要なものを説ける経典。]
『 瀬戸内寂聴さんの仏教講話参考』
★回向文:
願わくは此の功徳を以[もっ]て、
普[あまね]く一切に及ぼし、
我等[われら]と衆生[しゅじょう]と、
皆共に仏道を成[じょう]ぜん(ことを)。
願以此功徳 [がんにしくどく]
普及於一切 [ふぎゅうおいっさい]
我等与衆生 [がとうよしゅじょう]
皆共成仏道 [かいぐじょうぶつどう]
『奉納四国八十八ヶ所参照』
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