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四国撮り歩記  霊場八十八ヶ所巡礼の旅:阿波徳島編  第五番霊場

 第五番札所:地蔵寺に向う。距離大凡1,6Km。

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          第五番札所 無尽山 地蔵寺 荘厳院
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                 山         門
            参拝記念の一枚(当時髭は有りません)
 山門を入って行くと右に大銀杏がありその先で石畳が交差している。左に進むと左手に手水鉢があり、正面奥に本堂が建つ。石畳を戻ると手水鉢の向かいに水琴窟のある水子地蔵尊がある。大師堂は本堂に向かい合わの位置にある。大師堂の右に淡島堂がある。納経所は山門の正面にある庫裏の右端である。庫裏の左前には八角堂がある。 
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 銀杏の大木 樹齢八百年とか 環境省巨樹巨木林DBでは、幹周/5.42m、樹高/20m、樹齢/伝承800年。弘法大師のお手植えと伝えられるが、計算が合わない。弘法大師は西暦850年代に没しておりお手植えしたのが事実なら樹齢は1200年である筈である。伝・伝承は曖昧な面が多い。樹齢八百年が間違いなのか、お手植えが間違いなのか定かで無い。
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                手   洗    場
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                鐘 楼 と 太 子 像 (巡錫姿の像)
 巡錫(じゅん‐しゃく)とは《錫杖(しゃくじょう)を持って巡行する意》僧が、各地をめぐり歩いて教えを広めることを云う。
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                本          堂
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                太    子    堂
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                太 子 堂 と 淡 島 堂 
 淡島堂は和歌山県の淡島神社の分身とされ、万病封じの守護神。
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                八 角 堂 ;左側が本堂
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                八 角 堂 :水子地蔵と水琴 
 水琴は本堂前にあり、澄んだ琴の音色が聞ける。水琴は外に一カ所有る。
地中に伏瓶を埋めるなどして空洞を作り、そこにしたたり落ちる水が反響して、琴の音色に聞こえるようにした江戸時代の音響装置で、すがすがしい気分になれます。
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                水    琴    窟
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                納    経    所
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          御    朱    印

★ 本尊:延命地蔵菩薩 (伝 弘法大師作)    ☆ 開基:弘法大師
★ 本尊の真言;おん、かかかび、さんまえい、そわか


★『略縁起』弘仁十二年(811年)嵯峨天皇の勅願を受けた弘法大師は、この寺を開くと共に勝軍地蔵菩薩 (一寸八分≒5,6cm)を刻んで本尊とされた。その後、紀州熊野権現のお告げと御神木を授かった淨函上人が(二尺七寸≒80cm)延命地蔵を彫り胎内に勝軍地蔵菩薩を納められた。
嵯峨、淳仁、仁明天皇のご帰依をはじめ、なかでも義経、蜂須賀家などの武将たちの信仰が厚く、寄進により領域は宏大であった。また、境内の裏山には★五百羅漢がある。

★ 五百羅漢とは、お釈迦様に従っていた五百人の弟子のことで、世間一般の感情や欲望は超越していますが、仏、菩薩の境地にはまだ到達せず、我々人間と、仏との間の存在だそうです。楽しそうに見える羅漢像は、身近に感じられる。自分に、身近の人に良く似た仏像があるそうだ。

 ★ 四国遍礼霊場記 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 (じゃくほん ))(翻訳・村上 護):(参考資料として転載)
 
 無尽山荘厳院地蔵寺(五番)
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 板野郡矢武村にある。この場所を空海が訪れたとき、熊野明神が現れて霊木を授けた。この木で霊像を作り、ここに寺を建てれば、国家に福をもたらすとの空海の願いにかなうと告げた。空海は霊木で高さ一寸八分の地蔵菩薩像を作った。阿波の民が力を合わせたため、間もなく立派な伽藍が出来上がった。僧侶も、そうでない人も多く参詣した。本尊に利益を求めれば、必ず叶えられた。後宇多院の時代に、住持の定宥が夢のお告げによって高さ一尺七寸の地蔵菩薩像を作り、一寸八分の古像を胸に納めた。阿弥陀・薬師の二像も作り、両脇士とした。地蔵と観音は一体のものなので、これは観音・阿弥陀・薬師の熊野三尊に準えたものだろう。定宥は才知も徳も兼ね備え、人格も立派な修行者だった。また、ある夕、熊野権現の神託で、霊薬の処方を教わった。万病に必ず効く、万病円という名の薬だ。処方を書き写して他の場所で作っても、効き目はないという。人々は不思議がっている。この薬は、四百年間伝わっている。
 鎮守の熊野権現社と天照太神社が鎮座している。中門に、高さ五尺ほどの多聞・持国天像がある。運慶の作。本堂の南西に摩尼珠山と呼ばれる小山がある。空海が宝珠を埋めた場所だ。昔は寺があった。礎石が残っている。北東には、清水を湛えた井戸がある。阿伽に用いている。泉福寺なる寺が建っている。住坊は、そこから五六町離れた東にある。
 地蔵寺は昔、いくつかの坊を従えており、三百人の僧侶を擁していた。
 矢武という地名は、寺の本尊・勝軍地蔵にちなむと言われている。堂の前に池があり、弁財天祠を建てている。蓮は濁りに染められず、清い花は露をあざむくばかりだ。芳香が、遠くまで漂っている。
 もとは山院寺号の宸筆額があったが、戦争の間に失われた。残っている宝物は、空海が納めた仏舎利、空海作で高さ四尺八寸の不動像、空海作で源頼朝が所持していた高さ七寸の愛染明王像、恵心作で高さ一尺三寸の迦羅陀山地蔵像、空海が描いた普賢延命像、同じく空海筆の不動明王像、大小とも空海の筆になる五大尊、大師が描いた三宝荒神、
 行基作の地像像、小野篁が描いた大きな釈迦像、涅槃像(大幅非伝子)もある。このほか、牧渓・雪舟・金岡・増吽の筆になる仏画が多くある。


★ 地蔵寺関連付録:
 
奥ノ院の羅漢堂(五百羅漢)
本寺の北側にある。木造の羅漢は全国でも珍しい。安永4年(1775年)に実聞・実名という兄弟の僧によって創建された。高さ4丈の釈尊を中心に回廊にほぼ等身大の五百羅漢が安置され地元では「羅漢さん」の名で親しまれている。1915年(大正4年)の火災で焼失し、その後1922年(大正11年)に再建したのが現在の堂で、3度目の復興である。拝観料¥200。
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                      羅    漢    堂
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                      正面に鎮座する釈迦如来
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                      弘 法 大 師 像

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                      五  百  羅  漢  像 
 残念ながらひげ爺は羅漢堂はお参りしていない。地蔵寺参拝の当時羅漢堂の存在を知らなかった次第。後ほど羅漢堂の事を教えられ「必見である!」と知る、残念也。(羅漢堂に付いての写真は無いので作者不明の儘お借りしました。有難う御座いました)。


                      
 
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