ヒゲ爺の独り言
エッセイ、昔の思い出話、釣り魚話、喰らい方等々
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四国撮り歩記 霊場八十八ヶ所巡礼の旅:阿波徳島編 第九番霊場
第九番札所:法輪寺に向う。距離大凡2,5Km。

第九番札所 正覚山 法輪寺 菩提院

山 門

山門の両側には奉納された大草鞋がかけられている。確か「健脚祈願」と書いてあった様に記憶の底にある。一礼して山門を入ると左側に手洗い場がある。最も奥に本堂があり、本堂の右に大師堂が並ぶ。本堂に向かって左側に参拝者休憩所、納経所等が建てられている。その休憩所の左手に鐘楼がある。


手 水 場と吐 水 龍

本堂に続く道 読経する巡礼さん達・右側が太子堂

本 堂
本堂に祀られる本尊は釈迦如来涅槃像で弘法大師作。四国88ヵ所の中で涅槃像を本尊としているのは法輪寺のみである。

釈迦如来涅槃像の御札:御開帳は5年に一度である。

本堂には多くさんの草鞋が奉納されている。その昔足の不自由な人が当寺を参拝し、参道を歩くうち不自由な足が軽くなり杖も無く歩ける様に為ったと云う故事から「草鞋の奉納」が始まったそうな!・・・。

境内風景:左側が本堂・中央が太子堂・右側が寺坊

本 堂 と 太 子 堂

本堂と太子堂の間に巡錫中の太子像

太 子 堂

本堂に向かって左側に参拝者休憩所、納経所等が建てられている。

休憩所正面に祀られる 地 蔵 菩 薩


休憩所の左手の 鐘 楼

御 朱 印
参拝を終えて最後に御朱印を戴き法輪寺を後にする。 合掌
★ 本尊:涅槃釈迦如来 (伝 弘法大師作) ☆ 開基:弘法大師
★ 本尊の真言:のうまく、 さんまんだ、 ぼだなん、 ばく
★『略縁起』
弘法大師が開基した寺。本尊の★涅槃釈迦如来は弘法大師の作と伝えられる。頭を北に、顔は西に向け、右脇を下にして捏般木に入られ、周囲には悲歎にくれる大衆の姿が刻まれている。四国八十八箇所の唯一の涅槃像である。
永禄十二年(1569年)長宗我部元親は土佐一国を平定し、やがて四国を平定して京に上ることを志し、まず攻めたのが阿波であった。天正三年(1575年)に大西城が落ち、そして拠点であった勝瑞が落城したのは七年後である。この戦乱で寺々は兵火にあい、そのほとんどが焼失した。法輪寺もこの時堂字を焼失したが、そのころは山麓の法池ケ渓にあって、白蛇山法淋寺と称し、広壮な寺域を有していた、その後の正保年間に山号を正覚山法輪寺に改め現在地に再建したのである。その後、安政六年光明堂から出た火により楼門を残し再び全焼、現存の建物は明治以降の建立といわれる。もとは白蛇山・法林寺と号して、現在地より北約十町はどの山あいにあった。
★涅槃とは:梵語で吹き消すこと、消滅の意味を持つ。そこから転じて仏教では、煩悩の火を消し、一切の苦しみから解放された悟りの境地に達した状態を言う。仏教の最終目的とされる。また、死ぬこと、特に釈迦の入滅のことも意味する。
涅槃仏とは釈迦の入滅する様子を表した仏像のことであり、涅槃図とは釈迦の入滅する様子を描いた絵画のことである。
strong>★ 『四国遍礼霊場記』 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 (じゃくほん ))(翻訳・村上 護):(参考資料として転載)
四国遍礼霊場記
▼白蛇山法輪寺(九番)

山のない平野にある。草に埋もれた一堂に、空海が作った高さ一尺五寸の釈迦如来像を安置している。路地の奥に人はおらず、憂いが尽きることはない。ここは木々に心があるようで親しみやすく、浮世の俗塵を忘れることができる。今の寂しい有様を見て、盛んであったであろう昔に思いを馳せる。世の移り変わりは、このようなものだ。

第九番札所 正覚山 法輪寺 菩提院

山 門

山門の両側には奉納された大草鞋がかけられている。確か「健脚祈願」と書いてあった様に記憶の底にある。一礼して山門を入ると左側に手洗い場がある。最も奥に本堂があり、本堂の右に大師堂が並ぶ。本堂に向かって左側に参拝者休憩所、納経所等が建てられている。その休憩所の左手に鐘楼がある。


手 水 場と吐 水 龍

本堂に続く道 読経する巡礼さん達・右側が太子堂

本 堂
本堂に祀られる本尊は釈迦如来涅槃像で弘法大師作。四国88ヵ所の中で涅槃像を本尊としているのは法輪寺のみである。

釈迦如来涅槃像の御札:御開帳は5年に一度である。

本堂には多くさんの草鞋が奉納されている。その昔足の不自由な人が当寺を参拝し、参道を歩くうち不自由な足が軽くなり杖も無く歩ける様に為ったと云う故事から「草鞋の奉納」が始まったそうな!・・・。

境内風景:左側が本堂・中央が太子堂・右側が寺坊

本 堂 と 太 子 堂

本堂と太子堂の間に巡錫中の太子像

太 子 堂

本堂に向かって左側に参拝者休憩所、納経所等が建てられている。

休憩所正面に祀られる 地 蔵 菩 薩


休憩所の左手の 鐘 楼

御 朱 印
参拝を終えて最後に御朱印を戴き法輪寺を後にする。 合掌
★ 本尊:涅槃釈迦如来 (伝 弘法大師作) ☆ 開基:弘法大師
★ 本尊の真言:のうまく、 さんまんだ、 ぼだなん、 ばく
★『略縁起』
弘法大師が開基した寺。本尊の★涅槃釈迦如来は弘法大師の作と伝えられる。頭を北に、顔は西に向け、右脇を下にして捏般木に入られ、周囲には悲歎にくれる大衆の姿が刻まれている。四国八十八箇所の唯一の涅槃像である。
永禄十二年(1569年)長宗我部元親は土佐一国を平定し、やがて四国を平定して京に上ることを志し、まず攻めたのが阿波であった。天正三年(1575年)に大西城が落ち、そして拠点であった勝瑞が落城したのは七年後である。この戦乱で寺々は兵火にあい、そのほとんどが焼失した。法輪寺もこの時堂字を焼失したが、そのころは山麓の法池ケ渓にあって、白蛇山法淋寺と称し、広壮な寺域を有していた、その後の正保年間に山号を正覚山法輪寺に改め現在地に再建したのである。その後、安政六年光明堂から出た火により楼門を残し再び全焼、現存の建物は明治以降の建立といわれる。もとは白蛇山・法林寺と号して、現在地より北約十町はどの山あいにあった。
★涅槃とは:梵語で吹き消すこと、消滅の意味を持つ。そこから転じて仏教では、煩悩の火を消し、一切の苦しみから解放された悟りの境地に達した状態を言う。仏教の最終目的とされる。また、死ぬこと、特に釈迦の入滅のことも意味する。
涅槃仏とは釈迦の入滅する様子を表した仏像のことであり、涅槃図とは釈迦の入滅する様子を描いた絵画のことである。
strong>★ 『四国遍礼霊場記』 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 (じゃくほん ))(翻訳・村上 護):(参考資料として転載)
四国遍礼霊場記
▼白蛇山法輪寺(九番)

山のない平野にある。草に埋もれた一堂に、空海が作った高さ一尺五寸の釈迦如来像を安置している。路地の奥に人はおらず、憂いが尽きることはない。ここは木々に心があるようで親しみやすく、浮世の俗塵を忘れることができる。今の寂しい有様を見て、盛んであったであろう昔に思いを馳せる。世の移り変わりは、このようなものだ。
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