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四国撮り歩記  霊場八十八ヶ所巡礼の旅:阿波徳島編  第二十一番霊場

 第二十一番札所;太龍寺に向う。距離大凡11Km。

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          第二十一番札所 舎心山 太龍寺 常住院

 この寺は少し変わっている、標高600mの急峻な山頂にある所為かお遍路旅が観光地化した為か平成4年ロープウエィが完成、楽して登れるように為っている。ロープウエィの基地は那賀川の畔にある。カヌー下りの出発地点でもあるそうだ。ロープウエィの所要時間は大凡10分、一山越えて二山目の頂上に太龍寺はあった。雨は一向に止む気配も無い。
 
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                ロープウエイから那賀川を望む
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                一山目の頂上付近;狼が棲んでいたらしい
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                太龍寺駅・ロープウエィの終点太龍寺本堂の最寄にある。
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                太 龍 寺 の入り口石柱
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                入り口より長い石段が続き本堂に到る
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                下を観ると・・・・
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                本           堂  
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                奉納された数多くの絵馬
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                読経する歩き遍路さん
 
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                中          門 (鐘楼門)
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                境    内    風    景
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                修  業  大  師  像  
 中門の下方に手洗場と納経所があり右側の持仏堂の天井には龍の絵が描かれている。
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          持 仏 堂の天 井 絵 
 
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                手      洗      場
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                納      経      所
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        御     朱     印

 雨の為充分なお参りも出来ず山門(仁王門)の写真も無い。已む無く御朱印を戴き太龍寺を後にした。
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 復路のロープウエィ、雨は頻りに降り続いている・・・(10月31日午後1時27分)
 
★ 本尊:虚空蔵菩薩 (伝 弘法大師作)   ★ 開基:弘法大師
★ 本尊の真言;のぅぼう、あきゃしゃきゃらばや、おん、ありきゃ まり、ぼり、そわか

『略縁起』
 阿波の★三難所の一つと言われる寺は、標高約600mの山頂付近にあるが、今はロープウェイで山頂に楽に行ける。★桓武天皇勅願寺。延暦12年(793年)帝の勅命により、弘法大師が開基した寺。本尊の虚空蔵菩薩も大師作。大師十九歳のとき太龍ケ嶽によじ登られ、南舎心嶽で求聞持法を修行さたとその著書「三教拍帰」に記録されている。周囲に老杉が茂る境内には、多宝塔、大師堂、求聞持堂、護摩堂、六角径蔵がある太龍寺は四国山脈の西南端に位置し、海抜六百メートルの山頂近く、巨杉に囲まれた霊域。山号の山来は舎心の霊蹟にちなんで舎心山と号し、寺号は求持法の修行中の大師を守護した大龍「龍神守護」の意から生じたもので太龍寺と命名したという。太龍寺は西の高野といわれている。

 ★疑問:当寺が桓武天皇の勅願寺であるなれば、空海に勅命を下したかのか理解し難い。何故なら桓武帝は天台宗最澄に帰依している筈であるし無名の19歳の修行僧空海に勅命を下すなどあるだろうか?
 多種のホームページやブログ等を読んでも『桓武天皇勅願寺。延暦12年(793年)帝の勅命により弘法大師が開基』殆んど各々記しているがヒゲ爺には到底合点がいかん。他にもこの類が多々ある。『略縁起』も伝承の類か?
ただ一編だけ、「桓武天皇の勅願寺として、阿波国守・藤原朝臣文山が勅命を受けて建立した。空海が求聞持法(修業時代)を行ったとき、すでに寺はあったことになる。」と『四国遍礼霊場記』 に記されている。ひげ爺はこれに軍配を挙げる。
★阿波の三難所:急な参道として、12番札所の焼山寺、20番札所の鶴林寺、21番札所の太龍寺を阿波の三難所と言われている。太龍寺には平成4年にロープウェイが完成した。それぞれの標高は焼山寺は800M、鶴林寺は570M、太龍寺は618Mです。

 ★ 『四国遍礼霊場記』 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 (じゃくほん ))(翻訳・村上 護):(参考資料として転載)
 四国遍礼霊場記
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  那賀郡にある。空海がまだ出家していないとき、この嶽の霊威を見て攀じ登り、勤操僧正に教わった求聞持法を行った。行は成就し、空から宝剣が壇上に降った。三教指帰序に、谷響きを惜しまず、と書かれているものだ。
 桓武天皇の勅願寺として、阿波国守・藤原朝臣文山が勅命を受けて建立した。空海が求聞持法を行ったとき、すでに寺はあったことになる。淳和天皇の時代、寺に寄附したときの勅書が残っているという。その後、代々の天皇・上皇から受け取った綸旨・院宣が数通ある。その中に、この寺を密教根本の聖跡であり自分が帰依している道場である、との表現があるそうだ。そのほか将軍家の御教書も多い。
 阿波の太守は先祖から代々崇敬しており、寺領を寄附し伽藍を修復している。
 本堂の本尊は虚空蔵菩薩像。本堂の左には鎮守祠・宝塔・鐘楼・経蔵、少し高くなっている場所に大師堂。壇の外に堂宇が並んでいる。
 天正十六年十一月、天火のため堂宇は焼失した。豊臣秀吉の朝鮮出兵のとき、祈願所として六間四方の堂を仮に建てた。この堂が現在の堂舎のもととなっている。
 南北に舎心の嶽が広がっている。断崖絶壁で、頼りない橋が架かっている。不動明王の霊験あらたかな像がある。舎の字は「留まる」ほどの意味で、行き来が難しい場所だから、人の心を留めるからこそ、付いた名前だろう。遊方記などには、捨身と書いて、空海が幼少の頃に飛び降りた善通寺の山と同じく扱っているが、間違いである。
 舎心の嶽から三十町ほど離れた南東の方角に、岩窟がある。半ばから二道に分かれており、一方を龍王の窟と呼ぶ。昔龍神が棲んでいたといい、石面に鱗の形がはっきりと残っている。奥に行くと、清水が豊かに溜まっている。このほかにも霊窟があるというが、記録を見ていないので詳しく分からない。真然僧正の書いた記録が寺に残っているという。
 霊宝は、かなり多い。中でも空海所持と伝わる長さ五尺の錫杖、空海作の瑜祇塔、空海の先蹟などが興味を惹く。
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