ヒゲ爺の独り言
エッセイ、昔の思い出話、釣り魚話、喰らい方等々
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四国撮り歩記 霊場八十八ヶ所巡礼の旅:阿波徳島編 第二十二番霊場
第二十二番札所;平等寺に向う。距離大凡13Km。到着時には漸く雨は上がった。
第二十二番札所 白水山 平等寺 医王院

山 門 (仁王門)


阿 ・ 吽 の 仁 王 像

山門を潜ると真正面の小高い山の中腹に本堂が見える。 本堂 正面に男坂42段。 本堂左に女坂33段。 山門前の子厄坂13段で 合計88段。厄除けのお寺である。

本堂左の33段女坂は緩やかである。本堂に通じる。左は太子堂一部と観音堂。

本 堂

本 堂 内陣風景


江戸時代に再建された本堂外陣の天井に、草木をモチーフにした天井画が並んでいる。天井画も再建された約450年前に描かれたと推測、作者は不詳である。

境内の建物の配置図:本堂・男厄坂・手水場・白水の井戸・太子堂。太子堂に向かって納経する参拝者。
。
白 水 の 井 戸
大師が自ら錫杖で掘り、身を清めたと伝承される井戸。最初は 乳白色だったそうですが、今は 無色透明である。本堂へ続く男坂の石段登り口左手にあり、どんな日照りにも枯れることなく、今でもこんこんとわき続けている。「白水山」の寺名とも為っている。

男坂の石段登り口右側の 手 洗 場

手 水 場

太 子 堂

本堂から山門を振り返ると街並みが広がる。

鐘 楼 (山門の左側)

納 経 所

御 朱 印
御朱印を戴き二十三番札所 薬王寺に向かう・・・・・10月31日午後2時25分
★ 本尊:薬師如来 (伝 弘法大師作) ★ 開基:弘法大師
★ 本尊の真言;おん、ころころ、せんだり、まとぅぎ、そわか
『略縁起』
大師が41歳の時にこの地に来錫され諸人の厄除けを祈願をされていると、空中に瑞雲がたなびくのを感じられた。
五色の瑞雲がたなびきの中に梵字現れ金色に輝きを放ったという。やがてその梵字は薬師如来に姿ををえ、光明が四方に輝いた。そこで大師が加持水を求めて杖で井戸を掘ると、乳白色の水がわき出したのである。その霊水で身を清められた大師は100日間の修行の後に薬師如来像を刻み、本尊として安置され二十二番札所と定められた。そして、この乳白色の水によって、人々が平等に救済されますようにと寺号を平等寺と定めたのだといわれている。
この井戸の白水は万病に効く『弘法の水』として知られて又開運の霊泉として知られている。
★ 『四国遍礼霊場記』 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 (じゃくほん ))(翻訳・村上 護):(参考資料として転載)
四国遍礼霊場記

空海の開基。高さ二尺の薬師如来像を作って安置した。構成は七堂伽藍で、僧院十二宇があったが、遠く時は流れて今では衰微している。堂の傍らに、泉がある。これにより白水を山号としたらしい。泉の字を、白と水に分けたのだろう。また、心の汚れた者が水を汲むと濁るため、潔白の意味で名付けたともいわれている。
一月十六日に法会があり、近郷の人々が集まって、所狭しと賑わう。

第二十二番札所 白水山 平等寺 医王院

山 門 (仁王門)


阿 ・ 吽 の 仁 王 像

山門を潜ると真正面の小高い山の中腹に本堂が見える。 本堂 正面に男坂42段。 本堂左に女坂33段。 山門前の子厄坂13段で 合計88段。厄除けのお寺である。

本堂左の33段女坂は緩やかである。本堂に通じる。左は太子堂一部と観音堂。

本 堂

本 堂 内陣風景


江戸時代に再建された本堂外陣の天井に、草木をモチーフにした天井画が並んでいる。天井画も再建された約450年前に描かれたと推測、作者は不詳である。

境内の建物の配置図:本堂・男厄坂・手水場・白水の井戸・太子堂。太子堂に向かって納経する参拝者。
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白 水 の 井 戸
大師が自ら錫杖で掘り、身を清めたと伝承される井戸。最初は 乳白色だったそうですが、今は 無色透明である。本堂へ続く男坂の石段登り口左手にあり、どんな日照りにも枯れることなく、今でもこんこんとわき続けている。「白水山」の寺名とも為っている。

男坂の石段登り口右側の 手 洗 場

手 水 場

太 子 堂

本堂から山門を振り返ると街並みが広がる。

鐘 楼 (山門の左側)

納 経 所

御 朱 印
御朱印を戴き二十三番札所 薬王寺に向かう・・・・・10月31日午後2時25分
★ 本尊:薬師如来 (伝 弘法大師作) ★ 開基:弘法大師
★ 本尊の真言;おん、ころころ、せんだり、まとぅぎ、そわか
『略縁起』
大師が41歳の時にこの地に来錫され諸人の厄除けを祈願をされていると、空中に瑞雲がたなびくのを感じられた。
五色の瑞雲がたなびきの中に梵字現れ金色に輝きを放ったという。やがてその梵字は薬師如来に姿ををえ、光明が四方に輝いた。そこで大師が加持水を求めて杖で井戸を掘ると、乳白色の水がわき出したのである。その霊水で身を清められた大師は100日間の修行の後に薬師如来像を刻み、本尊として安置され二十二番札所と定められた。そして、この乳白色の水によって、人々が平等に救済されますようにと寺号を平等寺と定めたのだといわれている。
この井戸の白水は万病に効く『弘法の水』として知られて又開運の霊泉として知られている。
★ 『四国遍礼霊場記』 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 (じゃくほん ))(翻訳・村上 護):(参考資料として転載)
四国遍礼霊場記

空海の開基。高さ二尺の薬師如来像を作って安置した。構成は七堂伽藍で、僧院十二宇があったが、遠く時は流れて今では衰微している。堂の傍らに、泉がある。これにより白水を山号としたらしい。泉の字を、白と水に分けたのだろう。また、心の汚れた者が水を汲むと濁るため、潔白の意味で名付けたともいわれている。
一月十六日に法会があり、近郷の人々が集まって、所狭しと賑わう。
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