ヒゲ爺の独り言
エッセイ、昔の思い出話、釣り魚話、喰らい方等々
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四国撮り歩記 霊場八十八ヶ所巡礼の旅:高知編 二十五番霊場
第二十五番札所;津照寺に向かう。距離大凡6km。
寺に着いてみると昨夜の宿のすぐ裏手に津照寺はあった。、昨夜の宿は遍路宿であったことを知る。

第二十五番札所 宝珠山 津照寺 真言院

昨夜の宿の近くに津照寺の入り口があった

山 門
朱門を潜り右へ入ると大師堂、納経所、檀信徒会館がある。

本堂に向う石段・鐘楼門兼仁王門。

鐘 楼 門 ・ 仁 王 門


阿・吽の仁王像

鐘 楼 堂 の 鐘
石段の途中に「漁業殉職者霊塔」石塔の前で祈る写経大師石像があった。

写 経 大 師 石 像

本 堂
本堂は唱和50年新築され新しい。

本 堂 内 陣

太 子 堂
太子堂は昭和38年新築された。

手 水 場

納 経 所

御 朱 印
無事参拝を終えて御朱印を戴き第26番札所 金剛頂寺に向かう・・・・合掌
『略縁起』
俗称を津寺と言い大同2年(807年)(?伝の類か)弘法大師が開基した寺。
海上安全と豊漁を祈願して一刀三礼1メーター程の延命地蔵菩薩を自ら刻んで本尊として寺号を真言院津照寺とした。国主長宗我部氏の庇護を受けて寺領は増大しまた藩主山内家の祈願所として栄えた。
慶長7年(1602年)土佐藩主 山内一豊が室津沖を航行中大時化に遭ったとき地蔵尊が僧に化身し舵を握りオッカナイで有名な一豊公を救ったとの逸話があるそうな?さて真偽のほどや如何に!!舵取り地蔵の名で呼ばれ海上安全の守護仏として祀られていることは本当のようだ。
明治初期の神仏分離令により一時は廃寺となるが、明治16年には再興された。
★ 本尊:延命地蔵菩薩 ★ 開基:弘法大師
★ 本尊の真言:おん、かかかび、さんまえい、そわか
★ 『四国遍礼霊場記』 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 (じゃくほん ))(翻訳・村上 護):(参考資料として転載)

東寺と西寺の間、室津浦にあるため、俗に津寺と呼ぶ。本尊は秘仏で、空海作の地蔵菩薩像。開帳することはない。半町ばかりも石段を登って本堂に向かう。太平洋が一望に見渡せる。波が空と溶け合い、爽やかな風が四方からそよぐ。この辺は、唐の津・室津はもとより、船の停泊地となっている。この浦は波が荒く船が揺れるため、岩を切り石を畳み海水を入れて湊にしている。見る人が皆驚くほど、大掛かりな普請だ。
寺に着いてみると昨夜の宿のすぐ裏手に津照寺はあった。、昨夜の宿は遍路宿であったことを知る。

第二十五番札所 宝珠山 津照寺 真言院

昨夜の宿の近くに津照寺の入り口があった


山 門
朱門を潜り右へ入ると大師堂、納経所、檀信徒会館がある。

本堂に向う石段・鐘楼門兼仁王門。

鐘 楼 門 ・ 仁 王 門


阿・吽の仁王像

鐘 楼 堂 の 鐘

石段の途中に「漁業殉職者霊塔」石塔の前で祈る写経大師石像があった。

写 経 大 師 石 像

本 堂
本堂は唱和50年新築され新しい。

本 堂 内 陣

太 子 堂
太子堂は昭和38年新築された。

手 水 場

納 経 所

御 朱 印
無事参拝を終えて御朱印を戴き第26番札所 金剛頂寺に向かう・・・・合掌
『略縁起』
俗称を津寺と言い大同2年(807年)(?伝の類か)弘法大師が開基した寺。
海上安全と豊漁を祈願して一刀三礼1メーター程の延命地蔵菩薩を自ら刻んで本尊として寺号を真言院津照寺とした。国主長宗我部氏の庇護を受けて寺領は増大しまた藩主山内家の祈願所として栄えた。
慶長7年(1602年)土佐藩主 山内一豊が室津沖を航行中大時化に遭ったとき地蔵尊が僧に化身し舵を握りオッカナイで有名な一豊公を救ったとの逸話があるそうな?さて真偽のほどや如何に!!舵取り地蔵の名で呼ばれ海上安全の守護仏として祀られていることは本当のようだ。
明治初期の神仏分離令により一時は廃寺となるが、明治16年には再興された。
★ 本尊:延命地蔵菩薩 ★ 開基:弘法大師
★ 本尊の真言:おん、かかかび、さんまえい、そわか
★ 『四国遍礼霊場記』 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 (じゃくほん ))(翻訳・村上 護):(参考資料として転載)

東寺と西寺の間、室津浦にあるため、俗に津寺と呼ぶ。本尊は秘仏で、空海作の地蔵菩薩像。開帳することはない。半町ばかりも石段を登って本堂に向かう。太平洋が一望に見渡せる。波が空と溶け合い、爽やかな風が四方からそよぐ。この辺は、唐の津・室津はもとより、船の停泊地となっている。この浦は波が荒く船が揺れるため、岩を切り石を畳み海水を入れて湊にしている。見る人が皆驚くほど、大掛かりな普請だ。
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