ヒゲ爺の独り言
エッセイ、昔の思い出話、釣り魚話、喰らい方等々
- 2023 . 02 «
- 1
- 2
- 3
- 4
- 5
- 6
- 7
- 8
- 9
- 10
- 11
- 12
- 13
- 14
- 15
- 16
- 17
- 18
- 19
- 20
- 21
- 22
- 23
- 24
- 25
- 26
- 27
- 28
- 29
- 30
- 31
四国撮り歩記 霊場八十八ヶ所巡礼の旅:土佐高知編 三十番霊場
第三十番札所;善楽寺に向かう。距離大凡9、5km。


善楽寺の山門だと思ったら『土佐一宮神社神光門(重文指定)』であった。参道近くにあるので善楽寺の山門と間違ちがわれやすいそうだ。善楽寺は1637年土佐一宮神社の★別当寺として建立されたが明治の廃仏毀釈により廃寺。昭和4年に復興された新しい寺である。
★別当寺とは:神仏習合が許されていた江戸時代以前に神社を管理するために置かれた寺のこと。神宮寺の一種。神社境内に建てられ、別当が止住し、読経・祭祀(さいし)・加持祈禱とともに神社の経営管理を行なった寺。
第三十番札所 百百山 善楽寺 東明院

土佐神社参道の右手に石柱門が立つ

正面の「十一面観世音菩薩像」
境内に入ると手水場があり、大師堂、本堂の順で並んでいる。本堂の向かい側には地蔵堂、子安地蔵、梅見地蔵が並ぶ。庫裏・納経所は大師堂の左側に並んでいる。

本 堂

本 堂 の 前 で

本 堂

太 子 堂

太子堂(左) と 本堂(右)

本堂の向かい側の地蔵堂、子安地蔵、梅見地蔵(右側から)

梅見地蔵:子安地蔵堂の左。文化13年(1816)の建立。首から上の病や悩みにご利益ありとされる珍しいお地蔵さん。近年では脳の病気、ノイローゼの快癒から合格祈願をする参詣者も多い。

地 蔵 さ ん の 絵 馬

庫裏・納経所・手水場


手 水 場

庫裏にある納経所で御朱印を戴く。
無事参詣を終えて第31番札所 竹林寺に向かう・・・・・・合掌 11月1日午後2時7分
★ 本尊:阿弥陀如来 ☆開基:弘法大師
★ 本尊の真言:おん、あみりた、ていぜい からうん
『略縁起』
桓武天皇が在位(781〜806)されていたあとの大同年間に弘法大師がこの地を訪れ、土佐の一ノ宮・総鎮守である高鴨大明神の別当寺として、善楽寺を開創され霊場と定められた。
以来、神仏習合の寺院として法灯の護持につとめ、神仏の信仰を啓蒙して栄えている。とくに土佐2代主・山内忠義公のころには武家の庇護をうけて寺は興隆し、繁栄をきわめた。だが、明治新政府による廃仏毀釈の難を受けて寺運は一変し、昭和4年に再興されるまで苦難の日々が続いた。その後、2ヶ寺で納経ができるなど混迷の時期を経て、平成6年1月1日を以って「善楽寺」は第三十番霊場として現在にいたっている。
★ 『四国遍礼霊場記』 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 (じゃくほん ))(翻訳・村上 護):(参考資料として転載)

高鴨大明神らしい。続日本紀に、従五位下賀茂朝臣田守らが奏上したこととして、次のような話が載っている。昔、大泊瀬の天皇が葛城山で狩りをしたとき、一人の老人が天皇と競い合って獲物を追った。
天皇は怒って、老人を土佐に流した。神が老夫と化して放逐された社が、これであろう。大泊瀬は雄略天皇である。日本紀には天皇が神に遭って名を問えば、一事主だと答えた。二人は轡を並べ歓談したとある。葛城の神は大己貴命の子で八重事代主命だ。高鴨神である。また、味耜高彦命を高鴨神とする場合もある。この神も大己貴の子で、事代主と兄弟だ。
神宮寺の本尊は阿弥陀・観音・勢至の三尊像で金銅製だ。天竺から伝わったと言われている。


善楽寺の山門だと思ったら『土佐一宮神社神光門(重文指定)』であった。参道近くにあるので善楽寺の山門と間違ちがわれやすいそうだ。善楽寺は1637年土佐一宮神社の★別当寺として建立されたが明治の廃仏毀釈により廃寺。昭和4年に復興された新しい寺である。
★別当寺とは:神仏習合が許されていた江戸時代以前に神社を管理するために置かれた寺のこと。神宮寺の一種。神社境内に建てられ、別当が止住し、読経・祭祀(さいし)・加持祈禱とともに神社の経営管理を行なった寺。
第三十番札所 百百山 善楽寺 東明院

土佐神社参道の右手に石柱門が立つ

正面の「十一面観世音菩薩像」
境内に入ると手水場があり、大師堂、本堂の順で並んでいる。本堂の向かい側には地蔵堂、子安地蔵、梅見地蔵が並ぶ。庫裏・納経所は大師堂の左側に並んでいる。

本 堂

本 堂 の 前 で

本 堂

太 子 堂

太子堂(左) と 本堂(右)

本堂の向かい側の地蔵堂、子安地蔵、梅見地蔵(右側から)

梅見地蔵:子安地蔵堂の左。文化13年(1816)の建立。首から上の病や悩みにご利益ありとされる珍しいお地蔵さん。近年では脳の病気、ノイローゼの快癒から合格祈願をする参詣者も多い。

地 蔵 さ ん の 絵 馬

庫裏・納経所・手水場


手 水 場

庫裏にある納経所で御朱印を戴く。
無事参詣を終えて第31番札所 竹林寺に向かう・・・・・・合掌 11月1日午後2時7分
★ 本尊:阿弥陀如来 ☆開基:弘法大師
★ 本尊の真言:おん、あみりた、ていぜい からうん
『略縁起』
桓武天皇が在位(781〜806)されていたあとの大同年間に弘法大師がこの地を訪れ、土佐の一ノ宮・総鎮守である高鴨大明神の別当寺として、善楽寺を開創され霊場と定められた。
以来、神仏習合の寺院として法灯の護持につとめ、神仏の信仰を啓蒙して栄えている。とくに土佐2代主・山内忠義公のころには武家の庇護をうけて寺は興隆し、繁栄をきわめた。だが、明治新政府による廃仏毀釈の難を受けて寺運は一変し、昭和4年に再興されるまで苦難の日々が続いた。その後、2ヶ寺で納経ができるなど混迷の時期を経て、平成6年1月1日を以って「善楽寺」は第三十番霊場として現在にいたっている。
★ 『四国遍礼霊場記』 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 (じゃくほん ))(翻訳・村上 護):(参考資料として転載)

高鴨大明神らしい。続日本紀に、従五位下賀茂朝臣田守らが奏上したこととして、次のような話が載っている。昔、大泊瀬の天皇が葛城山で狩りをしたとき、一人の老人が天皇と競い合って獲物を追った。
天皇は怒って、老人を土佐に流した。神が老夫と化して放逐された社が、これであろう。大泊瀬は雄略天皇である。日本紀には天皇が神に遭って名を問えば、一事主だと答えた。二人は轡を並べ歓談したとある。葛城の神は大己貴命の子で八重事代主命だ。高鴨神である。また、味耜高彦命を高鴨神とする場合もある。この神も大己貴の子で、事代主と兄弟だ。
神宮寺の本尊は阿弥陀・観音・勢至の三尊像で金銅製だ。天竺から伝わったと言われている。
スポンサーサイト