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四国撮り歩記  霊場八十八ヶ所巡礼の旅:土佐高知編 三十三番霊場

  第三十三番札所;雪渓寺に向かう。距離大凡10km。

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         第三十三番札所 高福山 雪渓寺
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               山           門
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 石柱門の右側に★山頭火(後述)の句碑が建つ・「人生即遍路」

 境内に入ると右に鐘楼、左に手水場、正面に本堂が建ち、その右横に大師堂がある。本堂左手に客殿・納経所があり、その左に馬頭観音堂がある

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               本           堂
 本尊は「薬師如来」脇仏の日光・月光菩薩も運慶晩年作である。
 四国八十八ヶ所巡りの寺はその殆どが真言宗であるが雪渓寺は臨済宗妙心寺派である。勿論開山当初は真言宗で高福寺と言う寺であったが、戦国の頃は一時荒廃していた。土佐の一郷士であった長曾我部元親が土佐一国を統一したその頃その地を訪れていた臨済宗の僧月峰和尚を招き元親が保護し★月峰和尚が中興の祖となる。元親の宗派である臨済宗に改宗され慶長4年元親の死後菩提寺となり法号:雪渓怒三大禅定門に因んで雪渓寺と改められた。 
 因みに四国八十八ヵ所霊場の構成は真言宗が80ヶ寺・天台宗4ヶ寺・臨済宗2ヶ寺・曹洞宗1ヶ寺・時宗1ヶ寺である。
 
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              大     師      堂
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              観     音      堂 
 馬頭観音が祀られている。馬頭観音は旅の安全を守ると云われており遍路の信仰が厚い。天井には天女が描かれている。
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              天 井 絵 の 天 女

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 石柱門を潜ると左に、太玄和尚の塔があり、そのすぐ隣に、山本玄峰老師のブロンズ塔と、その孫弟子にあたる鈴木宗忠老師のブロンズ塔が建てられている。
 山本玄峰師は、雪蹊寺の住職を務めたのち臨済宗妙心寺派の管長となり最後の禅僧ともいわれ鈴木貫太郎首相などの相談役なども努めた。鈴木貫太郎首相は第二次大戦終戦最後の総理大臣である。
 終戦の詔勅にある「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の文言を進言したり、天皇を国家の「象徴」と定義する(象徴天皇制)よう提案したのは山本玄峰師である。 太玄和尚は師匠に当たる。 

 右に鐘楼、左に手水場。本堂左手に庫裏納経所。
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              鐘           楼
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              手 水 場 と 吐 水 龍
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              納     経     所
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         御    朱    印
 
 無事参詣を終えて第34番札所 種間寺に向かう・・・・・・合掌    11月1日午後4時40分。
種間寺まで凡そ7Km、納経所の終了時間はPM5:00である。何とか間に合いそうだ・・・・急げや急げ・・。
 
★ 本尊:薬師如来     ★ 開基:弘法大師  
★ 本尊の真言:おん、こんころ、せんだぎ、まとうぎ、そわか

『略縁起』
 延暦年間に弘法大師によって開創された当初少林山高福寺と言っていたが、その後運慶、湛慶のゆかりの場所であった為慶運寺に改めた。石柱の門を入れば観音堂、鐘楼、大師堂、本堂がある。ご本尊は薬師如来。脇仏は日光・月光菩薩、いずれも運慶晩年の作。毘沙門天と脇仏の吉祥天女、善賦師童子は運慶の子湛慶の作。寺歴によれば後に寺は荒廃し、★月峰和尚が長宗我部元親に依頼されて寺を再興、元親の宗派であった臨済宗に改宗された。元親の死後その菩提寺となり、元親の法号にちなみ雪蹊寺となった。
 明治初年の廃仏毀釈で一時荒廃したが明治12年に再興された。
 
 ★月峰和尚の逸話:こんな話がある。
 「月峰和尚と妖怪」
運慶寺廃寺だった時もあり、こんな話が伝えられています。月峰和尚というお坊さんが寺を訪れ、一晩泊ろうとしました。
村人は、寺には恐ろしい妖怪が住んでいるからと止めましたが、和尚は気にせず泊る事にしました。
夜中に坐禅を組んでいる時に、泣き声とともに「水も浮き世を いとふころかな」と聞こえてきたのです。
 これは、和歌の上の句ができなくて、成仏できない霊だろうと考えた、月峰和尚は次の晩も泊って坐禅を続けていると、昨晩と同じ声が聞こえてきました。
そこで月峰和尚は「黒染めを 洗えば波も 衣着て 水も浮世を いとふころかな」
と詠いました。すると泣き声はやみ、二度と妖怪は出なくなったということです。これを聞いた長曽我部元親は、月峰和尚に住職になってくれるよう頼み寺の再興に大いに貢献したという。
 (通称『北洋さん』より戴きました)

★ 山頭火;放浪の俳人種田山頭火は愛読書の一つである、五、七、五の定型句に無い味を感じる。好きな句を3句挙げろと言われれば以下の3句であろう。
 ★ 分け入っても 分け入っても 青い山
 ★ まっすぐな道でさびしい
 ★ 鴉啼いて私も一人
 山頭火は40過ぎてから出家得度し、曹洞宗の禅僧となり、墨染めの法衣を着て、日本全国を旅して歩いた。昭和14年10月松山にやって来た。
 松山の生んだ俳人野村朱燐洞を思慕し、彼の墓参りを終えた彼は、その足で四国遍路に旅立った。
松山市、御幸寺境内に一草庵を構える。翌年10月死去、58歳。
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         山頭火の巡礼姿

 ★ 『四国遍礼霊場記』 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 (じゃくほん ))(翻訳・村上 護):(参考資料として転載)

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 長岡郡長浜村にある。本尊の薬師如来像と両脇士は空海の作。近世、長曽我部元親が菩提所としたため、禅宗になったようだ。開山派の僧が住み、雪渓寺と改めた。

★ 『略縁起』ではご本尊は薬師如来。脇仏は日光・月光菩薩、いずれも運慶晩年の作。毘沙門天と脇仏の吉祥天女、善賦師童子は運慶の子湛慶の作と為っているが『四国遍礼霊場記』では空海作とある。真偽の程は知らぬ。 
 

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