ヒゲ爺の独り言
エッセイ、昔の思い出話、釣り魚話、喰らい方等々
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四国撮り歩記 霊場八十八ヶ所巡礼の旅:土佐高知編 三十七番霊場
第三十七番札所;岩本寺に向かう。距離大凡73km。

第三十七番札所 藤井山 岩本寺 五智院

岩 本 寺 山 門 入り口

仁 王 門

扁 額


阿 吽 の 仁 王 像
山門を潜ると左側に手水場と納経所、右側奥に本堂があり手前に大師堂・聖天堂・鐘楼などが建つ。

本 堂
岩本寺は他に類がない本尊が五仏ある。不動明王:観世音菩薩:阿弥陀如来:薬師如来:地蔵菩薩:
本堂は昭和53年建立。


本堂右側の 観 音 像

本堂内陣の「五仏宝殿」の額。

本 堂 内 陣


本 堂 の 天 井 絵
天井絵の描かれた霊場は数あるが専門絵師、地元出身の絵師などが多いが此処の天井絵はプロ、アマチュア混交で全国から公募した575枚の絵で造られている。絵柄も自由でマリリン・モンローまである。

大 師 堂

大 師 堂 内 陣

大 師 堂 と 聖 天 堂

聖 天 堂
聖天とは大聖歓喜自在天の略で仏教守護神の一。もとはヒンズー教の神であったがのち仏教に帰依。人身象頭で,二天が抱擁しあう像が多い。除災・富貴・夫婦和合・子宝の功徳ある神として民間信仰が盛ん。大聖歓喜天。聖天。
(大辞林参考)

鐘 楼


手 水 場

納 経 所

御 朱 印
無事参詣を終えて第38番札所 岩本寺に向かう・・・・・・合掌 11月2日午前10時40分。
☆ 本尊:阿弥陀如来、観世音菩薩、不動妙菩薩、薬師如来、地蔵菩薩 ☆ 開基:行基菩薩
不動明王: なうまく さんまんだばざらだん せんだまかろしゃだ そはたや うん たらた かんまん
観世音菩薩: おん あろりきゃ そわか
阿弥陀如来: おん あみりたていぜい から うん
薬師如来: おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
地蔵菩薩: おん かかか びさんまえい そわか
☆ 本尊の真言:なむ、ほんぞん、かいえ、かん
☆『略縁起』:
天平年間、聖武天皇の命により行基菩薩は、七難即滅,七福即生を祈念して仁井田に天の七星を模って七ヶ寺を建立、その根本寺として福円満寺と名付けた。その後の弘仁年間(810~23)に巡錫した弘法大師は五社,五ヶ寺を増建し、自ら星供曼荼羅を書写、三国相承の星供秘法を修し、札所と定めた。
後に天正の兵火に遭い全焼しましたが、足摺岬にある金剛福寺の山主 尊海法親王の助力により再興され、寺名を現在のものに改めた。
★ 『四国遍礼霊場記』 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 (じゃくほん ))(翻訳・村上 護):(参考資料として転載)

高岡郡仁井田宮之内村にある。土佐の太守が建てた。広々と開けた土地で、神社の前は、尋常ではない雰囲気が漂う。前に仁井田川という大河が流れている。仁井田は、所の地名だ。別当の岩本寺は、十余り町を隔てた窪川の町にある【現在の立て札では「二・九キロ」】。

第三十七番札所 藤井山 岩本寺 五智院

岩 本 寺 山 門 入り口

仁 王 門

扁 額


阿 吽 の 仁 王 像
山門を潜ると左側に手水場と納経所、右側奥に本堂があり手前に大師堂・聖天堂・鐘楼などが建つ。

本 堂
岩本寺は他に類がない本尊が五仏ある。不動明王:観世音菩薩:阿弥陀如来:薬師如来:地蔵菩薩:
本堂は昭和53年建立。


本堂右側の 観 音 像

本堂内陣の「五仏宝殿」の額。

本 堂 内 陣


本 堂 の 天 井 絵
天井絵の描かれた霊場は数あるが専門絵師、地元出身の絵師などが多いが此処の天井絵はプロ、アマチュア混交で全国から公募した575枚の絵で造られている。絵柄も自由でマリリン・モンローまである。

大 師 堂

大 師 堂 内 陣

大 師 堂 と 聖 天 堂

聖 天 堂
聖天とは大聖歓喜自在天の略で仏教守護神の一。もとはヒンズー教の神であったがのち仏教に帰依。人身象頭で,二天が抱擁しあう像が多い。除災・富貴・夫婦和合・子宝の功徳ある神として民間信仰が盛ん。大聖歓喜天。聖天。
(大辞林参考)

鐘 楼


手 水 場

納 経 所

御 朱 印
無事参詣を終えて第38番札所 岩本寺に向かう・・・・・・合掌 11月2日午前10時40分。
☆ 本尊:阿弥陀如来、観世音菩薩、不動妙菩薩、薬師如来、地蔵菩薩 ☆ 開基:行基菩薩
不動明王: なうまく さんまんだばざらだん せんだまかろしゃだ そはたや うん たらた かんまん
観世音菩薩: おん あろりきゃ そわか
阿弥陀如来: おん あみりたていぜい から うん
薬師如来: おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
地蔵菩薩: おん かかか びさんまえい そわか
☆ 本尊の真言:なむ、ほんぞん、かいえ、かん
☆『略縁起』:
天平年間、聖武天皇の命により行基菩薩は、七難即滅,七福即生を祈念して仁井田に天の七星を模って七ヶ寺を建立、その根本寺として福円満寺と名付けた。その後の弘仁年間(810~23)に巡錫した弘法大師は五社,五ヶ寺を増建し、自ら星供曼荼羅を書写、三国相承の星供秘法を修し、札所と定めた。
後に天正の兵火に遭い全焼しましたが、足摺岬にある金剛福寺の山主 尊海法親王の助力により再興され、寺名を現在のものに改めた。
★ 『四国遍礼霊場記』 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 (じゃくほん ))(翻訳・村上 護):(参考資料として転載)

高岡郡仁井田宮之内村にある。土佐の太守が建てた。広々と開けた土地で、神社の前は、尋常ではない雰囲気が漂う。前に仁井田川という大河が流れている。仁井田は、所の地名だ。別当の岩本寺は、十余り町を隔てた窪川の町にある【現在の立て札では「二・九キロ」】。
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