ヒゲ爺の独り言
エッセイ、昔の思い出話、釣り魚話、喰らい方等々
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四国撮り歩記 霊場八十八ヶ所巡礼の旅:土佐高知編 三十八番霊場
第三十八番札所;金剛福寺に向かう。距離大凡93km。当寺は足摺岬の最先端に位置している。

第三十八番札所 蹉跎山 金剛福寺 補陀落院


金剛福寺前の道路を隔てた公園にあるジョン万次郎(中浜)の銅像。

公園から見た 山 門

山 門
山門を潜ると左手に弁財天、不増不減の手水鉢、鐘楼があり正面に本堂が建つ。

不増不減の 手 水 鉢

手 水 舎
大つくばいには山内家の三つ葉柏紋が彫られている。
後方に弁財天・鐘楼が見える。

弁 財 天

鐘 楼 堂


本 堂

本 堂 内 陣

本 堂 遠 望
右側に護摩堂・多宝塔が建ち、本堂左側の池の畔を行くと愛染堂、権現堂、行者堂があって大師堂に至る。


護 摩 堂

多 宝 塔

「本尊胎蔵界大日如来」・「源頼光公清和天皇菩提のため建立」 とある。
本堂左側を行くと愛染堂、権現堂、行者堂があって大師堂に至る。

愛 染 堂

権 現 堂

権現堂傍の 文 殊 堂

行 者 堂
役小角・行者(えんのおずみ・ぎょうじゃ)が祀られている。

大 師 堂


大 師 堂 内 陣

大 師 堂 奥に 権 現 堂

「南無大師遍照金剛」 遍路記念碑

修 業 大 師 像 (大師堂近く)


納 経 所

御 朱 印
無事参詣を終えて第39番札所 延光寺に向かう・・・・・・合掌 11月2日午後1時30分。
☆ 本尊:三面千手観音菩薩(伝弘法大師作) ☆ 開基:弘法大師
☆ 本尊の真言:おん、ばさら、たらま、きりく
☆『略縁起』:
弘仁13年(822)、嵯峨天皇より★「補陀落東門」の勅額を受けた弘法大師は足摺岬に来錫、千手観世音を刻み、御本尊として寺を開創、月輪山金剛福寺と号して四国39番目の札所に定めた。
金峰上人が住職のとき岬周辺を荒らしていた天魔を、上人が『蹉跎の法力』をもって蹉摺(あしずり)して退かせたことに因み、現在の蹉跎山に改号した。
嵯峨天皇以来代々の天皇の祈願所となる、武将取分け源家一門との縁が深く多宝塔始め多くの塔堂の建立を受けている。
★『補陀落』とは梵語のポータラカの訳語でインド南海岸にあると言われる観音様の住む所と言われる山のことである。
補陀洛渡海(西方渡海)とは、一言で言えば、観音菩薩が居られるという南方・補陀洛浄土を目指して不帰の船出をすることで、“入水捨身による自殺行”である。今、浄土といえば阿弥陀如来が坐す西方・極楽浄土を指すが、大乗仏教によれば、この世の四方八方に浄土がありそれぞれ如来・菩薩が坐すとされ、そのひとつが観音の補陀洛浄土である。
★補陀洛山寺
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町築地
本尊--千手観音菩薩
仁徳天皇のころ、インドから那智に漂着した裸形上人開基との伝承をもつ古刹。
★ 『四国遍礼霊場記』 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 (じゃくほん ))(翻訳・村上 護):(参考資料として転載)

幡多郡にある。空海が訪れる以前から建っていたという。もとの堂は山頂にあったが、空海が勅命を受けて現在地に移した。勅願所となった。本尊は高さ六尺の千眼観音像で、二十八部衆が周囲を囲んでいる。
金峯上人が住んでいたとき、絶えず魔魅が修行の邪魔をした。上人が呪伏すると魔魅は悲しんで足摺りした。山号は、これにちなむという。空海が唐で投げた五鈷金剛杵が落ちた場所なので、金剛福寺と呼ぶ。観音の霊場であるので、観音が主宰する補陀洛世界から採り、補陀洛院と号す。
本堂の左に塔がある。本尊の大日如来像は、清和天皇の追善供養として、清和源氏の祖・多田満仲が作らせたものだと、伝えられている。
堂の右にある十三重の石塔は、前国主・山内忠義が建てた。愛染堂・薬師堂・役行者・大師堂が軒を接している。鎮守の熊野権現・天神社がある。前には二王門、鐘楼。門の前には除石と呼ばれるものがある。このほか、有名な神社が多く、ここに載せることは困難だ。堂の右に並んでいる。境内は昔、三里四方あったという。
霊宝が多く残っている。嵯峨天皇・宇多天皇・醍醐天皇・円融院・冷泉院など代々の勅書や高貴な家からの寄進状なども多い。

第三十八番札所 蹉跎山 金剛福寺 補陀落院


金剛福寺前の道路を隔てた公園にあるジョン万次郎(中浜)の銅像。

公園から見た 山 門

山 門
山門を潜ると左手に弁財天、不増不減の手水鉢、鐘楼があり正面に本堂が建つ。

不増不減の 手 水 鉢

手 水 舎
大つくばいには山内家の三つ葉柏紋が彫られている。
後方に弁財天・鐘楼が見える。

弁 財 天

鐘 楼 堂


本 堂

本 堂 内 陣

本 堂 遠 望
右側に護摩堂・多宝塔が建ち、本堂左側の池の畔を行くと愛染堂、権現堂、行者堂があって大師堂に至る。


護 摩 堂

多 宝 塔

「本尊胎蔵界大日如来」・「源頼光公清和天皇菩提のため建立」 とある。
本堂左側を行くと愛染堂、権現堂、行者堂があって大師堂に至る。

愛 染 堂

権 現 堂

権現堂傍の 文 殊 堂

行 者 堂
役小角・行者(えんのおずみ・ぎょうじゃ)が祀られている。

大 師 堂


大 師 堂 内 陣

大 師 堂 奥に 権 現 堂

「南無大師遍照金剛」 遍路記念碑

修 業 大 師 像 (大師堂近く)


納 経 所

御 朱 印
無事参詣を終えて第39番札所 延光寺に向かう・・・・・・合掌 11月2日午後1時30分。
☆ 本尊:三面千手観音菩薩(伝弘法大師作) ☆ 開基:弘法大師
☆ 本尊の真言:おん、ばさら、たらま、きりく
☆『略縁起』:
弘仁13年(822)、嵯峨天皇より★「補陀落東門」の勅額を受けた弘法大師は足摺岬に来錫、千手観世音を刻み、御本尊として寺を開創、月輪山金剛福寺と号して四国39番目の札所に定めた。
金峰上人が住職のとき岬周辺を荒らしていた天魔を、上人が『蹉跎の法力』をもって蹉摺(あしずり)して退かせたことに因み、現在の蹉跎山に改号した。
嵯峨天皇以来代々の天皇の祈願所となる、武将取分け源家一門との縁が深く多宝塔始め多くの塔堂の建立を受けている。
★『補陀落』とは梵語のポータラカの訳語でインド南海岸にあると言われる観音様の住む所と言われる山のことである。
補陀洛渡海(西方渡海)とは、一言で言えば、観音菩薩が居られるという南方・補陀洛浄土を目指して不帰の船出をすることで、“入水捨身による自殺行”である。今、浄土といえば阿弥陀如来が坐す西方・極楽浄土を指すが、大乗仏教によれば、この世の四方八方に浄土がありそれぞれ如来・菩薩が坐すとされ、そのひとつが観音の補陀洛浄土である。
★補陀洛山寺
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町築地
本尊--千手観音菩薩
仁徳天皇のころ、インドから那智に漂着した裸形上人開基との伝承をもつ古刹。
★ 『四国遍礼霊場記』 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 (じゃくほん ))(翻訳・村上 護):(参考資料として転載)

幡多郡にある。空海が訪れる以前から建っていたという。もとの堂は山頂にあったが、空海が勅命を受けて現在地に移した。勅願所となった。本尊は高さ六尺の千眼観音像で、二十八部衆が周囲を囲んでいる。
金峯上人が住んでいたとき、絶えず魔魅が修行の邪魔をした。上人が呪伏すると魔魅は悲しんで足摺りした。山号は、これにちなむという。空海が唐で投げた五鈷金剛杵が落ちた場所なので、金剛福寺と呼ぶ。観音の霊場であるので、観音が主宰する補陀洛世界から採り、補陀洛院と号す。
本堂の左に塔がある。本尊の大日如来像は、清和天皇の追善供養として、清和源氏の祖・多田満仲が作らせたものだと、伝えられている。
堂の右にある十三重の石塔は、前国主・山内忠義が建てた。愛染堂・薬師堂・役行者・大師堂が軒を接している。鎮守の熊野権現・天神社がある。前には二王門、鐘楼。門の前には除石と呼ばれるものがある。このほか、有名な神社が多く、ここに載せることは困難だ。堂の右に並んでいる。境内は昔、三里四方あったという。
霊宝が多く残っている。嵯峨天皇・宇多天皇・醍醐天皇・円融院・冷泉院など代々の勅書や高貴な家からの寄進状なども多い。
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