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四国撮り歩記  霊場八十八ヶ所巡礼の旅:伊予愛媛編  40番霊場

  昨年10月(2日間)~11月(3日間)とで徳島、高知県巡りを終えた。寒い期間を避けて愛媛巡りは桜の季節にと決める。
 太平洋側に面した四国地方の桜の開花は例年、3月下旬と相場が決まっているそうなので3月27日(日)を中心にと考えていたが20日過ぎても一向にネットの開花情報に載らない。松山の旧友に連絡するが4月3日(日)でも『どうかな~』との返事である。10日(日)では遅かろうと勝手に判断し4月2日(土)決行と決めた。地元の桜の蕾はまだ固い。
 愛媛の一ヶ寺目の第四十番札所:観自在寺は愛媛県の最南端の南宇和郡御荘町に在る、大凡500km近い行程である。どうせ今日は走るのみであろうと、2日朝8時前に出発、空は今にも泣きそうだ今回は雨合羽も持ったし『何とか成るじゃろ』と阪奈高速→阪神高速→明石大橋→淡路高速→鳴門大橋→四国横断道路と乗り継ぎ高松ICを過ぎた頃雲の切れ間から少し青空が見え隠れし始めた。
松山市街が見渡せる処まで来たときには完全な晴天となった、メーターは丁度360kmを指していた。
此処までに山間部も可也走り『桜三里』と言う地名もあったが桜の気配は全く無い。
宇和島近くまで高速で走れたが後は地道をのろのろ運転。
第四十番札所:観自在寺に着いたのがPM3:30。
一服の後お参りする、第四十一番札所まで大凡50km、今日は此処で御仕舞いだ、ゆっくりとお参りできた。
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      第四十番札所:平城山   観自在寺
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                山            門
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 山門(仁王門)は総欅(ケヤキ)造り、高さ7m、幅6m、屋根は入母屋造、昭和63年に大修理が行われた。愛南町指定有形文化財に昭和51年10月1日指定されている。
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                扁            額 
 現在の額は高野山四百一世座主の筆によるもの。              
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            仁     王     像
 観自在寺の仁王像について多様なホームページやブログを見ると「仁王像は下久家の大工が作成した」とあり詳しいことは書かれていない。この文章を読んで、最初ひげ爺は「下久家と云う旧家か、棟梁一家の大工が作った」と解釈していたが全くの間違いであった。下久家(しもひさげ)は村落の名前で以下の文献を探し当てたので参考に・・・・。

 「地区の歴史」
 下久家には、幕末のころから明治のはじめにかけて、久家部落から移り住んできました。
久三郎成箇郷帖には、安永八年、下堤浦浪介作りという記録があり、開墾、耕作があったことを証明しています。
 平城山観自在寺の山門に、紙つぶてを体いっぱいに受けて立っている仁王さまがあります。この仁王さまは、★下久家(しもひさげ)の大工池田小三郎が製作したもので、施主は西海町の人々です。 
★現在;愛媛県南宇和郡愛南町下久家(しもひさげ)
明治四十四年、本町から濠洲の木曜島に貝取りに行っていたダイバーが、観自在寺の山門に仁王さまのないことを知り(明治の初め、廃仏の騒ぎに焼いたという)、久家の有志が世話人となって拠金を行いました。これらの人々は当時、宮大工として郡内外に名を知られていた小三郎に作成を依頼して寄進したのです。
総経費は二万円だったといいます。「文献参考」
 
 山門を潜ると右手に手水場、鐘楼、宝聚殿八角堂、お忘れぽっくり地蔵がある。
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                手      水      場
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                鐘             楼
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              お忘れぽっくり地蔵尊
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 「お地蔵様は私達の苦しみ、悩みを除き、大慈悲心を以って福徳を与え、中道無間の苦しみを除き安楽な世界へお導きくださる菩薩さまです」
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                 宝 聚 殿 八 角 堂
 本尊 文殊菩薩・弁財天。当寺に伝わる宝物を収納展示し学業成就・受験祈願のため、文殊菩薩祀っている。

 参道の正面奥に本堂が建ち、右手に大師堂がある。納経所は本堂の中にある。

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                本   堂   遠   望
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                「別格本山 観自在寺」石柱と修業大師像                
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                本            堂
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                本   堂   内   陣
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                本堂の右側にある納経所
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                記念撮影(本堂前で)当時ひげ爺に髭無し
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 本堂より右側の境内風景:右側本堂屋根・観自在菩薩像・大師堂・篠山大権現・心経宝塔
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             観 自 在 菩 薩 像
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             大      師      堂
 平成5年に完成。総檜の宝形造り。
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 上図写真のお堂が暗いのでカット修正した大師堂。
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             扉の隙間から お大師様のお姿が・・・・
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 大師堂の回廊に各霊場の砂が敷き詰められ、一周すると四国八十八ヵ所のお砂踏みが出来る。全霊場を巡礼した気分に浸れるとか・・・・・。

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                心    経    宝    塔
 弘法大師が平城天皇の御病気平癒のために般若心経の御祈祷をなされた古事により、全国の大師信者の方々の写経奉納により昭和53年に建立された。地下室には御順拝者の写経が奉納されている。内部には般若菩薩を奉安している。
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 大師堂と心経宝塔の間の小さな祠は寺域の守り神の篠山大権現 

 本堂・大師堂の納経を終えて参道を下ると八体仏十二支守り本尊・平城天皇御廟伝説となった遺髪塚・栄かえるの石像などがある。
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                八体仏十二支守り本尊
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                平城天皇 遺 髪 塚
 平城天皇が「薬子の変」(説明済)を機に仏門に入る際に剃髪した遺髪を埋めていると云われている。822年2月東大寺潅頂道場において空海から★金剛界の潅頂を受けた。
 ★灌頂(かんじょう)とは、主に密教で行う、頭頂に水を灌いで緒仏や曼荼羅と縁を結び、正しくは種々の戒律や資格を授けて正統な継承者とするための儀式のことをいう。「(ウィキペディア参照)」
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                撫でれは願いの叶う「栄かえる」

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 本堂内の納経所で戴いた 御 朱 印

 無事参詣を終える。後は今夜の宿をさがすのみ・・・・・・合掌    4月3日午後4時10分。

  【略縁起】
 観自在寺は第一番札所:霊山寺より一番遠い場所にあり四国霊場の裏関所と言われており四国巡拝を此処まで終えると大凡半分を終えたことになるそうだ。
大同2年(807年)、平城天皇の勅願所として、弘法大師が一木から本尊の薬師如来と脇仏の阿弥陀如来,十一面観世音菩薩の3躰を刻んで安置、開創、残りの霊木で刻まれた舟形の「南無阿弥陀仏」の名号の宝判は寺宝となっている。
開創後に平城、嵯峨両帝が当寺を行幸され一切経と大般若経を納めた御朱印と山号を下賜され、毎年勅使を派遣、その為に、当地を御荘と名付け寺の町を平城と呼ぶようになった。昭和34年観自在寺は本堂を消失したが39年に大師創建時の姿に再建完成された。

  ★  本尊:薬師如来      ☆  開基:弘法大師
  ★  本尊の真言:おん、ころころ、せんだり、まとぅぎ、そわか
   
 今夜の宿探しに宇和島市に向かう(引返し)大凡40km。
 明るい時間帯なのでビジネスホテルも簡単に見付かり投宿。走破520km、宇和島城の近くの様だが見物する気力無し。
 一風呂浴びて、フロントに『魚の旨い店は?』と聞くと『ホテルを左に行き突き当たりの大通りを左に曲がると有る』と言う。早速出かけてウインドウを覗くと流石宇和島と唸らせる様な献立が並んでいる。
暖簾を潜り早速『地酒と刺身定食、鯛の刺身を追加』と注文する。地酒は中々旨いが鯛刺が期待はずれ、姿造りで出してきたのは板さんの失敗、年中鯛釣りに固執している僕には一目で養殖鯛であることが判明、期待外れである。養殖魚に慣らされた最近の自称食通は天然魚を出すと『身が硬く美味しくない』言う者も居るそうだが矢張り天然魚に限る。
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               丹後半島宮津港・光洋丸の鯛釣りでの釣果
特に鯛は釣った直後に生き絞めをして鮮度を保ち15~6時間後から1日目位が食べ頃である。
活魚と称して小さな水槽に何日間か活かしストレスが掛かり弱った魚を刺身にしても美味しかろう筈が無い。
  鯛は期待外れであったが定食に付いた小魚の刺身は旨い。
追加を2回した。
『小魚の刺身はキビナゴですか?』と聞くと『ホオタレ』だと言う。
『ホオタレ』は鰯の仲間、愛媛、廣島、鹿児島等の地方名である。
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                     ホウタレ
 鰯はマイワシ、ウルメイワシ、カタクチイワシの三種で『ホオタレ』はカタクチイワシであり成魚で15cm程度しか成らない。炒魚(いりこ)煮干の材料がこの魚である、ゴマメ、タツクリ等とも呼ぶ。『ゴマメの歯軋り』のゴマメであり、正月料理に欠かせない『田造り』はゴマメが材料である、『田造り』の語源の一つに昔は大量に獲れたので献上米を作る田んぼの肥料にしたとの説があり、ゴマメを『御健在』(元気の意。マメですか?)と書き祝賀の宴にも用いたとの説、将に正月料理の定番はその辺に有るんじゃあなかろうかな?
 『ホオタレ』の食べ方は先ず頭を落とし中骨と内臓を親指一本(手びらき)で取り出し水洗いし山葵醤油か酢味噌で食べる、簡単な料理であるが足が速い(弱りが速い)ため氷水で洗うなどして鮮度を保つ事と手速さが肝要である。
鮮度の良い『ホオタレ』は時期的な制限もあるし中々手に入れ難いが中型の鰯で試してみることをお勧めする。
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                   キビナゴと刺身
 前出の『キビナゴ』はウルメイワシ科の魚で体の背部は緑青色で体側部には銀青色の帯が顎から尻尾まで通った美しい小魚である。房総半島以西、熱帯海域まで分布し春の産卵期には浜辺に群集する、その時がキビナゴの旬である。
『ホオタレ』と同じように食す、これも旨い。
鹿児島南部では「帯」のことを「キビ」といい、体側中央部の青白色の帯を「キビ」とし、「帯の小魚(ナゴ)」と呼んでいる。当にキビナゴである。
九州南部、離島に旅したら必ず食べられる事を勧めます。
 シラウオとシロウオと良く混同されるが同じ伝でキビナゴとイカナゴも同魚と良く間違えられるが全く似て非なる魚である。
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                    イカナゴと釘煮
 イカナゴはイカナゴ科の小魚で背部は青色、腹部は銀白色。普通の魚と違い腹鰭が無い。成魚で15cm内外、日本各地に分布(但し黒潮の当たる太平洋岸を除く)産卵期の冬~春を除き昼間は砂の中に潜り生活する特性を持つ。
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                   砂に潜ったイカナゴ
 3月になると瀬戸内や大阪湾近辺で漁が始まり5~6cmの幼魚を釘煮(佃煮)にする。錆びた釘が曲がった様な形に成るので釘煮と言うのであろうか?。
 家のオッカナイも時期になると3~4kgも造り近所に配り喜ばれている。成魚は刺身にも出来る、前出の2魚と同じ作り方と食い方であり此れも旨い。
イカナゴが湧く頃瀬戸内では俄然メバル、カサゴ等磯付きの魚が活性化し最高の釣り期となる。生餌に最高となる訳である。
 3魚の共通点は:
 ① 生態分布が同じの小魚で安価、刺身が旨い
 ② 生餌に最適:メバル、カサゴ釣り、ひらめ釣り、鰹の一本釣りの集魚用生餌等
 ③ 栄養価が高い、健康維持に最適
 ★ DHA(ドコサへキサエン酸)が豊富に含まれ、悪玉コレストロールを減らし善玉コレステロールを増やす他、脳、神経組織の発達や機能を高め血圧を下げたり、中性脂肪を減らす作用などがある。
 ★ I(E)AP(イコサペンタエン酸)を含むので、血小板の凝集を抑制し血栓を溶解させ、血管拡張作用、悪玉コレステロールの減少作用、中性脂肪を減少させる。
 ★ DHAとI(E)PAは発癌率を低下させるだけでなく、癌細胞の転移を抑制し抗癌剤の副作用を軽減させる作用があると報告されている。
 ★ カルシウムも多く含まれ、吸収力を上げるビタミンDも含まれているのでカルシウムを効率よく摂取する事も出来、骨や歯を強化、特に骨粗鬆症の予防に最適である。
 ★ ビタミンB2も豊富で細胞の代謝粘膜保護にも有効である。
魚喰いと釣り好きが昂じて得た蘊蓄を垂れ過ぎたようだ。

 地酒のほろ酔いと満腹で上目蓋が落ちそうに為ってきた、明日は早立ち、帰って寝ようと::::::。


  ★ 『四国遍礼霊場記』 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 (じゃくほん ))(翻訳・村上 護):(参考資料として転載)
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 上郡平城村にある。空海の開基。本尊は薬師如来像で、脇に観音菩薩像が安置されている。観自在の寺号が思い合わされる。昔は別に堂があったようだ。御影堂・鎮守社・鐘楼もあったらしい。数千本の竹林と隣り合っている。山の前腹にあって、あまり高い場所ではない。右に入江がある。仁智の愛を豊かに感じさせる場所で、領主が国内監察のとき休憩する屋敷が門前に建っている。茅葺きの侘びて美しい建物らしい。

 篠山観世音寺(番外)
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 南は青海原が満々として空と繋がっているように見える。東には高い山が連なり、いつも雲が立っている。西にも多くの山々が巡り、九州が眼下に見える。一里の坂を上って、寺に着く。
 空海の開基だという。観世音寺と名付けた。本尊は高さ五尺の十一面観音像。山の上には三所権現社があるらしい。熊野の神だろうか。篠や竹が茂っている。霊異があるといって、この篠を万病の治療に使う。効果があるという。特に、馬の病気に効くらしい。八十八カ所の内ではないが、遍路が必ず立ち寄る霊地である。
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