ヒゲ爺の独り言
エッセイ、昔の思い出話、釣り魚話、喰らい方等々
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四国撮り歩記 霊場八十八ヶ所巡礼の旅:愛媛編 56番霊場
第五十六番札所 泰山寺え向かう 大凡3,8k。

第五十六番札所 金輪山 泰山寺 勅王院

山門は無い。石段を登ると石門柱が、正面に本坊・納経所が建つ。美しい白い漆喰塀は2000年に改修された。

石の 門 柱

石段を登った境内。正面に本坊・納経所、左側に手水場・右奥に鐘楼と太子堂。本堂は本坊の左側に建つ。


手 水 場
先ず手水で身を清め本堂に向かう。


本 堂

扁 額 (ご本尊;地蔵菩薩)

本 堂 内 陣


内 陣

本堂から本坊への渡り廊下:仁王像が安置されている。


「阿吽」の 仁 王 像
本坊の右奥に鐘楼と太子堂。


鐘 楼
明治14年(1881年)建立。今治城内の太鼓楼の古材で再建された。

太 子 堂

太 子 堂 扁 額
太子堂横の石仏。

不 動 明 王 石 像

修 業 大 師 石 像
左から、聖法理源大師・不動明王石像・神変大菩薩・修業大師石像と並ぶ。

納 経 所

御 朱 印
無事参詣を終えて第57番札所 栄福寺に向かう・・・・・・・合掌 4月5日午前10時45分
『略縁起』
弘仁6年(815年)、弘法大師がこの地を巡錫しているとき、梅雨のため蒼社川が氾濫していた。伊之子山付近に源を発する蒼社川は、玉川村から今治市の東南を抜けて燧灘へ流れ込んでいる。この川は毎年のように氾濫し、地元の人々から「人取川」と呼ばれ、氾濫は悪霊の祟りと恐れられていた。大師は村人達と共に川原に壇を築き、土砂加持の秘法を七座厳修した。その満願の日に延命地蔵が空中に現われ、大師が示現した地蔵尊を刻み本尊として一寺を建立し安置した。寺号は延命地蔵十大願の第一「女人泰産」からとり、泰山寺と名付けられた。山号の金輪山は裏手の山の名前で、当初はこの山の山頂に建てられていたとされる。★天長元年(824年)、★淳和天皇の勅願所として七堂伽藍も建立され、塔中十坊を有する大寺となった。しかし度重なる兵火で寺運は衰退。その後、現在の場所へと移された。
★天長(てんちょう)は、日本の元号の一つ。弘仁の後、承和の前。824年から834年までの期間を指す。この時代の天皇は淳和天皇、仁明天皇。
★淳和天皇:淳和天皇(じゅんなてんのう、在 位:弘仁14年4月27日(823年6月9日) - 天長10年2月28日(833年3月22日))は、 平安時代初期の第53代天皇。西院帝ともいう。
★ 本尊:地蔵菩薩 (伝 弘法大師作) ★開基:弘法大師
★ 本尊の真言 おん、かかかび、さんまえい、そわか
◎ 四国遍礼霊場記 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 (じゃくほん ))(翻訳・村上 護) (参考資料として)

空海の開基だという。興廃の履歴は分からない。本尊は空海が作った地蔵菩薩像。茅を葺いた堂は清浄で、樹木が茂っている。籬には山の花が交わり、野の風が通っていく。数件の農家が、夕陽を浴びている。
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