ヒゲ爺の独り言
エッセイ、昔の思い出話、釣り魚話、喰らい方等々
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四国撮り歩記 霊場八十八ヶ所巡礼の旅:愛媛編 58番霊場
第五十八番札所 仙遊寺に向かう 大凡3、8km。

第五十八番 作礼山 仙遊寺 千光院


山 門 (仁王門)

山 門 扁 額

作 礼 山 仙 遊 寺


阿 吽 の 仁 王 像
山門を潜り急な遍路道を登る。

山門から続く遍路道を50m登ると弘法大師の御加持水がある。

この井戸から湧き出た霊水は、多くの村人を諸病から救ったと伝えられている。

境内まであと300m急峻な道が続く。


さらに参道を登って行くと境内にたどり着く、目の前に修行大師石像があり、その先に鐘楼、左に大師堂があり傍に手水場がある。

修 業 大 師 (八十八ヶ所御砂踏霊場)
八十八ヶ所の本尊の石仏があり、ここを一回りすることにより、八十八ヶ所をお参りした事に為るそうだ。

鐘 楼

手 水 場
現在の手水場は太子堂横に屋根付の手水舎と為っているそうだがひげ爺参拝の頃は上記写真の通り。漱ぎ身を清め本堂に向かう。

本 堂

二層破風建築の本堂屋根

本堂扁額 (千手観音菩薩)


本堂内陣 (本尊:千手観音菩薩)

本堂の縁さきに おびんずるさま
お釈迦様の一番弟子で「撫で仏」とも呼ばれている。
自分の痛む個所を左手で押さえ、右手で撫で仏の個所を同時に撫でるとご利益があり、頭も撫でると良くなるそうで 学力向上にも信仰が厚い。

本堂の縁左隅に 不動堂
お堂には小さい不動像が安置されている。
霊場には納経所が独立しているが当寺には本堂の中に納経所がある。変則ながら本堂で御朱印を戴く。

御 朱 印
太子堂へ

太 子 堂

太 子 堂 内 陣

仏 足 跡 (太子堂右前)
太子堂の右側には塚・石仏等々が多数並んでいる。


宥 連 上 人 の供養塔
明治時代初期 荒廃していた仙遊寺を多くの信者とともに再興に尽力された。弘法大師の導きで霊能を授かり多くの苦しむ人々を救済されたといわれいます。明治4年に日本で最後の即身成仏と為る。

空海石像と仙遊寺門柱


子 安 観 音 石 像
無事参詣を終えて第59番札所 国分寺に向かう・・・・・・・合掌 4月5日午前11時50分
『略縁起』
★天智天皇の勅願により、★伊予の大守越智守興が一宇を建立したのが始まりとされる。後に★阿坊仙人人がこの寺に参籠し、養老2年(718年)までの40年間、読経三昧の日々を送り、七堂伽藍を整えたと伝えられる。この七堂伽藍と阿坊仙人がある日煙のごとく消えてしまったといわれ、寺号はこの事にちなんで付けられた。また山号は、海から上がった竜女が本尊の千手観世音菩薩を一刀三礼で刻んだとの伝説にちなむ。その後四国霊場開創のため弘法大師が巡錫。この寺に留錫し修法したとされる。明治時代には、高僧宥蓮上人がこの寺の山主となり、その法力で人々の信仰を集めた。だが、上人は衆生済度の思いをこの世に残すため、生きながら土中に埋まり入定した。境内にはこの宥蓮上人を供養する五輪塔が建立されている。昭和22年に山火事に遭って全焼したが、本堂、大師堂をはじめ次々に復興された。
★ 天智天皇:第38代天皇、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の時代、中臣鎌足らと謀り、皇極天皇の御前で蘇我入鹿を暗殺するクーデターを起こす(乙巳の変)。入鹿の父・蘇我蝦夷は翌日自害した。更にその翌日、皇極天皇の同母弟を即位させ(孝徳天皇)、自分は皇太子となり中心人物として様々な改革(大化の改新)を行なった。また有間皇子など、有力な勢力に対しては種々の手段を用いて一掃した。
★ 本尊:千手観世音菩薩 (運慶作) ★ 開基:越智守興
★ 本尊の真言: おん、 ばさら、 たまらきりく

犬 塚 池
★ 犬塚池伝説 愛媛県今治市・犬塚池
昔むかし、58番札所仙遊寺と57番札所栄福寺をひとりの住職さんが兼務していて、一匹の黒い犬を飼っていました。
この犬はとても賢かったため、住職さんは愛犬に二つの寺の使いをさせていました。
山の上の仙遊寺で鐘が鳴れば山を駆け登り、山の麓の栄福寺の鐘が鳴れば山を駆け下りて、住職さんにその用事を伝えるという利口な犬でした。
しかし、ある時、仙遊寺と栄福寺の鐘が同時に鳴ったため、愛犬はどちらに行けばよいのか迷ってしまい、右往左往するうちに途中にある池で溺れ死んでしまいました。
これを悲しんだ村人が、池の湖畔に犬塚をもうけて、その池を犬塚池と呼ぶようになったと言われています。
この池は今も、仙遊寺と栄福寺の中間にあり、静かに水をたたえています。
◎ 四国遍礼霊場記 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 (じゃくほん ))(翻訳・村上 護) (参考資料として)

天智天皇の勅願寺だという。このため、歴代の綸旨・院宣が多く残っているらしい。
本尊は高さ六尺の千手観音像。寺は石清水八幡から二十町ばかり坂を上った場所にある。この山は平地に孤立しており、険しく、珍しい形の木が多い。麓には田畑が、美しい布のように広がり、遠く青海原を望めば、波に島々が浮かんでいる。左には今治の高山が聳えている。このような絶景は、どこから飛んできたのだろうか。現実のものとは思えず、まるで理想的に描かれた絵画を見ているようだ。
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