但馬地方の冬の珍味(魚介類) ② マツバ蟹

 山陰海岸の冬の味の王様は『マツバ蟹だ!!』万民認めざるを得まい。
ヒゲ爺魚介類味のランキングでは間違いなく超★★★★★。
松葉蟹は雄の大きな松葉ガニ、雌の親ガニ(セコガニ、セイコガニ、コウバコ)、若松葉ガニ(ミズガ二)に分類されている。先ずは松葉ガニから説明する。
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                   マツバ蟹(雄)
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                 茹でるとこうなるマツバカ蟹(雄)
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                マツバ蟹(雌)
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         茹でるとこうなるセイコガニ(雌)

『松葉ガニ』とは日本海側山陰地方(島根、鳥取、兵庫、京都府)で獲れるズワイガニの地方名である。
ズワイガニは日本海の冷水域、島根以北北海道、韓国、北朝鮮、ロシア、カナダ、アラスカ等広い海域に棲む大型のカニ。
① 松葉カニ→山陰地方で獲れるズワイガニワイの総称である。
   隠岐マツバ(青)、鳥取マツバ(白地に赤)、津居山ガニ(青)、間人ガニ(緑)等々漁獲地の名前付け   てブランド化を図っている向きもある。
   最近はカニに水揚げ港、○○丸と船名の入ったタグ(カッコ内はタグの色)を一匹毎に付けて固有の名   前で売り出しているようだ。
② 越前ガニ→福井県越前地方で獲れるズワイガニの総称(黄色)である。
③ 上記以外で水揚げされたカニはズワイガニと呼んでいる。北海道ズワイガニ、ロシア産ズワイガニ、カ  ナダ産ズワイガニ等々。

★ 何故手間隙掛けて一匹毎にタグを付けるように成ったか?
① 商品に責任を持ち価値を上げブランド化する事。
② 以前には、輸入物等をマツバ蟹、越前蟹と称して産地偽装をして販売したケースが儘あった様だ。偽装  販売防止である。
 そんな話を魚業者さんから聞いたことがある。
その魚業者さん曰く、素人さんには区別が付かないだろうが玄人目には一目瞭然だ!そうです。
日本海は北に行く程海底に石が多くカニに傷が付きやすく色焼けも多くなり腹部も黄色ばみ、甲羅や足等の棘が大きく鋭くなる。そんな処で大体の産地の見当が付くそうだ。

一に松葉二に越前三四がなくて五にズワイガニと言われる程見た目にも味にも差が有るとの事。
 何故一が松葉か?
太古の昔中国山脈の最高峰大山が噴火した際大量の火山灰が隠岐の島周辺から兵庫県但馬地方の海に堆積しカニに適した漁場を造ったのが原因。
① 堆積土で餌となるヒトデ類ゴカイ,ひる類等が繁殖し易く餌が豊富である。
② 火山灰の堆積土なのでカニに傷が付きにくく甲羅焼けをしにくい。
③ 栄養豊富な土で味が良くなる。
④ カニビルがの卵が付いたものが多いい程カニが硬く身の詰まりが良い。
⑤ 腹部が白又は青白いものが多く見た目も美しい。
⑥ 沈潜が多くカニの棲みやすい環境がある。
 《①~⑥は蟹元の資料から引用させて戴いた》

★ マツバカニどの様に大きくなるか?
セコガニ(メスガニ)は1尾のメスガニから約50,000尾程の幼生を孵化させます。孵化したばかりのズワイガニの子供は、最初から海底で生活するのではなく、プランクトンのように海中を浮遊して過ごす。この時期のカニを「浮遊期幼生」という。
 孵化したばかりの幼生を;
① プレゾエア(1mm)⇒一時間後には脱皮し ② ゾエア(3mm)1期を経て⇒一ヵ月後再び脱皮し ③ ゾエア2期となる⇒一ヵ月後再び脱皮し⇒ ④ メガロッパとなる。
①~④が「浮遊期幼生」でメガロッパ時期を3~5ヶ月過し再び脱皮し漸く稚蟹として海底で生活する様になる。その間はより小さなプランクトンを餌にして成長する。
その後、稚ガニは脱皮を繰り返しながら、大きくなっていく訳である。甲幅が5cm未満の頃までは、1年に数回の脱皮を行うが5cm以上になると、1年に1回しか脱皮しない。5cm以上のオスガニの脱皮の時期は、およそ9~10月頃です。
メスガニは、稚ガニから10回の脱皮を繰り返し、「第11齢期」(脱皮の回数)になると産卵を行うようになり、いわゆる「親ガニ」となります。「親ガニ」になると、それ以降は脱皮を行わなくなります。このように、生涯の最後の脱皮を「最終脱皮」と呼んでいる。
オスガニが「親ガニ」となる大きさは早いものは「第10齢期」(甲羅幅7cm前後)、遅いものは「第13齢期」(甲幅13cm以上)とかなりの個体差が認められるのが特徴である。
オスガニの親ガニとは交尾が可能となったオスガニのことであり、オスの漁獲制限は甲羅幅9cmなので10齢期で親二ガになったオスガニはそれ以上大きく為らないから漁獲の対象に為らない訳である。
オスガニの「最終脱皮」は「第13齢期」であり成長を止める。
大きな松葉ガニには写真の様に;
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              カニ蛭の卵とカニ蛭 
 最終脱皮を終えた松葉ガニには写真の様に黒い斑点様の卵が付いているものが多いい、見た目には良くないがカニ蛭の卵でカニの勲章とも言える。多いい程最終脱皮から時を経ているという訳である。
カニにも人間にも些かも悪い影響を及ぼす物ではない。
良い松葉ガニを選ぶには重さ、甲羅足等の硬い物、カニ蛭の卵の多いカニを選ぶ事を推奨する。
 水ガニ(若松葉)とは;9~10月頃に脱皮したオスガニが成長途上にある1月に漁獲解禁となるがあくまで甲羅9cm以上を厳守している。身の入りは松葉の50%程度で水分量も多く、甘さは落ちるが身離れが良く食べ易く中々旨い。
一番の魅力は価格が安い、松葉ガニの10分の1程度買える。
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               水ガニ
水分が多いいので甲羅から両足を外し茹でて販売している。
カナダ産ロシア産等の多くはこの型で生のまま冷凍し販売している。勿論茹でた物もある。

★ 松葉ガニの喰らい方;

① 茹で蟹⇒捌調理し三杯酢などお好みで食す。
② 刺身⇒生の身を取り出し氷水に漬け松毬状に為る。松葉のガニの名前の由来は多々あるがこれもその一  つかも知れん。
③ 焼き蟹⇒足等を炭火等で焼く。
④ カニ鍋⇒松葉ガニを使うには勿体無い、ミズガニ、カナダ、ロシア産で充分である。最後に雑炊を造る  事を忘れない事、絶品だ。
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⑤ 甲羅焼きカニ味噌⇒甲羅の中に濃緑色の味噌状の物が入っている、これをカニ味噌と呼んでいる。脊髄  動物の肝臓、すい臓に当たる。甲羅に集め酒を注ぎ炭火等で焼く、これ又絶品だ。
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        カニ味噌の甲羅焼き
何れもヒゲ爺魚介類味のランキングでは間違いなく超★★★★★。

★ 親ガニ(セコガニ、香箱ガニ)の喰らい方;

① 茹でガニ⇒捌調理し三杯酢などお好みで食す。
  セコには内子(産卵直前の卵)と外子(卵巣)とが有りこれが抜群の味である。
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           産卵寸前の外子の写真
 内子、外子に魅せられて松葉以上と評する者までいる、内のオッカナイもその一人。
② 生のセコガニ⇒味噌汁に限る。
  甲羅を外し水ガニの写真の様にし株状(足の付け根部)にする、株に付いているヘタ(肺臓)を取り除  く、水洗い後甲羅はカニ味噌の入った侭に、足株も水から煮立てるこれが原則。味噌はご家庭の味に適  宜。我が家では大根に拘っている。大根しか入れない、調理時間が短いので拍子木切か短冊、半月なら  ば薄くがモットウである。
 何れもヒゲ爺魚介類味のランキングでは間違いなく超★★★★★。

  
                  松葉ガニ編 「完」
              
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但馬地方の冬の珍味(魚介類) ①  ドギ (ノロゲンゲ)編

 2月に入って但馬地方は近年にない大雪とのこと、そんな中田舎からドギとマツバカニ(ミズカニ)を送って戴いた。
双方共に今が旬で最高に美味しい季節である。ヒゲ爺の子供の頃小さな魚屋を遣っていた所為で冬の季節にはドギ、ババア、べランス(ミズカレイ)ハタハタ、モサエビ等々当時は安い魚類で育ったと言っても過言ではない。(何れも但馬地方の呼び名である)
当時は流通経路も乏しく獲れ過ぎた時など肥料にすることもあった様だが、年々漁獲量が減り最近は地産池消のみで手一杯らしく昔の下魚が引く手数多で高級魚化しているそうである。
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            ドギ(ノロゲンゲ)
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            トロ箱入りのドギ
ドギは玄魚とも呼ばれクロゲンゲ、シロゲンゲ、ノロゲンゲ、タナカゲンゲなどでギンポの仲間に近い。
主に但馬地方沿岸に水揚げされ正式名はノロゲンゲである。
 水深200m~400m程に棲息する深海魚でマツバカニの棲息地と似かよっている為マツバカニ底引き網で獲れる寸法である。
北陸地方では玄魚(クロゲンゲ)と呼ぶそうだが黒っぽい。玄魚の玄は赤味を帯びた黒色と言う意味が有るそうで、例として玄米(クロマイ)玄麦(クロムギ)玄人(クロウト)黒っぽい魚の地方名で玄魚(ゲンナ;タカベ下関)玄魚(ゲンナイ;クロイシモチ高知)玄魚(ゲンパ黒カジキ鹿児島)玄黒鮒(ゲンゴロウフナ琵琶湖)等々がある。
 但馬のノロゲンゲは成魚で40cm前後、白い寒天状の粘膜に覆われ色白で顔つきは余り良くないが剣状をしたスタイルの魚である。無鱗に近い。調理も簡単、白身で低カロリーで小骨も無く味離れも良い。子供食老人食には最高の食材では有るまいか。
 ヒゲ爺独自の魚介類味のランキングでは間違いなく★★★★★、安価で美味1kg¥1,000前後である。
 
都々逸風に一節;
 色は白いし 富士額 やなぎ腰にて 小股も切れ上がり 食うてみりゃ 味は日本一

 我が家の山ノ神オッカナイ等も寒天状のヌルヌルにはコラーゲンが多く含まれると知ってからは鼻汁みたいで嫌だと言っていたのに今はセッセと食べている。『もう遅いっての!!』

☆ 『喰らい方』

 ① 汁物
 ② 干物
 ③ 鍋物
 ④ 煮物
 ⑤ 天婦羅等々であるが我が家では③④⑤を試した事皆無、何故なら①②で素材が尽きる所以である。

① 調理法
  先ず鍋に汁に必要量の水を昆布を入れる。鰹節や市販の調味料は禁物、市販の物には鰹、鯖、鰯等が入  っているケースが多い、ドギの風味が損なわれる。
  ドギを3%程度の塩水で洗い頭を落とし内臓を取る。ヌルヌル→コラーゲンは盗らぬ事。
  3~4片にぶつ切りし煮立てた鍋に入れ丹念に灰汁を取る。醤油適宜(濃くなりすぎない程度)酒少々  (お好みで)
 *すまし(沖汁、潮汁等塩味)、しょうゆ味、味噌味;味噌味ではドギの風味が負ける気がする。
  ヒゲ爺推奨はしょうゆ味。ドギの味をそのまま味わう為最小限刻み葱少々、三つ葉程度。
  魚料理では臭み取りと称して味噌味にするケースが多いがドギはは無臭に近く味噌の味に負ける。
 *魚類のすまし汁には少々値は張るが離島の天然塩を薦める。ヒゲ爺は専ら沖縄の塩を愛用している。

② 水洗いし内臓を出し目刺しの様に金串等で目通しし唯干すだけ。
  カチカチに干すか一夜干にするはお好み、何れも晩酌が一杯増えること間違いなし。『写真参照』
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                ビフォアー
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                アフター(爺の手作り)
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     漁師町の風景


 川柳一句;
      コラーゲン 身体に貯めて ドギはヤセ

      故郷の   海のにおいの ドギの汁

 
☆ ババアの巻

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 ババアはドギの仲間でタナカゲンゲ。ドギと同じ海域に棲む故マツバカニの底引き網で獲れる。
中々の悪食で食欲旺盛、腹からカニ、イカ、タコ、ハタハタ等々が出てくる。
体型からか悪食の所為か海のナマズとも呼ばれている。
大きな物では100cmにもなる。
 頭デッカチ目鼻は小さく口はでかく中央に寄り可也グロテスク。漁師仲間がまるで婆あだと言ってババアと名付けたとあるが真偽の程は知らない。
最近では『ババア』では余りにも可哀想と『ババちゃん』と改名したそうだ。
 身は白身で味は淡白、刺身もいける。特に鍋物に合い山陰地方の民宿では『カニ鍋』と同様コラーゲンたっぷりの『ババチャン鍋』と銘打ち宣伝に力を入れているようだ。

                ゲンゲ編 『完』

昔むか~しの話 エジプト編 (6)

 博物館を堪能しオールドカイロと呼ばれている昔そのままの街に移動。
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             古色蒼然がピッタリの街並
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             モスクの尖塔が彼方此方に見える
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               同行の仲間とモスクの中で撮影
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     モスクの中の写真もあった筈だが見当たらないので夢野氏より拝借
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 夕日も傾き帰路の時間も近づいた為彼方此方街中を散策することが出来なかったのが残念。
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 こんな街並みだそうである。

 オールドカイロからアレクサンドリア向けて何時ごろ岐路に付いたかどの様に帰ったか一切記憶の外である。

『閑話休題』
新しく3枚の写真が見つかった。
次回航海ポートサイドに寄航した時の写真である。

ポートサイドは、漁業、化学製品、加工食品、タバコ製品などが経済基盤となっておりま綿花や米などの重要な輸出港でもあり、スエズ運河を通る船への燃料供給地でもある。避暑地として有名でありノータックス港として栄えている。
積荷に行ったのか燃料補給か定かでは無いが、一日海水浴を楽しんだ。その時の写真である。

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       50年前厚顔の美少年時代のヒゲ爺
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                  超グラマーな美人2人
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       ポートサイド場所 負けのヒゲ爺

 その後トリポリ(リビアの首都)アルジェリアに寄航。
残念ながら写真は一枚も無い。リビアもアルジェリアも独立間もない頃で治安が悪いので上陸を余り奨励されなかった様なぼんやりとした記憶がある。何れも上陸したがカメラを持たなかったのかも知れん。
唯記憶にあるのはトリポリの酒場(クラブの様な広い)では屋根が無く星が瞬いていたこと。
アルジェリアではフランスからの独立戦争直後で(1955~1962年)街中戦争の爪痕が生々しかったことである。3年程後沢たまきさんの『カス場の女』を聞く度その航海を思い出した。
 
 この航海を最後に船員生活にピリオドを打ち丘に上がった。

 エジプト編 完




 

昔むか~しの話 エジプト編 (5)

ギザで巨大さに度肝を抜かれてカイロ考古学博物館に向かい今度は真逆の美しさと精密さに驚嘆する。
博物館内は写真撮影禁止であったような気がするが何故か写真がある、盗撮したのかも知れんし許可されていたかも不明。何はともあれ貴重な思い出であることは確かである。conv0038.jpg
       当時の博物館の前で
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現在の博物館;3年程前観光旅行に行った娘の写真から
 スリガラス越しの記憶では古色蒼然とした建物だった様に思うがこの写真では明るく美しく成っているあるいは当時もこうであったかも知れない。
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        何はともあれツタンカーメン王
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      夢野 旅人 氏提供
 唯一盗掘されなかったツタンカーメン王の胸像はカイロ博物館の最高の目玉で3千数百年昔(1347年~1338年)の物とは信じ難い黄金の輝きをしていた。本当の輝きを知って頂く為カラー写真を転載する。
        ミイラの展示ケースの傍らで
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ツタンカーメン黄金の棺
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          夢野 旅人 氏提供
        中学生か?将来の超グラマー達が勉強中
 博物館の写真はこれで尽きるが大阪で開催される今回のエジプト展には、生駒の郷に生息するヒゲ爺としては馳せ参じざるを得まい。(過去に福岡、神戸2回馳せ参じた経験あり)
 大阪開催は以下の通り。

 開催期間 2012年3月17日(土)~6月3日(日)
◆開場時間 10:00~18:00(最終入場は17:00まで)
◆会場名 大阪天保山特設ギャラリー

昔むか~しの話 エジプト編 (4)

 カイロの街を離れバスで30分程度の行程であったろうか西方に13K走りいよいよクフ王三大ピラミットとの初対面である。

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鼻欠けスフインクスをバックに裕次郎? 50年前のヒゲ爺です
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カフラー王ピラミットをバックに

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    夢野旅人(奈良市 黒川賢成)氏提供
ギザの三大ピラミット(左からクフ王、カフラー王、メンカウラー王)
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    夢野旅人(奈良市 黒川賢成)氏提供
        鼻欠けスフインクス 
 当時スフインクスの周囲は砂に埋もれこの写真ほど現れていなかった気がするが?

 夢野氏の写真のように何処までも続く砂漠の中に忽然と現れたピラミットと奇怪なスフィンクスを遠望した時の感動は筆舌に尽し難いものがあった。最近はTVでも吉村作治氏のエジプト物も良く放映されるしエジプト展も3度見た、その度毎現地での感動を思い起こしている次第である。
3基ある中で一番大きなクフ王のピラミットは底辺230M高さは146M傾斜度51,5度の四角錐の巨大な石の建造物である。
 三大ピラミットは他の惑星から来た異星人が造った物だとの説もあるそうだが、あの巨大な石造建造物が4千年以上前に造くられた事実を思うとき『異星人が造った』説が生まれても不思議ではあるまい、が信じ難い話でもある。
 ナイル川の対岸から運んだ一個2,5トンもある石灰岩のブロックがおよそ230万個も使われしかも接着剤も使われていないと説明を受け唯驚くばかりであった。(最近、最高考古庁の調査で使用ブロックは100万個であることが判明したそうである)
ピラミットの中心部の石室に通じる通路があり可也急勾配で狭い通路を登った様な記憶がある。この通路は正規のものではなく盗掘者が掘ったものとの事である。
ピラミットの完成におよそ30年の歳月を要したそうだが盗掘者殿は何人で何年掛かったんだろうか?その努力に喝采を贈りたい気持ちである。何故かって?盗掘者殿の努力が無ければ石室の存在すら分からなかったかも知れんのですぞ!
当時はフラッシュも無いので写真も無い。夢野氏より借用
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入口に続く道
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入り口
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通路
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玄室;内部にはあっけないほど何も無い

夢野氏の写真を拝見すると入り口や通路も観光用に整備されているようです。当時は通路も暗く工事用の電球がゴツゴツした壁際にぶら下がっていただけのような気がする。夢野氏の写真には玄室には何も無いとあるが石造りの棺らしい物が安置されており天井は一枚岩だったようにボンヤリと記憶にあるが如何なものか?
 『スフィンクスは何故鼻が欠けているのか?』と尋ねたらナポレオンのエジプト侵攻の時大砲の弾が当ったとかで欠けたものらしいが真偽の程は定かでない。当時は写真の様に深く掘られていなかったような気がするが?

ナポレオンのエジプト侵攻は1798~1801年まで続き、同行した150人以上の自然科学、建築学、数学、芸術等の学者達によるエジプト研究が行われ貴重な資料や古代エジプトの遺産を沢山略奪しフランスに持ち帰ったとの事、それが19世紀ヨーロッパにエジプトブームが巻き起こる発端である。
 エジプト側から見れば英雄ナポレオンも努力の人々墓盗人(代々続いた盗掘者)の上前を撥ねた墓盗人以上の大泥棒と思ったに違いない。
 スフィンクスはカフラー王のピラミッドの参道横にあり全長57M、高さ20Mの巨大な建造物で胴体部は石灰岩の岩盤から掘り出した物で頭部は別の場所から持ってきた泥岩で造られた物とのことである。『スフィンクス』とは古代エジプト語で『永遠に生きる姿』と言う意味だそうで神殿やピラミッドの守護神だそうである。
 現物を見たときも後日写真やTVで見た時も正面や横ばかりでスフィンクスに尻尾が有るのをこの写真で初めて知った。
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鼻欠けスフィンクス
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スフィンクスのしっぽ

昔むか~しの話 エジプト編 (3)

アレクサンドリア港に停泊しカイロの近郷キザのクフ王ピラミッド観光に行くことになった。日本商社の現地駐在員が俄か添乗員である。

覚めやらぬ港を発って郊外に出た頃漸く東の空が白み始め砂漠と農場とがアンバランスに連なる道路に出た。定規で引いたような広くて真っ直ぐな道である。

車はマイクロバス風のベンツで今でこそベンツも珍しくないが勿論乗ったのも初めて見たのも初めてであったに違いない。メーターは100を指して動かない、運転手もハンドルを動かす気配も無い。“流石100Kは速いなぁ”と言ったら“キロではなくマイルですよ”と添乗員が教えてくれた、100Kではなく160Kであった。

余り変化の無い車窓の景色に疲れた頃カイロに着いた。何時間走り何Kの距離があるのか聞いたと思うが記憶に無い。エジプト国内航空の時刻表にアレクサンドリアからカイロまで45分と有るから相当の距離に違いない。

カイロの街の印象は刷りガラスの先を見るようで判然としないが若い女性はクレオパテラ

の再来を想わせる様な顔立ちの彫が深く目の大きな超ベッピンさんが多かったように記憶にある。それに反し若さを置き去りにした元少女はデブが多い、原因は少女時代には摂食に努めるが結婚したら無茶喰うとの添乗員の説明である。
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写真掲載;カイロの街とエジプトの美少女達
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家族でショッピング ばあ様は見事に太い
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カイロ大学の女子学生と
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仲間たちと街風景

 カイロの街を離れバスで30分程の行程であったろうか西に13K走りいよいよクフ王三大ピラミットとの初対面である。

昔むか~しの話 エジプト編 (2)

日露戦争の時バルチック艦隊がバルト海を出港したのが1904/10/15日地中海経由で大西洋アフリカ西岸を南下し喜望峰を迂回しインド洋を横断してマレー半島沖を通過し台湾沖を通り東シナ海に到達する迄に7ヶ月以上を費やし18000マイル(33,500K)の長期航海をしている訳である。対馬海峡での日本海海戦に完敗した一つの原因に、訓練されていると言え艦隊の大多数は大陸民族であり海に慣れない者もあろう、未開のアフリカ西岸では充分な食料と燃料の補給も万々ならなかったと聞く。

そんな状況で12月末から1月に掛けて喜望峰を迂回している。

僕も一度経験したがthe Cape of Good Hope と聞こえは良いが別名【嵐の岬】と呼ばれる程大荒れする海域である。インド洋経由ケープタウンで給油しアルゼンチンに向かったとき大時化に合い一週間以上苦しんだ経験がある。太平洋やインド洋の比ではない稚筆な僕では表現不能に付きやめる。

そんな状況での大航海をしその後日本艦隊に遭遇するまで凡そ8ヶ月間の閉塞状況で精魂使い果たし戦意喪失状態に陥っていたのではなかろうか?

勿論歴史的事実は東郷元帥率いる日本艦隊の戦略戦術による大勝利ではあったが、もしも

バルチック艦隊がスエズ運河を通過しより安全な航海をして4000マイル短縮していたとしたら、戦略上早期発見を危ぶみ通らなかったのか通れなかったのか定かでないが(現に艦隊の一部はスエズ運河経由でインド洋に入って合流している)艦隊の規模から推してあれ程簡単に敗北しなかったのではなかろうか? 逆転もあり得たかも?

歴史の事実にモシやタラは不謹慎であろうがモシタラの想像は中々面白い。

**当時はこんな様子であったが;

何はともあれその河口に位置するアレクサンドリア港に寄港した。
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古都アレクサンドリアの海岸道路

エジプト~砂漠~暑いとのみ想像していた僕には驚きでもあった。エジプトも北面の地中海側特にナイル河が二股に分かれた三角州の河口等は地中海海洋性気候とナイル河の氾濫の恵による肥沃な土地に育まれ緑も豊富で農業も盛んだと後で知った。

アレクサンドリアはカイロに次ぐ大都市で産業、ヘレニズム(ギリシャ風)文化の中心地でもあり、農産物綿花、米等の輸出が盛んらしい。マスカット:オブ:アレクサンドリアは岡山原産と思われているが原産はエジプト。古都アレクサンドリア港に由来するものとの事である。

又かの有名なアレクサンダー大王がエジプトを征服し軍事拠点として古王朝、中王朝、新王朝と三千年に及ぶエジプトの最後の王朝となったプトレマイオス王朝を興しプトレマイオス2世の時紀元前331年に完成させた古都市中の古都市である。

予断ではあるがアレクサンダーが現在の西はエジプト東はアフガニスタンまで制圧した時軍事拠点として70ヶ所にもおよぶアレクサンドリアと命名した都市を造ったらしいが現存する都市はここアレクサンドリアのみである。

この思い出を書いているときNHKの番組を見て知った事であるが、アフガニスタンの元国王ダヒル;シャーが1961年に鹿狩りの途中に偶然ギリシャ風建築らしき遺跡をタジキスタン国境に近いアイハヌムの近郷で発見した。

ソ連のアフガニスタン侵攻、タリバンと北部同盟等の内戦アメリカ侵攻などで発掘は遅れ可也の破壊もあったが結果幻のアレクサンドリアであったことがほぼ証明されたとのことである。

古都とは言え明るい感じの町であった様にぼんやりと記憶の隅にある。当時の写真が一枚きりなので現在の写真を添える。
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古都アレクサンドリアの海岸
当時は知る由も無かったがエリザベス=テーラー;レックス=ハリスンとリチャード=バートン共演の映画【クレオパテラ】を観て知った事では有るがアレクサンドリアは、クレオパトラの宮殿があった都としても有名である。クレオパトラ(正式にはクレオパトラ7世)は、紀元前69年にプトレマイオス12世の娘として生まれた。紀元前51年、18歳のクレオパトラは弟のプトレマイオス13世とともに王位を継承した。プトレマイオス13世との間で確執があり一時シリアに亡命していたクレオパトラはアレクサンドリアに戻り、そこに駐留していたカエサルと運命の出会いをし恋に落ちた。本当の恋なのか王朝を守る為の偽装なのか彼女しか知る由もないがカエサルは彼女エジプトの女王とした。       カエサルがローマに帰国した折彼の専横に反対する元老院の襲撃に合い【ブルータス!お前もか!!】と叫びつつカエサルが倒れた後、ブルータスとアントニーとのカエサルの後継者争いがあり勝利したアントニーがカエサルの後継者となる。クレオパトラはアントニーと出会い彼をも又恋の虜にしアレクサンドリアの宮殿で暮らした。

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 クレパトラ胸像

 紀元前30年、アントニーがオクタヴィアヌスとの戦いに敗れて自ら命を絶つと、クレオパトラも毒蛇に胸をかませて後を追った。こうしてエジプトはローマの属領となりプトレマイオス王朝は終わりをつげたのである。

これがエリザベス=クレオパテラの大筋である。【もう少し鼻が低かったなら世界の歴史がどう変わったか?】など愚問はさて置き顔面像の写真から推してトビっきりの美人に異論を唱える者もそう有るまい。古都アレクサンドリアの大半は大地震で海中に沈んだそうでこの像は後年海中で発見されたと聞いたような気がするが外の事であったかも知れん。


閑話休題;

                       

昔むか~しの話 エジプト編  (1)

生来の無精の所為か整理音痴の故か僕のPC部屋は正に雑然の極みである。二方の壁際の本箱には漱石が司馬遼や京太郎と時には山頭火や放哉とが同居していたりする。

時には釣りバカ日誌、美味しんぼ等々も紛れ込むこともある。そればかりかもう一方にはPC用品から釣り道具まで詰め込めるだけ押し込まれPC台までの僅かな通り路?を残し雑然その物が積み重ねられている感がある。 

然し僕にはその状況でこそ物の所在が解るのである。僕の山の神;オッカナイの整理整頓は僕には雑然と映り僕流整然はオッカナイには雑然と映るらしい。所詮はネガとポジ、整理魔とマニアの親戚ときているオッカナイが片付けたりすると途端に何が何処に有るやら全くちんぷんかんぷんである。『此の部屋の物は触るな!物が見えん』『これじゃ物置古屋だよ!少しは整理整頓してよ!』の会話を40ウン年の間に何度したか知れんし是からも何度するのか不明である。まあどちらかが灰に成るるまで続くに違いない。

 大体本箱には一家の歴史を刻んだアルバムの一冊や2冊あるものらしいが我が本箱には無い。決して写真が無い訳でなく、思い出の量から推し量り寧ろ普通以上に持っている筈ではあるが鳥取二十世紀梨の10K段ボール箱に放り込み本箱の重しにしている所為である。   『註』我が家の女族共(オッカナイと3姉妹)はそれぞれ持っている。

 最近オッカナイが『もうそろそろ写真の整理をしたら?』と言い出したので『身の整理てえもんは死期が近ずいてからするもんだ!早く死ねてぇことかい!べらぼうめ!!』と悪口雑言を吐きつつも二十世紀梨箱の思い出を二十一世紀に整理するのも一興かとも思いPCでCDに雑然と取り込んでやろうと思い立った次第である。

最初に目に付き手掛けたのがギザのピラミットで撮った4枚の写真である。これを見た途端二十世紀梨箱に籠められた思い出を少しづつ綴ってみたい衝動にかられ【昔むか~しのお話】を手掛ける事にした次第である。

大学受験に2度失敗しのんびり屋の僕も多少嫌世的になり足掛け5年と少々外国航路の貨物船に乗っていた頃の話から始めよう。

但し、40年以上前のこと思い出も曇りガラスを透かして見るようで時にはくっきり多くはぼんやりで満足のいくか否かは解かりませぇ~ん。

左膳流左袈裟掛けにでもお読み戴ければ幸甚!。

エジプト編

エジプトに行ったのは何年頃であったか定かでは無いがポートサイド(スエズ運河の最寄の港)に居た時ジェット機が低空を飛び交っていたことを薄ぼんやりと覚えているから恐らく1966~7年のスエズ動乱の頃だと思う。

写真をみるとスーツを着ているしそんなに暑い頃でもなさそうである。
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 エジプトの知識なんぞ、クレオパトラとピラミッドとスフィンクスの名前程度の知識しかない僕がなにはともあれ『その時歴史は動かない』がエジプトにチョコット存在したことは確かである。

 ペルシャ湾で積み荷を降ろし(確かドバイ港、岸壁など無く沖合に停泊;アラビア石油のプラント材を運んだ)アラビア半島の沖合を西行、紅海のアデンを経由しスエズ運河を通過すると地中海である。

ペルシャ湾は言うに及ばずアラビア半島の砂漠地帯の沿岸を航行する時なんぞその熱さは正に暑さでは無く熱さであり、吹く風は熱風である。身体は汗しない、唯塩が吹くのみ。

発汗しても即乾燥するわけである。

何はともあれ両サイド砂漠のスエズ運河を越えて地中海に入ると地中海独特の海洋性気候の所為か一週間前が信じられないような温暖さに変身する。

 閑話休題;

スエズ運河は紅海側(南側)のスエズ港より地中海側(北側)のポートサイド港までの凡そ168Kにもおよぶ砂漠の中の大運河である。時には両サイドに家並みや緑も見える所もあるが基本的には砂漠である。時には広く時には舷側の直ぐ側まで砂漠が突き出たと感じるほど狭い場所もある。
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北上する船は南下する船団が通過し終わるまでスエズ港で待機、南下の船団が終わると待機の船が船団を組み一定の間隔をおき;明確な速さは記憶に無いが恐らく4~5ノットでは無かったろうか?長さが100~150M前後もある巨大な船が何十隻も連なり北上する訳である。運河の途中ピター湖とチサム湖(人造湖?)が有り地中海側から南下の船団と此処で入れ替わり(チサム湖であった様な気もするが定かでない)更に北上し地中海に至る訳である。**
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フランスの外交官レセップスがエジプト領事になり運河建設に初鍬を入れたのが1859年約12万人の犠牲者を出しながら10年の歳月を費やし完成させた当時の規模は全長168K、幅22M、深さ8Mと記録にある。

スエズ運河が完成する迄ヨーロッパからインド、アジアに航海するにはアフリカ大陸の西岸を南下し喜望峰を廻りインド洋に入るコース航行したわけであるが凡そ4000カイリ(7400K)の節約になるそうだ。

当時の船は10ノット前後、時速約18~20Kで計算すると一日430~480K航行することになり17~15日程航海日数が短縮される計算となる。

莫大な費用と犠牲を支払ったとは言え後世に素晴らしい贈り物をしたといえる。

 後で知った事であるが1961年(昭和36年)スエズ運河改修プロジェクトの入札があり日本の企業(旧水野組現五洋建設)が落札、改修に当たったそうである。

僕の通過当時すでに日本人の手に以って改修されつつあった訳であるが途中第3次中東戦争で8年のブランクがあるものの現在は幅160~200M水深19,5Mの大運河に変身し10万トン以上の船舶の航行が可能となり対面航行もOK、年間1万4000隻もの船が通過するそうである。

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エジプト全図
夢野旅人(奈良市 黒川 賢成)氏提供

イガイ(胎貝)の意外史

この一文は舞鶴湾に潜り(野原海岸)大量の胎貝、牡蠣を獲り友達に送った時メールした原文のまま掲載した。
親愛なる 石さんへ 

イガイは北海道以南の沿岸岩礁に群生し生息している(これは昔の話)が今は採り過ぎか?水の汚れが原因か?激減の状態。僕の子供時代田舎の海には何処にでも居たものである。

イガイ科イガイ科目に属しアムール貝(外国産)は親戚。双方酷似しているがイガイは先端が丸く黒いのが特徴、アムール貝は先端が尖り鷲鼻状であり紫色と緑色の混合色を呈している。イガイの方が数段うまい。

日本人の髪はカラスの濡れ場色と相場が決まっていた(今は髪を染める馬鹿日本人も多い時代ではあるが)鼻が丸いのが特徴、西洋人は鼻が高く尖っているし色もイロイロ、味も大味それがイガイとアムール貝の相違かな?

閑話休題

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 そのイガイ(胎貝)であるが:

 1) 和名は胎貝。

2) 地方名にはなかなか面白いものが多い。  

曰く、カラス貝;;色が黒いからか?日本各地にあり、イガイ(意外)に多い。

曰く、ホト貝;;ホトとは女性の大切なところ、全人類皆一度は経験済みの十月十日の暗闇から一条の光明を見付けくぐり抜けたあの穴の出口の地方名。

   男は皆々その出口に郷愁を感じ探し求め続けるのかも知れぬ。貴兄と共に求め続けた頃から何年になりますか、あの頃が懐かしい。

  曰く、ニタリ貝:似たり貝とも書ける。名前の由来は食べるとき解明するはず、ワカラナケレバ老化現象、危険を要す。老人性ホト健忘症と診断する。

3) 川柳と小咄を一つ;

意外によく似た烏貝それを眺めて似たり似たり       

  註)翻訳

  イガイによく似たカラス貝それをながめてニタリニタリ

  ある鄙びた漁村での話、漁師の採ってきたイガイを初めて見た男【あっ!おかあちゃんが待っている】と叫んで小走りに帰っていったとさ! 

4) 枕草子の清少納言;紫式部と並び称される彼女の話、中宮定子に仕え枕草子を世に出し才媛と謳われた彼女、がしかし謎の多い人物ではある。中宮に仕えた頃は権勢と優雅を誇っていたであろう彼女も晩年は不遇を託ち死んだ場所も定かでない、諸説は有るが定説は無い。草子も暗号文との説もあり何かと面白い。

イガイに纏わる彼女の話;

中宮を追われ瀬戸内を放浪する清少納言はライ病を患う、一漁村で漁師達にカラカワレ暴行陵辱された清少納言は怒り【見た者は盲目になれ!犯した者はライになれ】と恨み我がホトをエグリ海に投げた。それがイガイになったとさ。こんな珍説が鳴門や下関地方にある、真偽のほどは知らぬ。

  こんな裏話など草子を習った高校時代に聞いていればモット枕草子にも式部勉強にも実が入ったかもしれんがもう遅い。

5)喰い方;

  その1)すまし汁、みそ汁、小生はすましを良しとする。すましは貝そのものの味が味わえるが味噌にすると味が味噌に負ける。

作り方は簡単、貝を2~3度水洗いし、口の締まっている場合30分程度水に浸す、開いている場合水に浸すと旨味がにげる。

      喰うまで冷蔵庫に保存し、調理は水より貝を入れ灰汁が出れば丹念に採る。

冷蔵庫に保存するのは、鮮度を保つのが一つ、寒さから身を護る為、死なない様に頑張るため人間で言うアドレナリンの様な物質が出て貝の旨味成分であるグルタミン酸が多くなり旨味が増すわけである。

  その2)焼く、炭火で焼くのを最高とするが準備が面倒、レンジでチンが簡単、汁が出るので皿に1~2個大きさにも依るが3個まで入れラップし1~2分チンする、焼きすぎにご用心。

  その3)イガイ飯にも、酢の物、炒め物等々数あるが今回は1~2で食されよ!

その4)牡蠣は;クイズで牡蠣の食べられる季節を英語で回答セヨ!と問われればR の付く月が正解であろう。が然し小生は総ての月と答える、何故なら外国流の食べられないと言われている月、5,6,7,8月こそ日本海の岩牡蠣の一番美味しい季節であるからである。

 食べ方はイロイロとご存じで有ろう故ここでは開け方のみを説明する。
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    生を求める時は;

    牡蠣は二枚貝であり形を見ると厚い部位と薄い部位がある、厚い方が貝柱の部位、薄い方を上から叩き、横から叩きしつつ二枚貝の上下の蓋を少々ずらし穴をあける。その部位に古い包丁なりナイフなりを差し込みこじ開ける。

    あまり強引にやると真珠色をした珠玉の中身を壊す事になり、旨味と価値は半減だ。それは石工が石の目を見るように、大工が木ノ目を読んで丁寧に鉋を掛ける様に微妙な力の入れ方が肝要、食い意地の強さと経験が求められる、先ずは遣ってみられよ!

    そう簡単にはイカン、困った時には電話されたし。

  焼くも又良し;要領はイガイと同じ、大きさと蓋の厚さの違いで時間を調節スレバヨイ。焼き過ぎにご用心!

    マンズ喰らう用意を楽しみつつ遣って下され、くれぐれも飲み過ぎないように!!

この度の丹後半島すもぐり行は大いに楽しめた、獲物もそこそこで貴兄、弟家族、住民さん4軒、掃除のおばちゃん3人喜んでもらえたようです。小生宅はイガイ飯、すまし汁、生、焼きと献立多数、ここの所の多忙に依るストレスも解消した模様です。

古希が過ぎ 取ると盗るでは 大違い 有り難くもあり 有り難くもなし

     今年友達に送った年賀状にこう綴った辰年 正月;

    一休禅師の狂歌に

    門松や 冥土の旅の 一里塚

    云々がありますが;

   古希が過ぎ 取ると盗るでは 大違い 

         有り難くもあり 有り難くもなし

  とひとひねり 盗ることにしました。今年六十七歳になります(実際は七十三歳)去年は良く歩きました。

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                    (熊野古道での歩き装束)

    東大寺、法隆寺共に二回熊野古道も踏破お陰で減量成功快調です。

 年金生活に為ってから二年数ヶ月ウオーキングと寺巡り、花作りと爺臭い生活を送ってきたが年々若くなるに併せて新しい試みを求めてブログの初歩本を片手にブログ手掛けて見ようと思った次第。

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