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四国撮り歩記  霊場八十八ヶ所巡礼の旅:阿波徳島編  第八番霊場


 
 第八番札所:熊谷寺に向う。距離大凡4Km。
 
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            第八番札所 普明山 熊谷寺 真光院
 
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                山     門 (仁王門)
 徳島県指定有形文化財に指定されている。貞享4年(1687年)長意和尚によって建立された。四国霊場の山門としては最大規模である。和様と唐様(禅宗様)の折衷様式で、高さは、13・2メートル。二層目の天井、柱等には極色彩の天女等が描かれている。(二層目非公開)、天女等は、陶版画で複製されている。
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                複製された天女絵
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 conv201403060011のコピー
 山門を警護する開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像

 一礼し山門を潜り参道に入ると左手に寺坊(納経所)右手に池があり弁天島には弁財天が祀られている。
左側の駐車場越しに多宝塔が見える。
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 conv201403060007のコピー
                多    宝    塔
徳島県指定有形文化財に指定されている。安永3年(1774年)剛意和尚(ごういわじょう)が建立、三間多宝塔で高さは
約20・7メートル、多宝塔としては、四国地方最古にして、最大の規模である。

 多宝塔を左に見て参道を進むとまた門に出くわす。中門である。
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                中          門
 徳島県指定有形文化財に指定されている。慶安2年(1649年)建立。中門は、現在の山門が出来る以前の山門であったと推測されている。
 conv201403060008のコピー
 conv201403060009のコピー
 持国天・多聞天(毘沙門天)の2像が、中門に安置されている。持国天(東)、多聞天(西)は、貞享4年(1687年)の作。
 中門を潜り参道を進むと手洗い場がある。
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                手    水    場
 中々凝った手洗いで青銅製?の龍の口から流水が流れる様に為っている。流水龍と呼ぶそうだ。手洗い・漱ぎ本堂に向かう。8ヶ寺目とも為ると漸くお参りの作法も身に着き段取りもスムースに為ってきたようだ。

 四国八十八箇所巡礼の作法は:先ず一礼して山門を入り手洗い場で手を洗い・漱いで身を清めて本堂に向かう。総ての寺には、本堂のほかに空海を祀る大師堂が必ずあり、遍路の際には本堂と共に大師堂にも参拝することが習わしとなっている。参拝は本堂の前で蝋燭・線香を灯し納め札を納め読経をする、同じように大師堂の前でもお参りし、その後に納経所で納経帳などに朱印をして貰う。最後に一礼して山門を去るのが一般的であるそうだ。

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                本           堂
 本尊は千手観世音菩薩 昭和2年(1927)に火災に遭い、本尊と本堂を全焼。昭和15年に本尊を安置する宮殿と拝殿が完成。昭和45年に入って、やっと供養殿と本尊が完成..開眼供養が行われた。
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 本堂前の石仏(持国天・多聞天(毘沙門天)の2像)とベテラン女性カメラマン:レンズの前に蟷螂が居た。
熊谷寺の最近のHPやブログを拝見すると本堂前に持国天・多聞天の2像が無い、参道にある持国天・多聞天なのか?な。
因みにひげ爺の写真の撮影日は2004/10/10午後02.30.57である。
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 石段の上に太子堂がある。
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                 太     子     堂 
 徳島県指定有形文化財に指定されている。建立年代は、屋根に据え付けられた露盤に「露盤宝形一具 本願熊谷寺
龍意宝永4年 丁亥天八月吉日 冶工 長谷川久左ェ門」の銘があることから龍意和尚(りゅういわじょう)の代の宝永4年(1707年)の建立。安置されている弘法大師像(徳島県指定有形文化財)は、寄木造りの坐像で、永享3年(1431年)の作である。
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            鐘    楼    堂
 徳島県指定有形文化財に指定されている。寛文2年(1662年)長意和尚の時代に建立、当時の鐘楼堂は、四本柱に一般的な屋根といった形だったが、文化6年(1809年)快塹和尚(かいざんわじょう)が、長意和尚百回忌の記念事業として改築を行い、現在の立派な二層の鐘楼堂が完成した。
当初の梵鐘は太平洋戦争末期に、武器弾薬等の材料として供出させられたため現存しない。現在の梵鐘は、昭和24年に新たに鋳造されたものである。
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              堂の脇に修業中の太子像

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 一礼し山門を潜り参道に入ると左手に寺坊(納経所)右手に池あり。
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         御    朱    印

★ 本尊:千手観音菩薩  ☆ 開基:弘法大師
★ 本尊の真言:おん ばざら たらま きりく


『略縁起』
 弘仁六年(815年)熊谷寺をご巡錫中の大師の修行中のことである。紀州熊野権現が出現し、この像を安置せよ、と告げて一寸八分(5・5センチ)の金の観世音菩薩像を大師に授けられた。そこで大師は、自ら等身大の千手観世音菩薩を刻み、その頭髪の中へ百二十粒の★仏舎利を人れ、金の観音像を胎内へ納めたのち堂塔を建立。本尊として祀リ第八番札所と定められた。昭和2年火災に遭い本堂・本尊とも焼失。昭和15年に本尊を安置する奥殿と拝殿が、昭和45年に供養殿と本尊が再建された。本堂から更に階段を上った所にある大師堂は宝永4年(1707年)に建立され、安置されている大師像も永享3年(1430年)の作とかなり古いものとして寺宝になっている。境内にある二重の塔は、安永三年頃(1774年)剛意上人が建立したもの。また、納経所前の池に浮かんでいる弁天島の弁天島は、もとは大師堂の池にあったものだが、昭和6年に移建した。弁天様は安産に霊があるという。

★仏舎利(ぶっしゃり)とは、入滅した釈迦が荼毘に付された際の遺骨及び棺、荼毘祭壇の灰塵のこと。
 
 
 
 ★ 『四国遍礼霊場記』 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 (じゃくほん ))(翻訳・村上 護):(参考資料として転載)

 四国遍礼霊場記

▼普明山真光院熊谷寺(八番)
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 開基、本尊の作者については詳しく分からない。定説がないようだ。清らかな幽玄の境地で、谷深く、清らかな水が流れている。瀬戸内海が一望に見渡せる。
 本尊は高さ六尺の千手千眼観音像。頭部に仏舎利百二十六粒を納めていると、足の裏に記しているらしい。脇士の不動明王・毘沙門天像は運慶の作。観音が変化した三十二の姿を写したものもある。作者は分からない。右に空海の御影堂、前に鐘楼。石段の下には中門があり、運慶が作った高さ六尺の二金剛像が安置されている。空海直筆の古い額を掛けている。左の山には鎮守の熊野神祠と八幡社がある。
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