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四国撮り歩記  霊場八十八ヶ所巡礼の旅:阿波徳島編  第十二番霊場

  二日目朝予定より1時間半も遅れて目覚めた、熟睡した所為か昨日の疲れも可成り回復。朝食はパン食のみと言うことなので『わしゃあ日本人やで!朝食は飯と味噌汁でなきゃあいけんわいな!』と腹の中で思いながら1時間半の遅れを取り戻すべく急ぎ出発。
一度藤井寺まで引き返し十二番札所焼山寺に向かうことにした。
地図を頼りに暫く走ると焼山寺への小さな看板が見えたので迷わずその道に方向転換。これが大間違いの素となった。
登り坂の小集落を抜け山道に差し掛かると段々道が狭くなり対向車が来てもすれ違いは全く不可の状態で 『こりゃおかしい!』と思ったが回転する場所も見当たらん。やおら道端に一軒の農家らしき家が在ったので案内を乞うと老婆が奥から顔を出した。『焼山寺に行きたいんだが此の道で良いですか?』と尋ねると『ええ』と言う。
暫く行くと左手に寺らしき建物が見えたが看板に★柳水庵と有ったのでのそのまま通り過ごす。
登りの時は左手が開け山々が見渡せたが下り坂になると益々道は狭くなり両側も山が迫り余り空が見えぬ程大木が茂っている状況になってしまった。
オッカナイのバス巡礼の度毎に出発が早朝故観光バス停まで送らされていたが、そのバスはマイクロバスの日もあり普通のバスであったりした、マイクロバスにしても絶対に通行不可、普通車ギリギリの狭い道である。車路を間違えたに違いないと気付いたがもう遅い。先に何が有ろうとススメヤススメである。
やおら下り坂となり左側に渓谷が見え、行く手に流れている、一山越した訳である。山女や岩魚等の渓流釣りに適した景色が見え出した。舗装された道路は多少広くなっているが地道の場所は狭くなり9月の台風で崩れたような箇所もあり通れるか否か調べに2回も車から降りた。
 
 ★柳水庵:藤井寺より6.6kmの地点にある仏堂である。標高は500m。本尊は弘法大師で、空海自らが自身の像を刻んで納めたと伝えられている。空海がこの地で休息した際に水を求めた。しかし、水がなかったので柳の枝に加持を施し掘ったところ水が湧き出したと言われる。現在も「柳の水」と呼ばれる湧水がある。平成13年より無住と為る。(ウィキペディア参照) 
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              ヤマメ、イワナも釣れそうな渓流
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                 鬱蒼とした山林
速度は20~30kmの所為で1時間半も走しった頃漸く広い道にでた。道に平行して清流が流れている可成り大きい。
 
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                  吉野川の上流とのこと 

焼山寺方面への看板に沿い右折し道脇の酢橘売り小屋に立ち寄る、腰の曲がった婆さんが『どちらからお出でで;;』と言う。
『藤井寺から焼山寺に向けて走って来てその道に出た』と話すと『そりゃあ大変でしたろう;;;;あの道は車の通るような道じゃあない、遍路道ですがな』と言う。さもあろうと漸く合点がいった。
酢橘は徳島の名産、一袋土産にと頼むと『これは家の庭で出来たもので、お婆の小遣い稼ぎで面は悪いが無農薬で味は良い』と言う。
確かに見た目は悪いが1袋に20ヶ程も入っており¥100は安い、もう1袋おまけだと2袋呉れた。
お婆に感謝し川沿いの車路の案内板を確かめながら走る。
後で知ったのであるが遠回りになるけれど藤井寺から酢橘小屋まで30Km足らずの広い車道があるそうだ。
【 注】藤井寺⇒焼山寺に行くには2通りの道があり国道廻り大凡40Kmと梨の木峠越え大凡32Km。ひげ爺は梨の木峠越えをしたようだ。案内本によると峠は曲がりの連続でブレーキに注意とある。
後日判ったのであるがひげ爺のコースは焼山寺道(遍路道):11番 藤井寺 -- (3.2km) -- 長戸庵 -- (3.4km) -- 柳水庵 -- (2.2km) -- 浄連庵(一本杉庵) -- (1.6km) -- 左右内(そうち)集落 -- (2.5km) -- 12番 焼山寺
の遍路道だった。
やおら焼山寺への看板が見えた、右折し又山道に入る。
 舗装された道は広いがいやに蛇行しているし急である、時にはローギアに変速しなければ成らん程である。
杉、檜の大木、雑木が生い茂り空も周囲も見えぬ蛇行道を20?分近く走った頃突然周囲が開け駐車場に出た。焼山寺駐車場料金¥300とある。今迄の寺は無料の筈だった。
焼山寺上り口山門まで600mの看板に従い急な坂をのぼる。参拝を終えて下る人達の大半が『今日は!』と声を掛けてくれた、中々いい風景だ。焼山寺を今日の一番寺に選んだであろうか可也の人数である。
 
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             駐車場の前は見事な連山であった
 
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                 参         道

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       第十二番札所 摩盧山 焼山寺 性寿院  
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                 山    門  前の石段
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                 山    門  (仁王門)
 
 conv201403260004のコピー
 conv201403260004のコピー
            「阿吽」像2体
   焼山寺は焼山寺山(標高938メートル)の8合目近くにあり、四国霊場で2番目に高い山岳札所である。
一番目は66番札所・雲辺寺(900m)二番目12番札所・焼山寺(800m)次いで60番札所・横峰寺(700m)、21番札所・太龍寺(610m)、20番札所・鶴林寺(550m)以上がベスト5の山岳札所であるが阿波徳島に3ヶ寺が含まれている。
 一礼し山門を入ると左手に手水場、右手に鐘楼があり正面に本堂がある。

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 参道には巨大な巨過ぎが並び正面が本堂である。手前左に納経所。
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 社殿かと見紛うばかりの新しい納経所。花粉症の人は大変だろうと心配される程杉の巨木が鬱蒼としていた。
 
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 conv201403260003のコピー
                手     水     場 
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                鐘           楼
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                本           堂
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              団体一行到着で賑わう本堂前
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      本堂左手に三面大黒堂が、大師堂の右手に十二社神社がある
 
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                境   内   風   景
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          御    朱    印

昨日巡った十一ヶ寺は2~3を除き比較的平坦な場所に、街や村の中に在り普通の寺風であった。曹洞宗の山門前で育った私は寺とは修行道場と思っていたし『八十八ヵ所も修行道場』的な寺と錯覚していた、考えてみると自力本願の曹洞宗と他力本願の真言宗の違いのようだ。その面些か拍子抜けを否めなかったが漸くここに来て修業道場的なものを感じた。開祖は役行者小角である。
役小角は奈良時代、『舒明天皇6年(634年)伝 - 大宝元年(701年)伝)』に生まれ大和葛城山で修行し山岳信仰の一部を引き継ぎつつ、仏教とその一流派である大乗仏教を加えて、修験道と密教の基を興した山岳仏教の祖とされているが詳しいことは解らないらしい。解らないことはそっとして置き想像を膨らます方がより楽しいものだ。不明の小角に相応しい焼山寺であった。
 最後に納経所で御朱印を戴き暇をして第十三番札所大日寺に向かう・・合掌


★ 本尊:虚空蔵菩薩 (弘法大師作)    ★ 開基:役行者小角
★ 本尊の真言: のうぼう、 あきゃしゃ、 きゃらばゃ、 おんありきゃ、 まりぼり、 そわか

★『略縁起』
 開基は修験道の開祖役小角といわれ、小角が焼山寺山を道場として拓き蔵王権現を祀ったことに始まるという。
 のちに弘法大師がおとずれた時、焼山寺山の台地に大蛇がいて、火を吐いて山を焼くなど村人を顔らせ ていることを開いて、水輪の印を結んで退治に出かけた。襲いかかる大蛇を虚空蔵菩薩の加護を得て退治、岩に閉じ込め三面大黒天を祀り、前に虚空蔵菩薩像を安置したという。山号はこの縁起に由来する。奥の院はさらに1Kmほど大師堂右側から登る。途中に大師が護摩を修した大岩があり、その岩上には蛇伏せと称される大師爪彫りの三面大黒天が残されている。焼山寺は古くから修験道の修行地として名高い山岳寺院で、『阿波国太龍寺縁起』には、弘法大師の修行地として挙げられている中世には武士や庶民の信仰も集め、足利尊氏は鎮西下向の折にこの寺を祈願所とした。一時は戦国の戦乱に巻き込まれたこもあったが、江戸期には藩主蜂須賀家の帰依を受けて発展した。


 strong>★ 『四国遍礼霊場記』 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 (じゃくほん ))(翻訳・村上 護):(参考資料として転載)

 
 四国遍礼霊場記
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 道が極めて険しく、雲霞に覆われている。阿波で最も高い山だ。本堂には空海作の虚空蔵菩薩像を安置している。左に御影堂、続いて熊野権現社の拝殿・鳥居がある。前面には鐘楼・大門・中門を構えている。
 奥の院までは、およそ十町余。途中、六町ほどの所に祇園の祠、後脇に蛇窟がある。右に空海が作った三面大黒天の堂が建っている。ここから上がると護摩堂、更に一町ほど行くと聞持堂がある。また更に登ると、本社の弥山権現社となる。本体は蔵王権現らしい。
 下の杖立という場所で、空海が杖を立てたのだろうか。
 蛇池がある。大きさは二十間と三十間ほどもある。
 大門から十八町坂を下った場所で右衛門三郎が死んだ。大きさ七囲いもある杉が、墓印だ。右衛門三郎については、伊予石手寺の項で触れる。

 
 
 
 
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