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四国撮り歩記  霊場八十八ヶ所巡礼の旅:土佐高知編 三十一番霊場

  第三十一番札所;竹林寺に向かう。距離大凡8、5km。
 
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       第三十一番札所 五台山 竹林寺 金色院
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              山          門 
 山門は「阿吽像」に守られた仁王門である。
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              扁          額
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              阿  吽 の 仁 王 像
 山門をくぐり参道を進み石段を上り詰めると眼前の高台に五重塔が聳え、左手に大師堂があり、右に進むと本堂が建つ。
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              本          堂
 本堂は文殊堂とも呼ばれ、文明年間(1469~1487年)の建立。単層で★入母屋造り(いりもやずくり)、★柿葦(こけらぶき)で堂内には本尊文殊菩薩が安置されている。
 ★入母屋造りとは屋根の形の一つです。切妻(棟を境に両方へ流れを持つ、書物を半ば開いたような形の屋根)と、
寄せ棟(四つの流れを組み合わせた屋根)を混合した、日本建築特有の形で、複雑な美しい屋根です。
壮重な雰囲気を持つ屋根で、古くは寄せ棟より格式が上とされてきました。この入母屋を組み合わせた優れた屋根のデザインに、日本の城があります。(知恵袋参考)
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              入 母 屋 造 り

 ★杮葺とは:屋根葺手法の一つで、木材の薄板を用いて施工する。板葺(いたぶき)の代名詞にも使われる、「こけら=薄い木片」を重ねて敷き詰めた屋根の事を云う。
 室生寺金堂・神魂神社本殿・鹿苑寺金閣・慈照寺銀閣などに見られる形式で、第29番札所 国分寺本堂(金堂)も杮葺きである。
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 「杮葺き」屋根の一部。ヒノキ、サワラ、スギ、エノキなど、筋目がよく通って削ぎやすく、水に強い材木が用いられる。

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              本  堂  内  陣
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           文  殊  菩  薩
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           馬  頭  観  音

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              大     師     堂
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              大  師  堂  内  陣
 寛永21年(1644年)、建立。
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              高知県唯一の五重塔
 当寺は藩主山内一豊公(初代藩主)の庇護を受け栄え歴代藩主もそれに習った。
古くは三重塔があったが明治32年の台風により倒壊、塔再建を悲願として来たが、昭和55年12月、全国より多くの般若心経写経奉納の浄財を得、五重塔として復興する事ができた。

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              五   智   如  来
 五重塔の右側にある五智如来(ごちにょらい)は、五大如来ともいい、密教で5つの知恵(法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)を5体の如来にあてはめたものである。
 大日如来(中心)を中心に・阿閦如来(東方)・宝生如来(南方)・観自在王如来(阿弥陀如来)(西方)・不空成就如来(北方)に配置されている。

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              ひとこと 地 蔵 尊
 一つだけお願いを聞いて下さるお地蔵さんだそ~です。

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              手 水 場 と 吐 水 龍
 山門を潜り参道を進む、右方向に本堂、左方向に大師堂がある。前方左側に五重の塔が見える。境内のほぼ中央。

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              鐘             楼
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              庫             裏 
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              納      経     所 
 鐘楼・庫裏(客殿)・納経所は山門の手前右側にある。
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      御     朱     印

 無事参詣を終えて第32番札所 禅師峰寺に向かう・・・・・・合掌    11月1日午後3時6分

 ★ はりまや橋で『ぼんさん簪買うを見た』で有名なぼんさんはこの寺の脇坊妙高寺の僧純真の話だそうな!五台山下の鋳掛け屋の娘お馬さんと駆け落ちし、讃岐の国で捕まり、純真は追放、後に伊予川之江で寺子屋の師匠となり、お馬さんは後に結婚したと言う。幕末安政の時代粋な計らいをしたものだ。
 
★ 本尊:文殊菩薩 (伝行基菩薩作)       ★ 開基:行基菩薩
★ 本尊の真言:おん、あらはしゃのぅ
  
『略縁起』
 聖武天皇は唐の五台山で文殊菩薩を拝まれている夢をみられ、わが国にもこれに似た霊地があるにちがいないと、行基菩薩に探し出すよう命じられた。神亀元年724年行基菩薩は五台山に似た山容を見つけ、ここに寺を建立し、文殊菩薩を刻んで安置したこれが竹林寺の始まりである。
 後世嵯峨天皇の弘仁年間(810年―824年)に弘法大師が巡錫され、荒れ果てた堂宇を補修し31番札所に定められた。
 時代は下り慶長年間には藩主山内一豊公の加護があり、歴代藩主からも庇護を受け祈願所に定められた。明治の廃仏毀釈で荒廃したが★船岡芳信なる人物が再興、同37年には本尊文殊菩薩が国宝に指定され、文殊堂も寛永年間の築造と言うことで特別保護建造物に指定されている。

★ 明治の初め、土佐では廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた。土佐を代表する名刹であった竹林寺も例外ではなく、すっかり荒廃してしまった。これを復興したのが明治から大正にかけて住職を務めた傑僧・船岡芳信師である。余命幾ばくもないことを悟ると、自分は死後も弘法大師に倣ってこの地に留まり人々を救済するという誓願を残して入定した。
船岡師の遺言に従い、遺骸を納めた甕を安置したのが船岡堂である。米を一升供えて祈願すれば、一生に一つだけ願い事をかなえてもらえるという。
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                 船  岡  堂 (奥の院)
 奥の院には行けず写真は無いのでお借りした。


 ★ 『四国遍礼霊場記』 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 (じゃくほん ))(翻訳・村上 護):(参考資料として転載) 
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 長岡郡にある。聖武天皇に夢のお告げがあり、行基菩薩に勅命し山を検察させ、神亀元年に堂舎を建立した。行基が七日間霊瑞が現れるよう祈ったところ、夜明けに一つの星が机の上へ落ちてきた。行基は赤栴檀で五髻文殊像を作り、星を眼精とした。
 五台山とは辰旦の清涼山を指す。文殊がいまし、霊験著しい。山には五峰が聳え、菩薩の頭の五髻を象っているという。この山も五色の峯が峙ち、清涼山と同様だ。このため、五台山と号する。
 行基菩薩は、五台山に棲む文殊の化身だという。南天竺の菩提、婆羅門僧正と呼ばれている人物は、中国・五台山の文殊が霊験あらたかだと聞いて、故郷を出て小舟で唐に赴いた。五台山に登って、一人の老翁に会った。老翁は、文殊が日本に生まれ衆生を救済している、と教えて消えた。菩提は日本に向かった。天平八年七月、聖僧の来朝を行基が奏上した。聖武天皇は礼部・鴻廬・雅楽の三官人に命じて難波津に向かわせた。行基は百人の僧侶を率いて待った。官人は楽を奏し、行基らは宗教詩を歌った。すぐさま海に小舟が現れた。菩提は舟から下り、行基と対面した。行基は微笑み、菩提は旧知のように行基の手を取った。梵語で会話したため、理解できる者はいなかった。「霊山の釈迦の御前に契りてし真如朽ちせず相満つるかな」と日本語で歌った。菩提は「伽毘羅衛に共に契りし甲斐ありて文殊の御顔相見つるかな」と返した。この話は色々な本に載せられており、異説を挟む人はない。この寺が霊境であると信ずるに足る伝承だ。【この部分の描写は今昔物語巻十一「婆羅門僧正為値行基従天竺来朝語第七」と同様。また、謡曲の「巻絹」の題材ともなっている。性空の「南天竺婆羅門僧正碑註」では、婆羅門僧正は中国に来ていたところ、日本からの留学僧に乞われて来朝したとある。六世紀に伝来し紆余曲折を経た日本仏教が立場を確立する始点は、恐らく東大寺建立であつた。この東大寺大仏開眼供養の導師を、婆羅門僧正は務めている。また、伊勢神宮と並んで高い格式を誇った八幡神は、東大寺の守護を申し出た仏教守護の神でもある。このため、「大菩薩」の称号を得て、僧形の像が作られている。一般に本地仏は阿弥陀如来とされている。空海との縁も深い】。
 五峰を、東岱・南衡・西華・北恒・中嵩と称する。辰旦五嶽からとったものだ。尚書大伝に載っており、白虎通・風俗通などに詳しく記されている。今の名は知らない。
 北西に池が三つある。感覚や知覚は対象としたそのものが自分の裡に展開しているのではなくあくまで投影されたものだから空であり形もないと悟り心に作為を用いない三解脱門の境地、宇宙法則を理念型として表す法身・個別事象を体系的に分析する法則である報身・実際に個々の人間を救済しようとする行為である応身の三身、仏・法・僧という仏教の三構成要素、これらの「三」を象徴しているという。寺はそれぞれ、このような数合わせをするものだ。真言宗の常套である。
 延暦末年、戦争によって掠奪を受け、長い間荒廃した。弘仁年中に空海が嘆いて中興した。境内に水が乏しかったので、独鈷杵で加持すると清水が迸り出た。独鈷水と呼ぶ。
 興廃が何度か繰り返され、定まった堂宇はなかった。現在残っているものは、本堂左の開山堂。ここには行基の像を置く。池の中にある弁財天祠。続いて鎮守の山王権現には拝殿もある。右には大師堂、前には拝所。続いて三重塔、ここの本尊は大日如来像。鐘楼。入った所に二王門を設けている。門外には牛王堂、行基の作った大威徳明王像を安置している。本坊の持仏堂には、南無阿弥作の阿弥陀如来、恵心【天台僧だが念仏による極楽浄土への往生を提唱した浄土教系の遠祖・源信】作の千手観音、春日【春日神社と関係のある仏師一派。作品は春日明神が作ったものと見なされるともいう】作の勢至菩薩を併せ祀っていたと思う。
 このような由緒正しい寺も、昔数回壊され、近世でも寛永二十年元旦の夜に天火が飛来して堂宇が燃え、どうにか本尊は持ち出したが、ほかは法具も書物も、すべて焼けてしまった。国の太守が嘆いて堂舎の多くを新築した。
 山の麓に吸江寺という禅寺がある。夢想国師が開いた。自筆の肖像画もある。この禅師は泉石を賞翫する癖があり他にも幾つか名園を残しているが、吸江寺は一際見事で十景の名がある。どうせ美景を謳った詩もあるだろう。

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コメント

§

今日は、二度目の涙です。武蔵野の竹寺様のお守りを送って下さった。
娘のブログの友達が、竹寺さんのお写真を送って呉れました。
編み物のプレゼントをした方です。
母が糸は人を結ぶと云って居ましたが本当でした。
怠けてお楽しみ会のめいもくで・何処の観音様が呼んでるのかと。
楽しんで居ました。、今日のお写真はとても嬉しかったです。
幸せな一日でした。感謝します。又お邪魔しますと云うより
毎日、覗いて居ますゴメンナサイ
                        合掌

§ 三分の一を超えました。

八十八寺の三分の一を超えました・・・・・・・すごいなぁ

地図あり、写真あり、由来から本尊の真言まで・・・・・すごいなぁ

いつも感心して堪能しています!!!

あちこちで大雨や異常気象ですがひげ爺様のところは大丈夫ですか?

次回を楽しみにしています。

§ Re: タイトルなし

 寿芳  様

 コメント有難う御座います!
返事が遅くなり申し訳ありませんでした。

 お母さんの「糸は人をむすぶ」は良い言葉ですね!
編み物の糸のことのみを言われたのではなく観音様・御大師様・
四国八十八ヵ所等々を含めての「糸・繋がり」を言い当てられた
様な気がします。ひげ爺達もまた然り「四国撮り歩き」の糸の繋がり
なのですから・・・・。
 また、お出で下さい!

                 ひげ爺 良兵衛
                

§ Re: 三分の一を超えました。

 ちば爺 様

 何時も励ましのコメント有難う御座います!
大いに励みとなります。

 お説の通り「漸く三分の一」、のんびり屋・横着なひげ爺のこと
一編に5日~一週間掛りますので後一年余りはお付き合い下さい!

 この度広島は大変でしたですね~、お気の毒の極みです!
長女(48?49?歳)が広島市安佐区の小学校に一年生2学期編入で
足掛け4年程住まいましたので心配事ひとしおでした。
残念な結果で・・・・・合掌。
 当方(東大阪)は11号。12号台風の風雨も被害なく、手入れしている
マンションの花壇の花が倒れた程度で済んでいます。ちば爺の方は如何?

 32番札所は週明けにはUP出来そうです、またお出で下さい。

                    ひげ爺 良兵衛

§

こんにちは。

小さい時から両親に何度か連れて行かれた竹林寺ですが(その頃はまだロープーウエイがありました)、今年は50年に一度の秘仏本尊の公開の年だとか。それに合わせて帰高しようかと考えているところです。

§ Re: タイトルなし

 魔笛 様

 初のコメント有難う御座います!
今後とも宜しくおねがいします。
子供の頃良く参詣されたとのこと、南国市のご出身でしょうか?
 秋の御開帳(10月25日~11月25日)には帰郷の予定とか・・・
ひげ爺も今年5月末田舎の小・中学同窓生の「喜寿の祝い」があり
山陰但馬の田舎に里帰りしました。生まれ育った田舎は何歳に
為っても、懐かしくもあり心温まる場所です。
「故郷は 遠くにありて 想うもの・・・」とも言いますがやはり
「帰ってみてなんぼ」です!是非お帰りに為って楽しんで下さい。
当に「戻りかつおの旬の時期」大いに満喫されたい!

                  ひげ爺 良兵衛

§

ひげ爺様

私は高知市の出身ですが、両親は文殊様にあやかって何度も私を連れて行ったのかもしれません。その効果があったかどうかは分かりませんが、とても懐かしい場所です。

帰高の予定は残念ながら、御開帳の時期より一週間早まりそうですが、頑張ってあと五十年生きることを思いつつ、かつおを楽しんで来ます。

これからもよろしくお願いいたします。

§ Re: タイトルなし

 魔笛 様

 重なるコメント有難う御座います。

 最初「帰高?」。「なつかしや帰省の馬車に山の蝶/秋桜子」
の帰省の意味か、帰郷のことかな?と思いましたが高知出身と知りガッテン・合点。
 もう35年ほど前に為りますが足掛け3年高知に仕事で通いました。酒と魚が旨いのがおお気に入り!
はりまや橋近くの「土佐料理 司」は大のお気に入りで行く度に通ったものです。土佐鶴も旨い!
 「帰省」という語源は、「故郷に帰って親の安否を気遣う」とのことです。
「故郷は遠きにありて 想うもの」だけじゃあなく、帰ってなんぼです。楽しんできて下さい!

 今後もひげ爺ブログを宜しく。
                              ひげ爺 良兵衛

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