ヒゲ爺の独り言
エッセイ、昔の思い出話、釣り魚話、喰らい方等々
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四国撮り歩記 霊場八十八ヶ所巡礼の旅:香川編 70番霊場
第七十番札所 本山寺に向かう。 大凡4,5km。

第七十番番札所 七宝山 本山寺 持宝院

仁 王 門
仁王門は★八脚門で久安3年(1147年)の建立。国の重要文化財に指定されている。切妻造、本瓦葺。建築様式は和様を基調としている。
★八脚門(はっきゃく もん ・やつはしもん):門の形式の一。一重の門で,本柱四本の前後にそれぞれ控え柱が合わせて八本あるものをいう。大寺院や宮城の門に用いられる。東大寺転害門が代表例。はっきゃくもん。 (三省堂 大辞林)


「阿吽」の 仁 王 像
門を潜り境内に入ると右側に鐘楼・大門・太子堂と続き左側には鎮守堂・阿弥陀堂・十王堂等が建つ。

鐘 楼

手 水 場
手水場で身を清め本堂に向かう。

本 堂
ご本尊は弘法大師作と伝えられる馬頭観世音菩薩。

国 宝 本 山 寺 本 堂

本 堂 内 陣

ひげ爺 記念写真 本堂前で

太 子 堂

綱に触れることで、大師様と縁を結ぶことができるという「結縁綱」。


大 門 の 外 側
本堂の左側には五重塔が建つ。

五 重 塔
四国霊場の五重塔は竹林寺(31番)・志度寺(86番)・善通寺(75番)とこの本山寺の4ヶ所だけである。

五重塔をバックに芙蓉の花が咲き誇る


五重の塔内に祀られる 阿閃如来像

修 業 大 師

赤 堂 (大日堂)

十 王 堂 ・ 護 摩 堂

阿 弥 陀 堂

鎮守堂(室町末期・善女龍王像・香川県指定文化財)
客殿・納経所は本堂の裏側にある。

工事中の 客 殿


納 経 所

御 朱 印
無事参詣を終えて第71番札所 弥谷寺に向かう・・・・・・・合掌 10月9日午後1時30分
『略縁起』
★大同2年(807)平城天皇の勅願により、弘法大師が七十番札所として開基。当時は「長福寺」という名で、本堂は大師が一夜ほどの短期間にて建立したという伝説が残る。およそ2万平方メートルの広大な境内には国宝の本堂はじめ、仁王門、★五重塔、鎮守堂、大師堂、十王堂、赤堂(大日堂)、慰霊堂、鐘楼、客殿などが並び、大寺として栄華を極めた当時を偲ばせます。
天正の兵火では長宗我部軍が本堂に侵入の際、住職を刃にかけたところ脇仏の阿弥陀如来の右手から血が流れ落ち、これに驚いた軍勢が退去したため本堂は兵火を免れたといわれる。この仏は「太刀受けの弥陀」と呼ばれている。その後、「本山寺」と名を改めた。
大同4年(809年)弘法大師が建立したと伝えられたいる五重塔は長い年月を経るにつれ損傷が激しく見る影もない様と為ったが明治43年再建された。
★ またも出てきた:大同2年(807年)平城天皇の勅願??????
★ 本尊:馬頭観世音菩薩(伝 弘法大師作) 開基:弘法大師
★ 本尊の真言:おん、あみりと、どはんぱ、うん、はっぱ、そわか
◎ 四国遍礼霊場記 ;1689年(元禄2年)に発刊された四国巡礼案内記・著作(僧 寂本 (じゃくほん ))(翻訳・村上 護) (参考資料として)

本山の庄にあるため、本山寺と呼ばれている。長福寺ともいう。本尊は馬頭観音像で、両脇士は阿弥陀と薬師である。いずれも空海の作だ。
堂の右に石塔がある。境内には大きな老松があり、古い昔からの歴史を聞きたい気持ちにさせる。堂の後には古い五輪塔が五六基ある。垣で囲われた境内は一町半。周囲には松・桜・杉・椿が茂っている。二王門の右に、鎮守の社がある。門前には、長川が横たわっている。
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