ヒゲ爺の独り言
エッセイ、昔の思い出話、釣り魚話、喰らい方等々
- 2023 . 02 «
- 1
- 2
- 3
- 4
- 5
- 6
- 7
- 8
- 9
- 10
- 11
- 12
- 13
- 14
- 15
- 16
- 17
- 18
- 19
- 20
- 21
- 22
- 23
- 24
- 25
- 26
- 27
- 28
- 29
- 30
- 31
西国三十三観音霊場 撮り歩き 第三番霊場 粉河寺
《お詫び》:を書いて以来、4ヶ月余りもご無沙汰致しました。
スランプに陥りもう辞めようかと思ったこともありましたが、再度挑戦することと致しました。またご訪問くださいますようお願いいたします。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
5月2日粉河寺に向かいバイクで自宅を出発AM8:00。200mも走るとR170(国道)に出る。堺、河内方面へ向け南下する。
凡そ30Km走るとR371高野街道がありR170から左折。凡そ25Kmで橋本市を縦断するR24に出る。高野街道を右折しR24に車線変更する。粉河寺は下図が示す通り。

粉河寺近くの案内図

粉河駅から粉河寺までの道標

駅から寺まで800m。100m毎に並ぶ

粉 河 寺 大 門
宗派:粉河観音宗総本山
本尊:千手千眼観世音菩薩
開基:大伴孔子古
縁起:宝亀元年(770年)大伴孔子古(おおとものくひこ)が本堂の場所に草庵を結び、千手千眼観世音菩薩を本尊としたのがはじまり。鎌倉時代には隆盛を極めたが、天正13年(1585年)豊臣秀吉の根来攻めの戦火にあい全山消失した。現在の堂宇は江戸時代の再建である。
本堂内には八代将軍徳川吉宗が寄進した左甚五郎作「門前の虎」がある。

山門の「阿吽の金剛力士像」(左)

山門の「阿吽の金剛力士像」右)

大 門 「説 明 板」
大門を潜り境内に入ると左に駐輪場と右側に茶屋があり昔の娘さんが威勢の良い呼び込みをしている。「バイクは何処に置けば良いか」 と聞くと、不動堂の前辺りに置いてという。車用駐車場は他にあるようだ、案内板がある。

不 動 堂
不動堂の右隣に案内図あり。不動堂は大門をくぐった最初のお堂です。


粉 河 寺 案 内 図

案内図看板から見た中門までの風景:参道を挟んで左側に堂宇が並び右に清流の小川が続く。


観音出現の碑です。童男大士に化身した千手観音が出現したそうだ。

阿弥陀如来を安置する念佛堂
江戸時代後期の総欅造りの建造物です。

聖徳太子を祀る太子堂

手水舎:総高240cm、幅185cmで粉河鋳物師・蜂屋薩摩掾五代目・源正勝1775年の作

身代わり 地 蔵 尊

粉河寺 中 門 遠望


中 門
1832年に建立された中門は四天王を祀っている。
造りは入母屋造、本瓦葺きの楼門で軒まわりまで良質の欅(けやき)を使い、繊細な建物に仕上げている。重要文化財に指定。

風 猛 山 の扁額
紀州十代藩主・徳川治宝候(はるとみ)の直筆。風猛山は粉河寺の山号である。

多 聞 天

広 目 天

持 国 天

増 長 天

中 門

中門を潜ると右側に茶店、左側に若山牧水の歌碑がある。正面に丈六堂がある。


牧 水 の 歌 碑

丈 六 堂

丈六堂に安置される阿弥陀菩薩像


丈六堂の側の芭蕉の句碑
『ひとつぬきて うしろにおひぬ ころもがえ』

本 堂 遠 望


本堂前の石段の両側には石段をあがった所との高低差を利用した枯山水蓬莱庭園がある。大きな石と植物を組み合わせたこの庭園は桃山時代の上田重安の作。国の名勝に指定されている。

庭 園 『説 明 板』


本 堂
粉河寺は770年に創建されたが、この本堂は1720年に再建されたものである。江戸時代中期の寺院建築の代表的な建造物で重要文化財に指定されている。
御本尊・千手千眼観世音菩薩が祀られているが、この御本尊は火災を避けるため本堂の地中に埋められているとのことで御本尊・千手千眼観世音菩薩は秘仏でいまだ公開されたことがない。

本堂の一隅にある納経所

前回参詣の折ご朱印を戴いた朱印。(日付は平成27年11月4日)

本堂の西側にある1760年に建立された宝形造りの千手堂。正面に千手観音、両側の祭壇には紀州藩歴代藩主とゆかりの人々の位牌が安置されている。紀州徳川家の庇護を受けて栄え、千手堂は重要文化財に指定されている。
千手堂を最後に帰路に就く・・・・・・・
大門を潜って直ぐの茶店で遅い昼食を摂るPM1:30。
店の昔の娘さんに「来る時は、R170号線から高野街道を通りR24号線に入り遣ってきたが、四番札所施福寺に行く近道はないか?」聞くと、「案内板の左の道を暫く行くと広い道路に出る、右に曲がり進むと葛城山方面行きの看板があるのでその道を行くと河内のR170号線に出ます。かなり険しいがオートバイなら大丈夫でしょう」とのこと。
青洲の里、華岡青洲記念館等の看板を見ながら進む。華岡青洲の出身地のようである。

葛城山の看板を見付け左折する。山道はかなり険しい。連休中なのに対向車に余り合わない。
後で知ったが標高は950mあり「鬼街道」と呼ばれるR480号線であった。
- 関連記事
-
- 西国三十三観音霊場 撮り歩き 第五番霊場 葛井寺
- 西国三十三観音霊場 撮り歩き 第三番霊場 粉河寺
- 西国三十三観音霊場 撮り歩き 第二番霊場 紀三井寺
スポンサーサイト
コメント
§ 再登場お喜び申し上げます
しばらくお休みしていたので、心配していましたが再登場で嬉しくおもいます。
これからPC開くのが楽しみです。
これからPC開くのが楽しみです。
§ おかえりなさい
ひげ爺さん、こんばんは。道草吾郎です。
復帰、おめでとうございます。久しぶりのひげ爺さんのレポート、堪能しました。粉河寺、広いお寺で見ごたえがありますね。天気も良かったようで、いいお参りができましたね。
続きを楽しみにしています。
復帰、おめでとうございます。久しぶりのひげ爺さんのレポート、堪能しました。粉河寺、広いお寺で見ごたえがありますね。天気も良かったようで、いいお参りができましたね。
続きを楽しみにしています。
§
はじめまして。
復帰お待ちしておりました。
また楽しみにしています!
復帰お待ちしておりました。
また楽しみにしています!
§ 戻りました。
六月の中ごろから、喘息発作で点滴の薬で未だ指先で押すだけが辛いです。昨日、退院しましたが此れからの歩く道を見て来ました。コメントの返事もしないで(読めません)ので少しずつお返事を書く心算です。隣の病院へ救急車で運ばれたのも、知りませんでした。凄い勉強して来ました。病院遍路をして来ました。まだ読めない悲しさも時が解決すると、思います。
間違えだらけのコメントをお許しください。 合掌 寿芳
間違えだらけのコメントをお許しください。 合掌 寿芳
§ Re: 戻りました。
> 六月の中ごろから、喘息発作で点滴の薬で未だ指先で押すだけが辛いです。昨日、退院しましたが此れからの歩く道を見て来ました。コメントの返事もしないで(読めません)ので少しずつお返事を書く心算です。隣の病院へ救急車で運ばれたのも、知りませんでした。凄い勉強して来ました。病院遍路をして来ました。まだ読めない悲しさも時が解決すると、思います。
> 間違えだらけのコメントをお許しください。 合掌 寿芳
> 間違えだらけのコメントをお許しください。 合掌 寿芳
コメントの投稿
トラックバック